34.5. 閑話
沖縄旅行の一日目、理緒は水族館で土産を買うべく奔走していた。家族と友人、そして何より自分用の土産を買い込んだ彼女は、嵩張って来たいくつかの荷物を星崎に預ける為に一旦彼の待つフードコートへと向かう。
「理緒……何度も来てるのにまだ買うのか?」
「いいでしょ別に」
従兄の呆れた声にさらりと返した理緒は再び店へと舞い戻る。途中で悠乃に会った後、そろそろ止めるべきかと腕に掛かる重さを感じた理緒は会計を済ませて店の外へ出ようとした。
しかし同時に店に入って来ようとした人物にぶつかりそうになって、理緒は咄嗟に踏み止まる。人がごった返した通路は狭く、横に避けようとした彼女は顔を上げて目の前の人間を見ると「なんだ」と小さく溢した。
「朝日か」
「どれだけ買ってるんだよ」
店に入ろうとしていたのは蒼だった。彼は理緒の荷物に視線を落とすと星崎同様に呆れたような……蒼に関して言えばやや小馬鹿にしたような表情も交えながらそう言う。
「私の勝手でしょ? 悠乃が言ってたけど、あんたはお土産買わないんでしょ。何でここに来るのよ」
「それこそ俺の勝手じゃねえの? 何となく見に来ただけだ。……あいつは?」
「悠乃ならさっき会ったけど、もうお土産買い終えたんじゃない?」
「ふうん」
悠乃が間にいる時はまだしも、蒼と二人だとついつい理緒は喧嘩腰になりかける。一度息を吐いて気持ちを落ち着かせようとした。
「あんたも普段心象悪いんだから、クラスの子にお土産でも配ったら? 一気に好感度上がるんじゃない?」
「そういう時雨さんは随分買い込んで、そこまで必死になって好感度上げたいんだなあ? いやー、すごいすごい」
「……あんたの止まらない嫌味の方がすごいわよ」
ちなみに理緒は決して八方美人という訳ではない。思ったことはそのまま言ってしまうタイプで時々きつい言葉も無意識に口にしてしまう為、友人とそうでない人間がはっきり分かれている。無論殆どの人間を敵に回す蒼には負けるが。
この男が嫌味を言わない人間など悠乃くらいだ。理緒が知るより前から捜査に手を貸していたらしい蒼は、彼女に対してだけはその腹立たしい態度を見せていない。それは悠乃が受け流しているだけかもしれないが、それでも蒼が悠乃のことを他者とは一線を画す扱いをしているのは確かだ。
「それにこれは殆ど自分の為のものだから」
「それこそいらねえだろ、自分への土産って」
「悠乃と同じこと言ってる」
「あ?」
「もう十分楽しんだから自分のお土産は買わなくていいんだってさ。悠乃って何か変なとこ遠慮がちな所あるよね」
「……」
急に黙り込んだ蒼に首を傾げながらも、理緒は重たい荷物を持ち直す。「それじゃあ私は戻ってるから」と彼女は店を出ようとするが、数歩歩いた所で再び足を止めた。
「……待て、時雨」
「何? 重いから早く戻りたいんだけど」
「借りを返させてやる」
「はあ?」
確かに理緒は蒼に借りがある。というよりも蒼が貸しにすると言ったからそうなったものの、本来ならそれだけでは足りないほどのことを理緒は仕出かしている。……何しろ、一度彼を殺しかけたのだから。
一体何を要求されるのかと身構えた理緒に対して、蒼は何てことのないように腕を組んでちらりと店の奥を見つめた。
「あいつ、何が好きそうか教えろ」
「……ん? どういう」
言いかけて理緒は口を閉じる。尋ねる前にすぐに合点が行ったからだ。
「別に、いいけど?」
思わず笑いそうになる表情筋をどうにか押さえて理緒は店の中に舞い戻る。妙に不機嫌そうな顔をした蒼を見上げた理緒は、彼を先導しながら堪え切れずに小さく笑みを浮かべた。貸し借りなどなくてもそのくらい教えるというのにそんな言葉を使わなければ聞けないなんて、と。
理緒は蒼が嫌いだ。けれど悠乃に対する蒼は、割と嫌いではない。
和也が鏡目悠一と初めて対面したのは、彼らが15歳の時だった。
「俺は椎葉和也。同い年だしよろしくな」
「……鏡目悠一、だ」
酷く不愛想なその男は碌に和也を見ようともせずに名前だけを口にする。そんな彼を見た第一印象は、また面倒臭そうなやつが来たものだ、という淡々とした感想だけだった。
この職場に集まる人間には訳ありが多い。そもそもごく一般人ならば一生存在も知らずに死んでいくような部署なのだ、特殊ではない人間などほぼいない。和也も彼らと同様に特殊な人間――悪魔憑きだ。幼い頃に誘拐され悪魔の贄にされかけた彼は、しかし紆余曲折を経てその時に召喚された悪魔と共にこの仕事を行っている。
だからこそ悠一も何らかの事情があって来たのだろうが、彼の教育係を任された身にとってはやりにくいことこの上なかった。後から知ったのだが彼の両親が悪魔に殺されたらしく、和也の悪魔ですら拒絶反応を起こすので慣れるまでが非常に大変だった。
しかし一緒に行動していくうちのその人となりも分かって来る。悪いやつではないと確信した和也は次第に悠一を信用するようになった。更にいつの間にか元々の性格の所為か立場が逆転し、教育係であるはずの和也が悠一に叱られるという光景が日常的に見られるようになる。
そんな頃だった、特殊調査室に新たなメンバーが加わったのは。
「和也、ちょっと来てくれ」
「何ですか?」
「紹介したいやつがいる」
珍しく警察署に一人で呼び出された和也は、そう言われて上司である速水について署の中にある一室を訪れた。小さな部屋の中でぽつんと一人待っていた大人しそうな少女は、どこかで見たことのあるような顔立ちをしている。
和也達に気付いた少女は慌てて顔を上げると、座っていた椅子から立ち上がって急いで彼らの前へやって来た。
「速水さん……」
「悠乃、待たせた。こいつは和也、これからお前の先輩になる」
「先輩って、こいつ新しいメンバーですか? また俺が教育係?」
「いや、指導は直接俺が行う。だが困っていることがあったら手を貸してやってくれ。俺よりも相談しやすいこともあるだろうしな」
速水の言葉に和也は頷きながらも少女――悠乃を観察する。最年少でこの部署に入った和也はともかく、十分幼く見える。12、13歳くらい……学校に通っていれば中学生になったばかりといった頃だろう。やはり、どこかで見たような気がした。
そしてその既視感の理由はすぐに判明する。
「椎葉和也だ。先輩だから敬えよ?」
「……鏡目悠乃です。よろしくお願いします」
「鏡目?」
不意に頭の中に不愛想な男の顔が思い浮かぶ。成程、確かによく似ていた。
「へえ、悠一に妹がいるなんて初耳だ」
「……っ」
「和也!」
ぽつりと呟いた何てことのない感想に何故か速水が鋭い声を上げる。それと同時に悠乃が俯いて服の袖を握りしめたのを見た和也は、自分が地雷を踏んだことにすぐに気が付いた。
「お兄ちゃ……兄さんは、私のことを妹なんて、もう思ってないと思います」
だから聞いてないのは当たり前です、と酷く悲しげな顔で自嘲した悠乃に和也は少し狼狽えた。自分のことを優しい人間だとも善良な人間だとも思ったことはないが、それでも目の前で年下の少女を無自覚にとはいえ傷つけてしまったのを何とも思わない訳ではない。
「いやなんだ、こんなちびっ子が後輩になるなんて初めてだからな! 頼りがいのある俺に何でも質問するといいぞ!」
「……あの、ひとつ聞いてもいいですか」
「何だ? 何でも答えてやるぞ後輩!」
暗い雰囲気をぶち壊すようにわざと明るい声を出す和也に、悠乃は顔を上げて遠慮がちに口を開く。
「兄さんは……元気でしたか?」
「何なんですかあの兄妹」
「そう言うな、というかさっきのお前の言葉でかなり冷や冷やしたぞ」
「だったら先に説明しておいて下さいよー」
悠乃を先に帰した二人は調査室に戻って疲れたように嘆息する。そうして速水の口から告げられた鏡目兄妹の過去に和也は耳を傾けた。
悠一から両親が悪魔に殺されたことは聞いていたが、それも詳しくは知らなかった。全てを聞き終えた彼は弱弱しい声で兄の様子を尋ねて来た少女を思い出して頭を掻く。
「で、あのちびまで調査室に呼んだ理由は?」
「上層部の決定と、なにより本人の意志だ。俺も事件の後悠乃を彼女の親戚に預けるつもりだったんだが、悠乃がどうしても働かせてほしいと」
「兄を追って、ねえ」
「一度は考え直すように言ったんだがな。憎まれていてもいいから此処に居させてほしいって言われたらなあ……」
悠一達が巻き込まれた事件は速水も捜査に加わっていた。だからこそもっと早く犯人を捕まえられなかったことに苦々しい思いをしており、その犠牲になった悠乃の心からの願いを無碍にすることは出来なかった。
そうして折れた速水は、この数年間悠乃に警察官としての教育を行ったり悪魔に関する知識を与えたりと彼女の指導をしてきたのだ。
「だから、お前の方でもちょっと気に掛けてやってくれ。出来るなら少しでもあの二人を歩み寄らせてやりたいが……あんまり外野が首を突っ込むと余計に悪化する可能性があるからな」
「まあそこは上手くいことやってみますよ。悠一は悠乃がここに入ることは?」
「悠乃をここに入れると決めた時に伝えてあるが……あの頃は悠一も随分荒れててな、聞く耳を持たなかったから覚えているか分からない。まあこの件に関しては俺から伝えておく」
「了解です」
そう言って会話を終了させた数日後、それから初めて和也は悠一と顔を合わせた。既に速水から話はいっているらしく妙に不機嫌で中々話を切り出しにくい。
重苦しい雰囲気で仕事の話が終わると、和也は意を決して軽々しい口調で悠一に声を掛けた。
「そういえばさー速水さんが言ってたんだけど新しいやつ入ったんだってなー」
「……」
「俺も会わせてもらったんだけどさ」
「会った、のか」
「ん? そうそうこの前な。随分ちびっ子だったなー」
「そうか……まだ、ちびのまま、か」
ようやく返って来た反応は思ったよりも悪いものではなかった。何度も頷いて肯定すると、悠一は和也を一瞥して妙に複雑な表情を浮かべる。怒っているような、喜んでいるような、悲しんでいるような……何ともいえないその顔に和也も思わず黙り込む。
「……和也」
「な、なんだよ」
「あいつ――」
「お客様、もう到着しておりますよ」
「っ!? ……あ、ああ、すみません」
いきなり掛けられた声に一瞬にして目が覚めた。我に返った和也が周りを見回すと、そこはがらんとした機内で、CAの女性だけが彼の傍にいる。どうやら随分と深い眠りに着いていたらしい。
急いで飛行機から降りて空港内を歩き出す。飛行機の中で切っていた携帯の電源を付けると“迎えを寄越すので連絡を“と家のものからメールが来ていた。しかし和也はそれを無視すると預けていた荷物を受け取ってそのままタクシーに乗り込んだ。
一人で行動した方が楽だ。悠乃達のような同僚ならまだしも家の用事で護衛に囲まれた時など息が詰まる。和也にはコウがいる。だから護衛や送り迎えなどいらないと常々言っているのだが、家族はあまり聞く耳を持たないのだ。……一度誘拐されている分心配になる彼らの気持ちも分かってはいるが。
タクシーに揺られながらぼんやりと先ほどまで見ていた夢を思い出していると、あっという間に警察署付近まで到着する。近場で降りて歩いて署内に入りいつもの部屋の扉を開けると、そこには怒り心頭といった様子の悠一が和也を睨んでいた。
「和也、お前……」
「は、はは……よう、悠一。仕事お疲れ様」
「誰の所為だ誰の!」
「悪かったって! 今回のことは速水さんも知ってたし……」
「あの人も一体何を……」
さらりと速水に責任を転嫁させて矛先を逸らせた和也は、今の内にと彼の機嫌を取るべく旅行鞄の中を漁った。取り出したのは水族館オリジナルのクッキーの缶だ。
「ほら、お土産もあるぞ」
「そんなもので誤魔化せるとでも」
「悠乃からだから、な?」
「……」
胡乱な眼差しで和也とクッキー缶を見比べた悠一は「……二度目はないからな」と低い声で言って差し出されたそれを受け取った。流石悠乃の効果はすごい、と和也が内心で感心していると「それで」と先ほどよりも幾分か機嫌を戻した悠一が話を切り出す。
その次に続く言葉を、和也は聞かずとも既に分かっていた。
「……あいつ、どうしてた」
夢の中で悠一が言いかけていた言葉が重なる。いつもいつも妹のことを気に掛けている癖に、どうして自分で直接確認しないんだと溜息が出た。
世話の掛かる兄妹だと呆れながらも、和也は今日も二人の間の伝達係を続けるのだった。




