25. 利用
「……どういう状況だ」
「ははは……さあ、俺の意図するものではないので」
蒼から連絡を受けた速水が現場に到着した時、何故か悠乃は泣きながら蒼に抱き着いて離れなかった。速水の目がどんどん冷たくなっていくのに、身動きの取れない蒼は流石に少々冷や汗が出る。冗談でなくこのまま撃ち殺されるかもしれないと思ってしまうほどの気迫だった。
「あ、悪魔憑きの男はそこに転がってますよ」
「……協力、感謝する」
蒼の指差す先へ視線を向けると、一人の中年男性が仰向けになって白目を剥いていた。連れて来た部下に魔法陣を確認するように言い渡した速水は、それよりもと蒼の腕の中にいる悠乃に視線を移した。
「悠乃?」
蒼に寄りかかる悠乃が不意に体重を掛けて来る。蒼が彼女の顔を窺うと、どうやらまた意識を失ってしまったようでぐったりと目を閉じていた。しかし先ほどのように酷く苦しんだ表情ではなく、ただ疲れて眠ってしまっただけのようだ。
速水が駆け寄って奪い取るように悠乃を抱える。その足首が大きく腫れあがっているのを見て顔を歪めた彼は「何があった」と蒼を問い詰めようとして、しかし思い直して一旦口を閉じた。
「……とりあえず悠乃を休ませないといけない。朝日君、これからうちで事情聴取をしたいんだが構わないか?」
「いいですけど」
「速水さん、左腕に魔法陣を確認しました」
「ちなみに悠乃がこうなったのはだいたいそいつの所為です。悪い噂しかないやつなんで、調べればボロボロ余罪が出て来るんじゃないですかね」
「この男はどこで知ったんだ?」
「うちの学年主任ですよ」
「……世も末だな」
呆れも通り越した速水が月島を部下に運ばせると、彼も悠乃を抱え直して「君も乗りなさい」と蒼を車に促した。
月島を乗せた車は警察署へ、そして速水が運転する車は悠乃達の暮らすアパートへと到着する。蒼が触れる前に悠乃を再び抱えた速水は、蒼に鍵を渡して「済まないが開けてくれ」と目でアパートの部屋を示した。
蒼に任せた方が手間が少ないというのに、過保護なものだと少々呆れながら蒼が部屋の鍵を開け、速水は部屋の奥へと早足で進んでいく。蒼も勝手に上がると以前訪れたリビングのソファに腰掛け、速水が戻って来るのを待ちながらおもむろに懐に手を当てた。
「すまない、待たせたな」
戻って来た速水に鍵を返しテーブルを挟んで向き合う。どう説明しようかと思考を巡らせる蒼をよそに「何があったか、最初から教えてもらえるか」と速水は急くように早口で言った。
「最初からというと?」
「あの男のこと、どうして悪魔憑きだと知ったのか。それが知りたい」
「そうですねえ……」
速水の質問に、蒼は間延びした声で相槌を打つ。実際の所、蒼はどうして悠乃が月島を悪魔憑きだと知ったのか分からないのだ。
「あの男は月島、さっき言った通りうちの学年主任です。生徒に手を出してるって噂があったり……まあ碌でもない男です。悠乃にも色目使ってたみたいですしね」
「なんだと」
「それと月島が悪魔憑きだと把握したのは悠乃です。俺は知らないのであいつに聞いてください」
「……悠乃の怪我は」
「足首は今日の体育祭の時に。だけど月島と交戦中に悪化したみたいですね」
「みたい、とはどういうことだ。君は一緒にいなかったのか?」
「……ええまあ」
悠乃が月島の車で送られると聞いた蒼は咄嗟に後を追った。悠乃が満足に動けない今、月島が悪魔憑きであろうとなかろうと危険なことは言うまでもなかったからだ。実際悠乃は車から降りて路地へ逃げたようであった。
悠乃に何かあったら蒼が困る。彼女は蒼の目的に必要な人間なのだから、とまるで自分に言い訳するように思った。
「朝日君が現場に来た時、どんな状況だった」
「ちょうど悠乃が倒れた所でした」
「あいつは悪魔にやられたのか?」
「……さあ、俺は見えないから分かりませんけど。俺は月島を気絶させただけですから、先に悠乃が悪魔を倒したんじゃないですか?」
「……」
悪魔が見えることは速水も承知だろう。だが蒼は勿論白を切った。厳しい顔を向ける速水にへらへらと笑みを返すと、彼は眉間に皺を寄せて更に眼光を鋭くする。「事情聴取の意味がないな」と小さく呟いたのが聞こえた。
「……もういい、あとは月島と悠乃に聞いておく。月島の魔法陣が既に効力を無くしていたから悪魔が消えたのは事実だしな。……それにしても、悠乃は無理をし過ぎだ。君が連絡してくれて助かった」
「……速水のおっさんは、悠乃のことが大事なんですね」
「当たり前だろう。……本当は、悠乃にはこんな危険な仕事をしてほしくはないんだがな」
「では何故あいつはこの仕事を?」
「……上層部の決定もあるが、何より悠乃が望んだことだ。あいつの性格上、君たちのように普通に学校へ通う方が幸せだと俺は思うんだが――」
「速水、さん」
速水の声に小さな声が紛れ込む。顔を上げた二人はリビングの扉に寄りかかるようにして立っている悠乃の姿を見つけた。いつの間にか目を覚ましていたらしい。
「悠乃、起きていたのか」
「ごめんなさい、私……」
ふらりと悠乃の体が傾く。足を怪我していることもあるが眩暈もする。しゃがみ込んだ彼女の元へ駆け寄った速水は「とにかく元気になるまで寝てなさい」と彼女を部屋へと送ろうとする。
しかしそれを制止したのは蒼だった。
「おっさん、俺が連れて行きますよ」
「蒼君……?」
「ちょっと話したいこともあるので」
速水の返事を聞く前に蒼は悠乃を支える。困惑した彼女と「おい!」と声を上げる速水に笑って返した彼はそのまま悠乃を連れて廊下を歩き出した。
「……悠乃、何かあったらすぐに呼ぶんだぞ」
「信用ないですねえ。俺だって傷つきますよ」
そう言いながらも勿論けろっとしている蒼は悠乃に部屋を聞いて扉を開ける。彼女の部屋は一般的に想像するような女子高生の部屋とは違い、酷く物が少ない殺風景な空間だった。家具はといえばベッドとローテーブルくらいだ。
ベッドに悠乃を座らせた蒼はローテーブルの傍に腰を下ろす。気まずそうに視線をうろうろと彷徨わせた悠乃に対し、蒼は気にした様子もなく懐から何かを取り出して彼女の目の前に差し出した。
「返しとく」
「え」
蒼が悠乃に渡したのは、彼女の拳銃だった。
「どうして蒼君がこれを」
「ちょっと借りたんだよ。おかげで悪魔を倒せた」
「……蒼君が倒してくれたんだ」
悪魔の術で抵抗も出来ずに意識を失った悠乃とは違い、蒼は悪魔を倒したのだ。
「あれ、でも私確か悪魔の術に掛かってたはず……」
「悪魔が居なくなったから効果が無くなったんじゃねーの?」
「……そっか。でも」
悠乃が閲覧したデータでは、確か前回悪魔が送還された後も術の効果は持続されていたはずだが……彼女が悠乃を甘く見て軽い術を掛けたのか、それとも以前よりも悪魔自体が弱体化していたのか。いずれにせよ目覚めたのは幸運だったと悠乃は息を吐いた。
だがどんな術を掛けられたのかは記憶に残っていない。ただ……そうだ、酷く恐ろしい何かだった。
悠乃は蒼の表情を窺う。一度目が覚めた時、悠乃は確かに蒼に救われたのだと思っていた。それはただの悠乃の勘違いなのだろうか。蒼が悪魔を倒したのだと無意識に理解してそう感じたのかもしれない。
……けれど、蒼を見ていると何故かとても安心感を覚える。
「あの、月島先生は……」
「適当に殴って気絶させといたけど」
「……すごいね、蒼君は」
一人でやると言いながら、結局月島も悪魔も蒼が倒したのだ。何も出来なかった。ただ悪魔に苦しめられていただけだ。悠乃は膝の上で強く両手を握りしめた。
「私、警察官失格だ」
「……そんなにこの仕事にこだわる理由でもあるのか」
「それは……」
蒼の言葉に悠乃は返事を濁す。しかし気が付けば彼女は再び口を開いていた。誰にも言うつもりなどなかったというのに、何故か蒼なら大丈夫だと、無意識に考えてしまっていた。
「……昔、私は家族で行った遊園地で初めて悪魔を見たの。だけどそれに気付いた悪魔が、口封じに私を殺そうとして……私を庇ったお母さんとお父さんが死んでしまった」
悠乃と悠一が悪魔を見ることが出来たのは恐らく母親の遺伝だろう。彼女は悠乃に危険が迫っているのをその目で見たからこそ悠乃を庇ったのだ。
「残ったのは兄さんと私。兄さんは悪魔に復讐する為にこの仕事をし始めた。私は……憎まれて、置いて行かれた」
「……」
速水が悠乃を引き取るまで、彼女は保護されて警察病院の小さな白い一室で過ごしていた。勿論食事などは与えられたし何度も警官や看護師が様子を見に来たが、それでも兄に捨てられた悠乃の虚ろな目に彼らが映ることはなかった。
「私の所為だから、仕方のないことだって分かってる。でも、それでも、兄さんの傍に居たかった」
一人にしないで、と言いたかった。しかし罪の重さからそんなことは決して口には出せなかった悠乃は、ただ必死に兄を追いかけて同じ仕事を選んだ。罪滅ぼしと言いながら、結局の所全て自分の為だったのだ。
いい子になれば、頑張っていればいつか傍にいることが許されるだろうか。強くなって兄の役に立てれば自分を見てくれるだろうか。……そんなこと、あるはずもないのに。
「速水さんも私をこの仕事から外したがってる。……もう私には、ここしか居場所なんてないのに」
「ふうん。じゃあ俺の所に来るか?」
「え?」
「なんてな。それは嫌なんだろ? だったら……お前の実力をあいつらに認めさせてやらねえとな」
重たい空気を吹き飛ばすようにさらりとそう言った蒼は、立ち上がると悠乃の隣に移動する。
「悠乃だって分かってんだろ? うちの学校がどれだけ異常か」
「……うん」
短期間のうちにこんなに悪魔を見るなんて可笑しい。ただの偶然で片付けられる問題ではないのだ。
「その理由と原因の大本。それらをどうにかしたらさぞかし大手柄だろうな。あいつらだってお前を認めざるを得ない」
「でも……私には無理だよ」
「どうしてそう言い切れる?」
「私の力じゃ、そんな大きなこと解決するのは無理だよ……私、今まで何回も途中で捜査を打ち切られて来たの。この前も兄さんが速水さんに止めさせろって言ってたのを聞いた。現に今回も前回も、蒼君が居なかったら私――」
「じゃあこうすればいい」
無理だと言って俯く悠乃に、蒼は彼女の顔を両手で掴んで無理やり上げさせた。悠乃が顔を上げた先には、いつも通りの何かを企むような顔がある。
「悠乃、取引をしよう」
「取引?」
「この際だ、はっきり言う。悠乃、俺は最初からお前を利用する為に近づいた。自分の目的の為に」
いきなり告げられた言葉に悠乃は目を瞬かせた。蒼に何かしらの理由があることは何となく想像していたが、こうも面と向かって言われるとは思っていなかったのだ。しかし利用する為と言われても、何故か悠乃はショックを受けたりしなかった。
「目的って」
「それは今は言えない。だが、俺はこれからも俺の目的の為にお前を利用する。お前にはそれだけの利用”価値”がある。だから悠乃も同じように俺を利用してみせろ。ギブアンドテイク、対等な関係だ」
「対等……」
蒼が悠乃に向けて片手を差し出す。蒼に頼ってばかりではない、お互いに手を貸し合おうと言う彼の手をじっと見つめた悠乃は、少し泣きたい気持ちになりながら蒼に笑いかけた。
「蒼君は優しいね」
「は?」
「利用してるって本人に向かって言う人なんて蒼君くらいだよ」
相手に告げるメリットは蒼にはない。だからこれは彼が、悠乃が一方的に蒼の力を借りるのを気に病まないようにわざわざそう言ってくれたのだろう。優しいと言われて困惑する彼を見ながら、悠乃はそっと差し出された手を握り返した。
「契約、成立だな」
「ねえ、どうしてそこまでしてくれるの? 私、自分勝手に蒼君のこと突き放したのに」
「先にお前を傷つけたのは俺の方だろ。まあ、勿論俺の目的を果たす為ってのが理由の大部分。後は……」
蒼は勿体ぶるように言葉を止めて、珍しく作ったものではなく自然にふっと笑みを溢した。
「俺は約束だけは絶対に守ると決めてるんだ」
「約束?」
「そういうこと」
悠乃が首を傾げているというのに、蒼はそれ以上説明することなく口を閉じた。




