31. お土産
次に五人が向かったのは水族館だった。巨大な水槽を悠々と漂う魚やイルカショーを楽しんだ後、続いて向かった先はフードコートと隣接した土産コーナーである。いくつかの店が固まっているこのエリアは随分賑わっており、悠乃達は待ち合わせ場所を決めて各自自由行動をすることにした。
「悠乃、何買うか決めた?」
「うん、大体決まったよ」
買い物途中で悠乃と合流した理緒は彼女の手元に視線を落とす。買い物かごに入れられているのは包装紙に包まれているいくつかの菓子類らしき箱だ。
「クラスの子達と職場の先輩と、あと速水さんと……」
「自分のは何か買わないの?」
「自分の? うん、私はいいや」
「もったいない。折角来たのに」
旅行に来られただけで既に悠乃は十分に満足しており、自分の分までお土産を買うこともないだろうと考えていた。写真は撮ったので思い出は十分残すことが出来ている。
しかし粗方買うものは決まったのだが、悠乃は一人だけお土産をどうするべきか非常に頭を悩ませていた。
「兄さんは……どうしよう」
和也が来ているのだから悠乃が沖縄に行ったことは知られることだろう。しかし自分が仕事をしているのに旅行を楽しんで来たと言わんばかりにお土産を渡すのも――実際に渡すのは恐らく速水か和也だろうが――少々気が引ける。だが逆に渡さないというもの失礼な気もするのだ。
悠乃はさんざん悩んだ結果、最終的に無難にクッキーの缶を購入して和也に渡してもらうことにした。
「そういえば、さっきから朝日一度も見かけてないけど……」
「ああ、蒼君ならお土産買わないからちょっとふらっとしてくるって」
「ふーん、そうなんだ」
お土産を渡す相手などいないとはっきりと言い切った蒼に、悠乃は苦笑しながらその背中を見送ったのだった。
再び理緒を別れてようやく買い物を全て終了させた悠乃が待ち合わせ場所であるフードコートへ戻ると、そこには星崎が多くの荷物と共に飲み物を片手に腰を下ろして休んでいた。
「星崎先輩」
「あ、鏡目さんは終わった? 理緒は少し前にまだ掛かるって一旦荷物を置きに来たよ」
「そうだったんですか」
てっきり星崎が全て購入したのかと思った悠乃は少し驚いたが、恐らく殆どは理緒のものなのだろう。悠乃も一度荷物を下ろすと、傍の店に売っていたクレープを購入して星崎の前の席に座った。
「沖縄はどう?」
「すごく楽しいです! こんなに楽しいと思ったのは久しぶりで……」
「大袈裟だなー、まあ嬉しいけどね。だけどまさか君たちとこうして旅行に来るなんて流石に全く予想してなかったよ」
「すみません、二日間お世話になります」
「いやごめん、そういう意味じゃなくて……朝日君や鏡目さんはうちの学校でも中々有名人だからね。僕みたいな地味な人間がこんな風に話すようになるなんて思ってなかったんだよ」
「有名?」
思わぬ単語を聞いて悠乃は目を瞬かせる。潜入捜査をしているというのにそんなに目立つような行動を取ってしまっていただろうか。
「それは……クラス委員だからですか?」
「違う違う。その、なんていうか……あの朝日君を手懐けた子って結構噂されてるんだよ」
「……て、手懐けるって?」
「先輩にも教師にも全く遠慮がないし、女の子はとっかえひっかえ、おまけにあの性格……そんな朝日君が二年に上がってから随分大人しくなったって色々言われてたんだ。君が朝日君の手綱を握ってるってね」
「そんなことはないんですけど……」
「まあでも、そんな噂が流れるくらい朝日君とは仲がいいんだろう? 彼と付き合える鏡目さんは正直言って尊敬するよ」
僕には絶対に無理だ、と断言する星崎に悠乃は曖昧に笑みを浮かべた。何と返したものかと困っていたとも言う。
「お、美味そうだな。ちょっと寄越せ」
そのまま場繋ぎにクレープを頬張っていると三口目を食べようとしたところで突然上から伸びて来た手にクレープを奪われてしまった。一瞬驚いた悠乃だったが、すぐに犯人が分かると彼女は少し怒ったように悠乃が座る椅子の背後に立つ和也を見上げる。
「和先輩、返して下さい!」
「あー、あれだよあれ。俺今日誕生日だから」
「流石にもう騙されませんよ……って、ああ!」
最早騙す気もないくらいの適当さでそう言った和也の口に悠乃のクレープが吸い込まれていく。半分以上残っていたというのにほんの二口でそれらを平らげた和也に、流石の悠乃も「酷いです!」と声を荒げた。
「自分で買えばいいじゃないですか!」
「今食べたかったんだよ。もう一個新しいの買ってやるから許せ」
「……分かりましたよ」
そう言ってクレープ屋に向かった和也に悠乃も怒りを収める。怒涛の勢いで現れて去って行った和也をぽかんと見ていた星崎は「変な人だなあ」と素直な感想を述べた。
「和先輩はいつもあんな感じですよ」
「……鏡目さんも大変そうだな。というか良かったのか? 食べかけのやつ食べられたけど」
「新しいのと交換なら別にいいですよ。人の食べてるものって美味しそうに見えちゃいますから、先輩もつい欲しくなったんでしょうし」
「いやそういう意味じゃ」
「おーいちびすけ、これでいいか?」
戻って来た和也を見て会話が中断する。ほい、と差し出されたものは、先ほど悠乃が頼んだものよりも随分と豪華になっていた。バナナとチョコソースだけだったシンプルなクレープが、今やイチゴやミカンが乗り、カスタードクリームと生クリームが包まれている。勿論値段も高くなっているだろう。
「先輩、差額返します」
「いらねーって」
「でも……」
「後輩は精々先輩の心遣いに感謝してとっとと食べろ」
財布を取り出そうとする悠乃を制して和也は首を横に振る。迷惑料として取っておけばいいものを、たったこんなことでも悠乃は遠慮してしまうのだ。和也は自分が悠乃に嫌われているとは微塵も思っていないしそこそこ親しまれているとは感じるが、それでも絶対的な一線が引かれているのは揺るがない事実だった。
和也だけではない、速水に対してだってそうだ。悠乃はどんな些細なことでもなかなか他人に甘えようとしない。
「ただいま……ん? 何か食ってんのか」
「蒼君おかえり」
のんびりと戻って来た蒼が悠乃の手に視線を向ける。「食べる?」と悠乃がクレープを差し出すが、彼は無言で首を振って悠乃の隣の席に腰を下ろした。
「ふーん……ちびすけ、俺には怒った癖にそいつには自分から上げようとするんだな」
「先輩は勝手に奪って全部食べたじゃないですか、全く状況が違いますよ」
「鏡目さんは食べ回しとか気にしないタイプなのか?」
先ほど遮られた星崎が改めて悠乃に問いかける。理緒のような女友達ならともかく、平気で異性である和也や蒼にクレープを分け与える悠乃に、星崎は少々首を傾げた。
しかし当の悠乃は、彼の質問にごく普通に首を振って答える。
「他の人にはしないですよ」
「へえ、俺は特別扱いか?」
「今まで何度盗み食いされてきたと思ってるんですか。今更気にしません」
「それもそうか」
あっさりと納得する和也に悠乃は嘆息する。少しも反省する気がない。
諦めてクレープを咀嚼していると、今までずっと無言だった蒼が悠乃を窺いながら静かに口を開いた。
「……やっぱり食べる」
「ん? いいよ」
何故か少々不機嫌混じりの声でそう言った蒼にクレープを差し出そうとした悠乃は、しかし一旦その手を止めた。普段お腹を空かせていることが多い蒼にはつい食べ物を分け与えたくなるので悠乃は特に気にしないが、もしかしたら蒼は嫌かもしれない。
「蒼君、食べかけだけど大丈夫?」
「どーでもいい」
「そ、そっか」
本当に心底どうでもよさそうに言われ、悠乃はクレープを手渡す。何だか自分だけが意識してしまったようで無駄に恥ずかしい思いをした気分になった。
「あらあらあら、よく来たわねえ!」
理緒が合流するのを待ってから水族館を出発し、日が落ちる少し前に理緒達の祖母の家へと到着した。
「はじめまして、お世話になります」
「こんなにお客さんが来るなんて久しぶりねえ。どうぞ好きに寛いでいってね!」
迎えてくれた理緒達の祖母は、見掛けは貴族の老婦人のような気品のある人だ。しかし中身は随分と賑やかな性格らしく、悠乃の手を取ってぶんぶんと上下に振り回して喜んでいる。
「ささ、お夕飯もたくさん用意してあるからいくらでも食べて頂戴!」
おばあさんは軽い足取りで悠乃達の背後へと回るとその華奢な容姿に似つかわしくないパワフルさでぐいぐいと背中を押してくる。
「いえ、俺は送っただけなのでお暇させて……」
「若い子は遠慮しないの!」
帰ろうとした和也も巻き込んで強引に食卓まで連れて行く。その勢いのよさに諦めが付いたのか、夕食だけは頂こうと和也も自ら歩き出す。
「……それにしても、すごいお屋敷ですね」
沢山の料理が並ぶ夕食のテーブルについた悠乃は、周囲を見回して思わず感嘆の声を上げる。外から見た時も随分大きな洋館だなと思ったものだが、内装がまたすごいのだ。テーブルの上を見上げれば大きなシャンデリア、アンティークらしき振り子時計、棚に置かれているいくつもの高価そうな調度品。まるで日本ではないような景色に飲み込まれそうになる。
「理緒ちゃんってお嬢様だったの?」
「そんな訳ないよ。これは曾お祖父ちゃんの趣味……だったよね?」
「そうなのよ。定年して今まで集めたコレクションと一緒にこの家を建てたんだけどね? 満足したのかすぐにぽっくり逝っちゃって。もったいないから私が沖縄に移住することにしたの。だけど遠いからかあんまり子供達も来てくれなくていつも寂しいのよ。亮や理緒は結構来てくれるんだけど」
「そういえば、電話で伝えておいた書庫の件なんだけど……」
「ええ、いくらでも見て行って! 私には何が書いてあるかさっぱりだけど、理緒も亮も本当にあの書庫が好きねえ」
書庫の本というのも、元々は曾祖父の私物なのだという。彼がどういった経緯で悪魔関連の書籍を所持していたかは調べてみないと分からないが、その当時ならば警察によってある程度管理されている今よりもずっとそれらの本は手に入れやすかったのだろう。
翌日の調査の結果がどうなるか、悠乃は今から調べに行きたい気持ちを押さえながら大人しく夕食を口にした。
「はあ……」
夕食の後、風呂に入れば今日はもう寝るだけだ。広い屋敷なので一人一部屋借りることが出来た為、悠乃は今一人だ。
「……」
ベッドに横になると途端にどっと疲れが体を襲う。ぼんやりとしながら今日の出来事を思い返していた彼女は、不意に脳内で再生された兄の怒声に人知れず体を震わせた。
悠乃は、未だに兄を恐れている。以前よりは僅かに会話も増えたが、それも直接顔を合わせてはいない。七年前のあの事件以降、悠乃は悠一と一度も会っていないのだ。
「……お兄ちゃん」
昔呼んでいた懐かしい呼び方を口にする。もう二度と、面と向かって兄のことをそう呼べる日など来ないだろうけれども。




