27. 旅行計画
「ねえ理緒ちゃん、聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「理緒ちゃんのおばあさんの家って……悪魔に関する書籍があるって言ってたけど、それってどうしてか分かる?」
本日の授業が終了しざわざわと騒がしい教室。そんな喧噪に紛れるように、悠乃は隣の席に身を乗り出してこっそりと聞きたかったことを尋ねた。勿論悪魔なんて言葉を聞かれないようにする為だ。
しかし理緒は悠乃の言葉に唸るようにして悩んだ後大人しく首を横に振った。
「さあ。私もなんでこんなものあるのかなーって感じで見てたし……おばあちゃんは知ってるだろうけど」
「その本以外にも色々オカルトの本があったんだよね? 他のはどんな感じだったか聞いてもいいかな」
「……あれ、他にもいっぱいそれっぽい本があったって悠乃に言ったっけ?」
「ん? 理緒ちゃんから聞いた気が……あ、違う。これは星崎先輩だったかな」
「亮?」
きょとんと理緒が目を瞬かせる。そういえば理緒は星崎の従妹だと聞いていたが、それについて彼女とは何も話をしていなかったと悠乃は思い出した。
「なんで悠乃が亮のこと」
「亮って星崎先輩のことだよね? 前に捜査の為にオカルト部に話を聞きに行ったことがあったんだ。理緒ちゃんと従兄妹同士だって聞いたけど」
「うん。そっか、亮もあの書庫の本読んでたんだ」
「英語だったから殆ど読めなくて理緒ちゃんに翻訳してもらえばよかったって言ってたよ」
「あいつは……オカルト好きなら辞書片手にでも頑張ってみればいいのに」
呆れたように呟いた理緒は「ちょっと待って思い出すから」と口元に手を当てて考え込んだ。ややあって視線を上げて悠乃を見た彼女は確か、と思考を巡らせながら口を開く。
「結構悪魔関連が多かったけど、後はね……魔術とか何かの儀式のやつとかだったかな。背表紙のタイトルだけざっと見たのも多いからそのくらいしか覚えてないけど」
「そっか……」
「気になるんなら、もしよかったら今度おばあちゃん家に来る?」
「いいの?」
理緒が知識を得た本に関しては速水も気にしていた。悪魔に関する情報が一般の人間に広がるのはよろしくない。面白半分で呼び出して取り返しのつかないことになる可能性だってあるのだ。そんなに多くの悪魔に関する本を所有しているというのは何故なのか、そちらに関しても調査出来るのならばそれに越したことはなかった。
「いつなら大丈夫かな?」
「あ、ごめん言い忘れてたんだけど……うちのおばあちゃん家、本州じゃないんだよ」
「ん?」
「沖縄、なんだけど」
思いの外ずっと遠い。飛行機の予約を取らないといけないのですぐには無理だろう。
「せっかくだし夏休みになってから何日か泊まりに来たらいいよ。そしたら観光とか一緒に遊ぶこともできるし」
「泊まり……」
「あ、無理?」
「ううん、そうじゃないんだけど」
友人と泊まり込みで遊ぶなんて悠乃はしたことがない。小学生の頃とて林間学校すら行けなかったのだ。じわじわと喜びがこみ上げて来て無意識に顔が綻ぶ。
「ちょっと速水さんに大丈夫か聞いてみるね」
夏休みは一か月後だ。それまでにまた期末テストも迫っているが、以前よりもずっと心は落ち着いている。
「あ、蒼君!」
不意に帰ろうと教室を出ようとした蒼が視界の端に映り、悠乃は慌てて呼び止める。彼女の声に気付いた蒼は踏み出そうとした足を止めて振り返ると首を傾げて「そんなに慌てて何かあったのか?」と彼女達の傍に近づいた。
「ねえ理緒ちゃん、蒼君も一緒にいい?」
「別にいいけど……」
「何の話だ?」
「夏休みに理緒ちゃんのおばあさんの家に行くことになったの。ほら、悪魔の本とかあるって言ってたでしょ? 調査したいなって」
「ああ、そんなこと言ってたな」
「だから蒼君も一緒に行かない? 沖縄なんだって」
蒼の目的は分からないが、悪魔関連であることは確かである。ならば彼にとっても何かしら目ぼしい情報があるかもしれない。そう思ったからこそ悠乃は声を掛けたのだが、しかし沖縄という言葉を聞いた瞬間、彼は途端に難色を示すように眉間に皺を寄せた。
「沖縄はなあ……」
「駄目そう?」
「旅費が、な」
「あ」
普段の食費すら気にしている蒼だ、沖縄への旅行は確かに厳しいのだろう。
「そっか……」
「俺も行きたいけど……まあ結果だけ後で聞かせろ」
「ま、朝日の分まで私が悠乃に協力するから」
「ありがとう……」
理緒の言葉にお礼を返しながらも、悠乃の表情は優れない。理緒はこの学校で始めて出来た友人であるし、蒼も一番の理解者だ。初めての友人との旅行に浮足立っていた悠乃は、蒼が一緒に行けないことを知ると、当の本人よりもがっかりしてしまった。
「ん、なんだ? 悠乃は俺が居なくてそんなに寂しいのかー?」
「それは勿論そうだよ」
「……」
「……ふっ」
いつものように軽口を叩いた蒼に悠乃もいつも通り照れもせずに素直に言葉を返す。一瞬呆けたように目を瞬かせた蒼を傍で見ていた理緒は、珍しい彼の表情に思わず小さく噴き出した。
自宅に戻った悠乃は先ほどの件を速水に伝えようと電話を手に取った。数日遠出をすることになるので、当然上司兼保護者の許可が必要になる。
しかしいざ電話を掛けようとしたところで悠乃は一旦手を止めた。速水は最近署に詰めていて家に帰って来ない。だからこそ電話で伝えようと思ったのだが……せっかくだ、差し入れを持って直接会いに行こうと思いついたのだ。
悠乃は私服に着替えるともう一度外に出て警察署へ向かった。道中のコンビニに寄った彼女は速水の好きな抹茶味を始めとしたいくつかのアイスクリームを購入してから警察署を訪れ、ICカードを通して中に入っていく。
「失礼します」
「ああ……悠乃?」
「差し入れ持って来ましたよ」
「差し入れ? ラッキー!」
悠乃が部屋へ足を踏み入れると少し驚いた顔をして速水が振り返る。その二つ隣の机で仕事をしていたらしい和也も顔を上げると、喜色満面と言った様子で立ち上がり悠乃の傍までやって来た。
「珍しいですね、またここで会うなんて」
「ある程度任務の方が片付いてきたから速水さんに報告も兼ねてな。それより差し入れってなんだ?」
「アイスです。どれがいいですか?」
ビニール袋の口を平げて中身を見せると和也は真っ先にクッキーが入ったバニラアイスを掴む。そのまま速水の所へ持って行こうとしたのだが、その前に更に和也の手が伸びて抹茶味のアイスクリームを持って行ってしまう。
「和先輩、駄目ですって!」
「いいじゃん、俺今日誕生日だし二つくらい寄越せよ」
「え、そうなんですか? おめでとうございます!」
「……悠乃、そいつの誕生日はまだ先だ」
「速水さんばらさないで下さいよー」
また嘘を吐かれたらしい。和也は普段からしばしば適当なことを言うが、あまりにもさらりと言われるので毎回悠乃は信じてしまうのだ。
悠乃は手を伸ばして和也の手から抹茶のアイスを取り返す。そもそもこれは最初から速水の分だ。
「もー、食べるのはいいですけどこれは駄目です」
「あ、そういえばおっさん抹茶好きだっけ」
「……和也、頼むからお前までその呼び方は止めろ」
げんなりとしながら速水が嘆息する。どうにもそう呼ばれると蒼を思い出すのだ。
速水の机にアイスを置いた悠乃は、残りを部屋の一角に置かれた小型冷蔵庫の冷凍室へしまい、そしてようやく本題をと速水を振り返った。
「それで、速水さんに話があったんですけど……」
「何だ?」
「夏休みに理緒ちゃんが一緒におばあさんの家に泊まりに来ないかって言ってくれたんです。ほら、あの悪魔に関する本があるって言ってた」
「……ああ、その件か」
「場所が沖縄なんですけど……行ってもいいですか?」
「勿論だ、いずれ調査したいと思っていたしな。潜入捜査の関係上今までしっかり休暇も取れなかったし、この機会に少しは遊んで羽を伸ばして来るといい」
悠乃が窺うように尋ねると速水は快諾する。彼としては調査も兼ねているとはいえ悠乃がこうして普通の高校生のように友人と過ごしてくれることが嬉しいのだ。
ほっと安堵した悠乃の傍でそんな様子を見ていた和也は木のスプーンを口にくわえながら「羨ましい」と呟いた。
「沖縄かー、俺も行きてー。ちびすけ、その任務代わってやろうか?」
「代わりません」
「そういえば悠乃、一緒に行くのは時雨さんだけなのか? ……その、朝日君は」
「蒼君は残念ですけど無理って言われました。旅費が……」
「ああ……そうだったな、彼の両親は」
蒼の両親は亡くなっている。今どうやって生計を立てているかは不明だが、それでも旅行に行っている余裕は無いのかもしれない。
少し落ち込む悠乃に反して速水は内心ほっとしていた。蒼が何を考えているのか分からないということもあるが、何より自分の娘同然の大事な子が外泊するのに男、よりにもよって蒼のような色々な意味で疑わしい人間が一緒なのが不安だったのだ。
しかし速水はそこまで考えたところで悠乃が酷く不思議そうな……もっと言えば困惑した表情を浮かべているのに気が付いた。
「悠乃?」
「どうして速水さんが蒼君の両親のこと知ってるんですか?」
そこまで言われてようやく失言に気が付いた速水は思わず苦い顔をした。捜査中だったら言い訳できない酷いミスだ。
「もしかして、蒼君のこと調べたんですか」
「……彼が不審な行動を取っているのは事実だろう、調べておくに越したことはない」
それにそんなに調べた訳ではない、と言い訳がましく口にする速水は、悠乃の視線が妙にぐさぐさと突き刺さる感覚を覚える。実際の所そこまで彼女はきつい視線を向けている訳ではなく、ただ速水が気まずさにそう錯覚しているだけである。
「あの、速水さん。蒼君は普段あんな感じですけど、悪い人じゃないです」
「なんだちびすけ、お前男でも出来たのか?」
「違います!」
必死で言い募る悠乃に和也が揶揄う気満々で茶々を入れる。しばらく言い争いを続ける二人を、速水は抹茶のアイスを口にしながら眺めて小さく溜息を吐いた。どういう感情を抱いているのかは分からないが本当に、随分悠乃は蒼に入れ込んでいるなと。
「速水さん」
「何だ」
「さっき悠乃が言ってた蒼っての、どんなやつ?」
悠乃が帰った後、暫し沈黙が訪れた室内で和也が不意に口を開いた。
「急にどうした?」
「いやー、悠一だって妹に近づく男がいるって知ったら驚くだろうなって」
「あいつら兄妹で遊んでやるな。お前と違って繊細なんだ」
「俺だって十分繊細ですって」
まったく、と疲れたように言った速水は気を取り直して「あんまり悠一には余計なこと言うなよ」と前置きして話し始めた。
「朝日君は悠乃の捜査の協力者だ。お前もこの前来た時に見たはずだが」
「……あー、そういえば一人男が居ましたね」
「正直何を考えているのか分からんやつでな……そうだな、あと少しお前に似てる」
「俺?」
「たまに無性に腹が立つ」
「おいおい……」
速水の容赦ない言葉に和也の表情が引きつる。その反面、蒼に対する興味も沸いた。
「悠乃はああ言ってるし、随分信頼しているようだが……」
「まあ悠乃ですからね。あいつ騙されやすいし」
「普段騙してるお前が言うことじゃなからな……まあいい。それに一番気になるところが、な」
「何かあるんですか?」
「朝日蒼は悪魔が見える」
「は?」
「本人は肯定しないし悠乃は彼を庇って嘘を吐いているが、確実だ。何よりそんなやつが何の目的で悠乃に協力するのか分からない」
悠乃が蒼を信用することが悪いとは言わない。だが彼女の代わりに疑う人間も必要だとは思うのだ。
渋い顔をする速水をじっと観察するように見ていた和也は、ややあって「ははあ」としたり顔で納得したように手を打った。
「速水さん、実はあれでしょう?」
「?」
「確かにその蒼ってやつが怪しい人間っていうのもあるけど、実際のところその男を庇った悠乃に嘘を吐かれたのがショックなんじゃないですか?」
「……」
「今まで俺らにも完全には心を開かなかった悠乃が、保護者の速水さんよりもぽっと出の男の方を選んだ訳ですからねえ」
違うとは言えなかった。何しろそれは、出来る限り速水が考えないようにしていたことだったのだから。上司として悠乃の捜査の支障になりかねないと蒼を危険視するのは普通だが、和也の言い分ではただ単に速水が蒼に対して嫉妬しているだけだと認めるようなものなのだ。
「悠乃が信頼できる人間を見つけたこと自体は喜ばしいことなんだが」
「でも納得が行ってないと」
上司としても、保護者としても。
「じゃあこういうのはどうでしょう」
「和也?」
「俺がそいつを見極めて来てやりますよ。悠乃が信頼できる相手かどうか……一石四鳥の方法でね」
いいこと思いついた、と楽しげに笑う和也を見た速水は、やっぱりこの二人は似ていると少々不安を抱きながらその方法とやらに耳を傾けるのだった。




