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38. アオ

 召喚される気配を感じ、その悪魔はふわりと現世に降り立った。ゆっくりと目を開いた先は薄暗い部屋の中で、何人かの人間……そして、隠れているようだが複数の悪魔の気配も感じた。床には巨大な魔法陣が描かれており、しかしそれは召喚用のものではないようだ。


 突然現世を現れた――人間ではあり得ない色彩の青い髪と目、そして何より翼を備えた――その青年は、どこからどう見ても人ではない。所謂人間から悪魔と呼ばれる存在だった。



「俺の名はアオ。俺を召喚したのは……その赤ん坊、か?」



 その悪魔はさっと周囲に視線を走らせながら、静かにそう口にした。部屋の中にいる人間のうち、中央でぐったりと俯せに倒れている赤ん坊がいる。その赤ん坊の背中ははだけさせられており、自身を現世に繋ぎ止める為の魔法陣がぼんやりと小さな光を放っていた。

 赤ん坊以外の人間で目を引くのは、赤ん坊の隣に縄で手足を縛られて気を失っている女性と、その傍に立ってアオを観察するように視線を送る泰然自若とした老人。そして部屋の隅で先ほどからずっと悲痛な声を上げ続けている男性だ。彼は両腕を他の人間に取り押さえられているものの、それを力づくで振りほどきそうになるほど強く抵抗しながら「止めろ」と何度も繰り返し叫んでいる。



「アオ、か。成程。何とも運命のような名の付いた悪魔が来たことだな」

「止めろっ! 妻を、蒼を殺すなあっ!」



 老人が嘲笑うようにそう呟いた。どういう意味かと首を傾げかけた悪魔――アオだったが、続いて耳に入った男の声にその言葉を理解する。一瞬自分の名を呼ばれたのかと思ったアオだったが、男を見れば彼が悪魔である自分を認識できていないのはすぐに分かる。彼の目は真っすぐに赤ん坊と隣の女にしか向けられていなかったのだから。

 恐らくこの男と縛られている女、そして赤ん坊は家族であり、この子供の名前こそが蒼――つまり、自らと同じ名なのだろうと思った。



「契約者はこの赤ん坊だ。そして贄はこの女。願いはこの赤ん坊に、お前の力を与える……いや、これ自身を悪魔にすること、だ」

「……愚かなことを。そもそも契約者でもないお前の願いなど叶える意味など」

「そうか、ならこれならどうだ?」



 まるで自身が契約者であるかのように振る舞う老人に不快さを滲ませたアオは、低い声で静かに威圧する。そもそも悪魔に一方的に契約を結ばせようとする時点で不愉快極まりないのだ。力も持たない人間が。

 契約者でもない人間だ、邪魔なものは排除すればいい。しかしアオがそう思った瞬間、突然周囲に感じていた悪魔の気配が濃くなった。そして一瞬のうちに背後から不意打ちを食らった彼は床に引き倒されて押さえつけられる。



「……お前らは」



 アオの顔のすぐ傍に凶器が突き立てられる。視線だけを動かして上を見た彼は自分を押さえているのが5体もの悪魔であることが分かった。

 アオは悪魔の中でも然程弱い訳ではない。だが同じ悪魔同士、五対一の状態で勝てるほど圧倒的な強さも持っていなかった。



「分かるかね? 君は悪魔だが、人間の私に従わなければならない。断ればすぐさまそこにいる悪魔達が君を徹底的に攻撃する。魔界に戻っても何百年と動けない体になるのがお好みなら、いくらでも抵抗してみればいい」

「……」



 悪魔憑きであろうとも、人間に膝を着かされるなど悪魔にとって屈辱でしかない。しかし従わなければ自分の方が危うい。長い間魔界で動けないなどという事態に陥れば他の悪魔の餌になるだけだ。

 抵抗を止めたアオに老人は満足そうに頷くと「さあ贄を受け取れ」と倒れている女性に目を向けた。



「やめろ、やめろーっ!」

「……」



 つんざくような男の声が響き渡る。そんな中、他の悪魔から解放されたアオはその女性の魂を容赦なく体から抜き取った。これは契約なのだ。願いを叶える以上、その代償が無ければそれは成立しない。

 男にはアオが見えない。しかし魂が抜かれるのが――自分の妻が死んでいくのが分かったのか、大きく目を見開いた後、項垂れるようにぐったりと体の力が抜けた。



「さて、願いを叶えてもらおうか」

「……なっ、これは」



 赤ん坊に悪魔の力を与える。ならば自分の力を少しだけ分けてやれば満足なのだろうとアオは考えていた。元々人間には過ぎた力だ、全てを与えた所で壊れるのが関の山である。

 しかし老人が声と共に召喚時に使用したと思われる血液の入った小瓶を傾けた瞬間、自体は一変した。足元にあった大きな魔法陣が血に反応して発動し、アオは一気に自分の力が抜けていくのを感じたのだ。

 目の前が霞む。そしてそれと同時に赤ん坊が苦しげに泣き叫ぶ声が部屋中に響き渡った。



「蒼!」



 とうとう拘束を振り切って父親が駆け出す。しかしその時にはもう手遅れだった。赤ん坊にとっても、アオにとっても。

 父親には見えていない。その瞬間アオの姿は掻き消えた。そして同時に、赤ん坊――蒼の心臓も停止してしまったのだ。



「蒼っ、蒼……!」

「なんだ、耐え切れなかったか。失敗だな」

「蒼に、一体何を……」

「この赤ん坊の魂に悪魔の魂を合わせたのだ。それによってこの赤ん坊は悪魔になるはずだったのだが、しかし器が耐え切れなかった。……魔法陣の式は完璧だったはずなのに、どこがいけなかったのか」



 腕の中でどんどん冷たくなっていく我が子を強く抱きしめながら、父親である男は呆然と老人を見上げていた。隣で転がる妻もぴくりとも動かない。絶望のあまり思考を停止させた彼を置き去りにして、老人はさっさとその部屋から出て行ってしまった。悪魔達もそれに続いて姿を消し、先ほどまで男を押さえつけていた者達も憐憫の目を向けて去って行く。


 しばらく男は冷たくなった子を抱きかかえたまま動かなかった。

 その男は朝日と言った。ごく普通の会社に勤める、妻子を持つ平凡な男。ただ普通ではなかったのは彼が虹島の遠い分家であったことと……そして、不幸にも当主の玩具としてたまたまその目に留まってしまったということだった。

 妻と子が捕らえられ、そして目の前で死んでいったのを理解した彼は震える手を魔法陣が描かれた床に思い切り叩きつけた。なぜ、どうして二人がこんな目に遭わなければならないのか。結婚して二年、蒼が生まれて幸せで満ち足りていたというのに、どうして滅茶苦茶に壊されなければならないのか!



「……っな」



 今すぐ部屋を飛び出して当主を殺そうという所まで思い至った彼が立ち上がろうとした瞬間、しかし男は動きを止めざるを得なかった。腕の中の動かなくなったはずの我が子が、ほんの少しだけぴくりと瞼を動かした気がしたからだ。

 錯覚だ、そうに違いない。僅かな希望を見出して再び叩き落されるのを恐れた男はそう思ったものの、冷たくなっていた体からも熱を感じるようになった彼はもはや自分に言い聞かせることもなく必死に蒼の体を揺さぶった。



「蒼!」



 まだ死んでいない。自分の愛する子は、まだ目を覚ますかもしれない。

 一縷の望みを手にした男はひたすらに名前を呼び続ける。その度に腕に感じる体温を明確に感じ取って、そしてゆっくりともう一度開かれた目を見て彼は安堵でその場に崩れ落ちた。



「あお……」



 すぐに目は閉じてしまい再び意識を失ってしまったものの、それでも先ほどとは違い息をしている。心臓が動いている。――信じがたいが、奇跡だった。

 けれど、その時男は気付いていなかった。蒼の背中に焼き付いた魔法陣が、効力を失わずにまだ発動を続けていたことを。






 それから男がしたことは、真っ先に“虹島”から逃げることだった。蒼が死んだと思ったことで老人――当主は蒼から興味を無くしたようだったが、生きていたと知られれば今度はどんな風に命を弄ばれるか分からない。虹島の名を使えば妻の死も事故死という名目になり、そして男は本家に気付かれないようにひっそりと蒼の死亡届だけは出さずにそのまま逃げるように虹島から身を隠した。

 虹島は追っては来なかった。蒼が死んだと思ったことで完全に朝日の人間から興味を失ったのか、それとも探すほどの価値もないと思っていたのか。どちらにせよ不幸中の幸いだった。


 移り住んだ小さなアパートで父と子二人だけの生活が始まる。しかしその暮らしは勿論楽なものではなかった。男は子育てなど初めてであり、なおかつ蒼は保育所に預けることが出来ない理由がある。背中に刻まれた魔法陣は全く消えることなくそこにあり、それを他者に見られる訳にはいかなかったからだ。

 虹島の分家ではあったが、本家に近い血筋でもなかった男は悪魔や魔法陣についての知識などほぼ皆無だ。当主の説明で蒼と妻が何をされたのかは分かったが、それでも今の蒼がどんな状態かはちっとも分からなかった。

 無邪気に笑う蒼の笑顔にほっと安堵すると同時に、その背中にある時折ぼんやりと光る得体のしれない魔法陣に恐れと不安を抱いた。蒼はこのまま無事に成長するのか、それともそのうち何か異変が起こるのではないのか。


 男が恐れた不安は徐々に明確なものになっていく。蒼が大きくなるにつれて、徐々にその顔が自分にも妻にも似ていないそれに変化していくのを見て。そして何より、小さな手で酷く軽々と重量のある椅子を持ち上げて平然としている我が子を見て、その男は悟ってしまった。


 虹島から逃れても、悪魔からはずっと逃げられていなかったのだと。




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