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24. 悠乃

「やだ、私も乗るの!」

「悠乃、我が儘言うんじゃありません」

「お兄ちゃんばっかりずるい!」



 大勢の人々が行き交う遊園地。日曜日であるこの日、特に混み合っていたこの場所には家族連れの客も多い。その中の一組の家族が、ジェットコースターの前でよくある口論を繰り広げていた。

 頬を膨らませて不満げな顔をしているのは小学生の女の子だ。父親と兄がジェットコースターに乗るのに自分は駄目だと言われて酷くご機嫌斜めだった。



「ずるいって、お前がちっさいのが悪いんだろ。俺に当たるなよ」

「だってあと少しなのに……」

「はいはい。来年はきっと一緒に乗れるだろうから、今日はお母さんと待ってようね」



 少女――悠乃は小学四年生だ。このジェットコースターは身長百三十センチ以上でなければ乗れないのだが、悠乃の身長は僅かに足りていなかった。彼女が顔を上げた先にいる兄――悠一は中学二年生で、勿論のこと身長制限を余裕でクリアしている。

 母親に宥められた悠乃は未だに不機嫌だが騒ぐのを止め、傍に居たスタッフに微笑ましげに見られながらジェットコースターに乗る父親と兄を見送った。


 しかし年に数回しか来られない遊園地にすぐに機嫌を戻した悠乃は、二人がジェットコースターから降りると今度は「次は私も乗るの!」とメリーゴーランドを指差した。だが悠一に「一人で乗って来い」と言われ、またもや悠乃は頬を膨らませた。



「なんでそうやって意地悪言うの!」

「男子中学生にメリーゴーランド乗れっていう方がよっぽど意地悪だろうが。いいから乗りたいなら一人で乗れ」

「まあまあ悠一、たまにはいいんじゃないか?」

「悠乃はお兄ちゃんと一緒に乗りたいのよね? さっきも一緒じゃなかったし」



 絶対に嫌だ、という悠一に対して今度は両親も悠乃の味方をする。普段は喧嘩ばかりしているがそれは悠乃が悠一に構って欲しくて仕方がないだけで、本当は悠乃が兄のことを大好きなのだと二人は分かっている。さっきは悠乃も大人しく我慢したので、今度は悠一の番だ。



「……今回だけだぞ」

「やった!」



 両親に促された悠一はややあって渋々首を縦に振った。一人で馬に乗るのは流石に恥ずかしかった悠一が、妹に付き合わされていると周囲に示す為に彼女と一緒の馬に乗るという条件を加えたが、それは悠乃を喜ばせることにしかならなかった。



「……これのどこが楽しいんだか」

「お兄ちゃん文句ばっかり」

「誰の所為だ、誰の」



 メルヘンな音楽と共にゆっくり動き出すアトラクション。外に手を振る子供たちの中で唯一仏頂面を見せる悠一は、楽しそうな妹の姿を見て嘆息した。



「いつか本物の馬も乗ってみたいなー」

「お前の運動神経じゃあすぐに振り落とされるだろうな」

「また意地悪言う!」

「事実だろ。この前もまた体育のマラソンで最下位争いしたって言ってたのは誰だ」



 む、と悠乃が言い返せずに黙り込む。悠乃は走るのが苦手だ。特に体力がないので長距離のマラソンは大嫌いだった。

 外で待っている両親に手を振っているとすぐに終了時間になってしまう。メリーゴーランドから降りた兄妹は「そろそろお昼ご飯にしようか」という両親に頷いて園内を歩き、レストランや露店が固まっているエリアへと向かった。



「二人とも、何食べたい?」

「別に何でも」

「ハンバーガーが……」



 いいな、と口にしようとした悠乃の言葉がぴたりと止まる。視界の端に何か動くものが見えた気がしたのだ。人込みの中、動くものは沢山あるはずなのに何故かそれが何なのか気になった悠乃は顔を上げ、そしてすれ違ったばかりの一人の男を振り返った。



「悠乃?」



 自然と足を止めた悠乃に隣を歩いていた悠一が振り返る。不思議そうに首を傾げた悠乃は一度兄を振り返ると、彼の服の裾を掴んで今まで見ていた方向を指差した。



「ねえお兄ちゃん。あれ何? 真っ黒な変なのがいるよ!」

「な――」



 声を上げた悠乃の視線を追った悠一は絶句した。妹が指差す先には一人の男が背を向けて歩いていたのだ。

 問題は、その男の後ろに着き従うように浮いているおかしな存在だ。全身を真っ黒に染め上げたそれは基本的に人型をしているものの、その背中には人間にあってはならないものが大きく広げられている。


 黒い翼。鳥よりも蝙蝠に近い形のそれを見て、悠乃は真っ先に頭に連想したものを思わず口に出していた。



「あく、ま?」

「――ほお、見えるのか。ガキ」



 悠乃が小さく呟いたその瞬間、突如彼女の視界は暗くなる。目の前を覆うように立ちはだかったそれが、瞬間的に彼女の前に現れたからだ。



「え」

「まさか逃亡中に見つかるとはな。口封じをしなくては」



 淡々と感情の籠らない声で告げられた言葉。悠乃も悠一も唖然として動きを止め、悠乃の前に立つ存在――悪魔を見つめる。悪魔は至極冷めた目で悠乃を見下ろすと、そのままおもむろに右手を振り上げた。

 まるで剣のようになっている、ぎらりと尖った右手を悠乃に向かって躊躇いなく振り下ろしたのだ。



「悠乃!」



 凶器が眼前に迫っているというのに悠乃は動くことが出来ない。状況に頭が追いつかないまま容赦なく襲い掛かって来る刃を呆然と見ているだけだった彼女は、不意に刃と彼女の間に滑り込んで来たものを見て目を見開いた。

 そのまま凶刃から悠乃を庇うように彼女を抱えた人間――悠乃の母親は、その背中に思い切り刃を振り下ろされ、そして刹那、彼女の体から血飛沫が吹き上がった。



「おか――」

「邪魔をするな!」



 一度引き抜かれた刃が再び母親を襲う。薙ぎ払うように横に引き裂かれたものの、それでも彼女は悠乃を離さない。倒れた母親の下敷きになりながら、悠乃はその凄惨な光景をただ見ていることしか出来なかった。



「おいっ! 一体何が――」



 いきなり隣を歩いていた妻が子供の元へと向かった瞬間、突然血を流して倒れた。そんな怪奇現象を目撃した悠乃達の父親は咄嗟に彼女達の元へと走り、そして血塗れになった妻を抱き起した。



「しっかりしろ!」

「次々と邪魔者が」

「すぐに救急車を――っ」



 父親には見えていない。彼の背後に血に濡れた凶器が迫っていることが。しかし悠乃と悠一にはそれがはっきりと見えていた。



「父さん!」



 ようやく声を出せた悠一が叫んでも遅い。母親と同じようにその身を引き裂かれた父親は声も出ずに母親に折り重なるように倒れる。

 惨劇。まさにその言葉しかない。賑やかで楽しげな遊園地が途端にパニック状態に陥り、人々が行き交っていたコンクリートは真っ赤に塗り替えられている。


 そんな中悠乃は服を返り血で染めながら、目の前に悪魔が迫って来るのをじっと待つことしか出来なかった。



「……私の、所為で」







「お前の所為で!」




 はっ、と悠乃は我に返った。その瞬間にまるで画面が切り替わるかのように周囲の景色が変わっていく。ざわめきが聞こえる真っ赤な遊園地から、静寂に包まれる白い小部屋へと、悠乃を取り巻く景色は移り変わった。

 そして力が抜けたように座り込んだ悠乃の目の前には、酷く恐ろしい顔をした悠一が彼女を睨み付け怒声を上げていたのだ。



「お前が悪魔なんて見つけなければ、父さんと母さんは!」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「……っ」



 怒りで言葉を詰まらせる悠一が両手を握りしめる。血が出るほどに強く強く握りしめられた手はその力を緩めることなく大きく震えていた。

 悠乃はただひたすらに謝る。あの時に悪魔を見つけたのは悠乃で、声を上げたのも彼女だ。悠乃がいなければ両親は死ななかった。家族は壊れなかった。――悠乃さえ、いなければ。



「……俺は行く。それで二人の仇を取る」



 先ほどとは対極な静かな声。しかし僅かに震えたその声に悠乃は顔を上げる。悠一は既に彼女に背を向けてこの部屋唯一の扉から出て行こうとしていた。



「お兄ちゃん、私も――」

「着いて来るな!」

「っ」

「お前なんか、顔も見たくない」



 ふらりと立ち上がった悠乃を鋭い怒声が攻撃する。途端に何も言えなくなった悠乃は部屋を出て行く悠一を止められず、ばたんと扉が閉まるのを見ながらただ立ちつくしていた。



「やだ……」



 悠乃の目から一筋の涙が零れ落ちる。



「お兄ちゃん待って!」



 扉に走り、力いっぱいドアノブを捻る。ところが先ほどまで開いたはずの扉はびくともしなかった。壁と一体化してしまったかのように動かず、ドアノブですら回らない。

 まるで、それは悠一の拒絶の強さを表しているかのように。



「や、やだ、ひとりにしないで……」



 どんどんと手が壊れそうになるくらい扉を叩く。しかし頑強な扉は僅かにも揺らぐことはなかった。

 やがて力が入らなくなって悠乃はずるずると座り込む。真っ赤に腫れた手でぼろぼろと零れ落ちる涙を拭うが、涙は全く止まらない。



「ごめんなさい……ごめんなさい……」



 幸せだった家族は、自分の所為で崩壊してしまった。












「……」



 悠乃は小部屋の真ん中で膝を抱える。一体どれだけの時間が経ったのだろうか。もう何日も経っている気さえする。

 家具一つない殺風景な白い空間。唯一の扉は開かずどうすることもできずに俯いていた悠乃はぽつりぽつりとひたすらに小さく呟き続けていた。



「……ごめんなさい」



 血塗れになった両親、苦しそうに怒鳴る兄。悠乃がひとりになったのは自分自身の所為だ。自業自得だと理解しながらも、それでも……ひとりが、怖かった。



「お兄ちゃん……悪い子でごめんなさい」



 枯れたと思っていた涙が再び落ちる。顔も見たくないと言われたのだ。彼はもう二度と、悠乃に向かって笑いかけてはくれないだろう。それどころか、一生会うことすら出来ないかもしれない。

 この先一生、悠乃はひとりぼっちで――



「もう我が儘言わないから、勉強も頑張るから、いい子になるから……だからっ」



 お願いだから、私を――






「――置いていかないで!」



 凄まじい破壊音がしたのは、その瞬間だった。



 何かを叩きつけるような鈍い音。あまりの大きな衝撃音に止めどなく流れていた悠乃の涙が思わず止まった。その音は開かない扉の方から聞こえてくる。

 どん、とまた同じ音が何度も何度も繰り返される。その度にあれだけ力を込めても動くことのなかった扉が少しずつ軋み、曲がっていった。


 その光景を見た悠乃が思わず立ち上がった直後、とうとう扉はくの字に歪んで部屋の中に吹っ飛び、悠乃の目の前に無残な姿で転がったのだった。



「やっと開いたか。やれやれ、面倒なことをさせる」

「……え」

「悠乃、見つけた」



 どうして。その言葉が悠乃の頭の中を埋め尽くす。

 扉の向こうから現れた男は肩を竦めてゆっくり部屋の中へ足を踏み入れてくる。赤い惨劇や白い孤独の中では酷く異色に映るその男は、まるで今までの悠乃の苦悩を思い切り蹴飛ばすように――事実扉を蹴破って現れた。



「あお、君……」

「随分小さくなりやがって。いつまで寝てるつもりだ? 迎えに来てやったんだからとっとと帰るぞ」

「かえる……?」



 男――蒼は悠乃の腕を掴んで立ち上がらせる。そして部屋の外へ連れて行こうとするが、しかし彼女の足は一向に動かなかった。不思議に思った蒼が彼女を振り返るが、俯いている所為でその表情は窺うことが出来ない。



「どうした?」

「蒼君は、私を……置いていかないの?」

「はあ?」



 どうして蒼はここに来てくれたのか。家族にすら見放された悠乃の元へ。



「あほか。わざわざこんな所まで迎えに来たっていうのになんて置いていかねえといけないんだ」

「私は……許されないことをしたから。だから、お兄ちゃんにも置いて行かれた」



 ひとりは怖くてたまらない。だが、これは自分への罰なのだと悠乃は思う。悪い子である自分は、誰にも顧みられないのがお似合いなんだと、そう思った。

 けれど、掴まれた腕はひどく暖かくて泣きそうになる。この手に縋ってもいいのかと期待してしまう。



「……悠乃」



 蒼は立ちつくす悠乃に一つ嘆息すると「他のやつのことなんて知らねえけど」と口を開いて彼女の前に膝を着いた。



「俺はお前を置いて行ったりしない」

「どうして、私なんか――」

「明確な理由がなければ駄目なのか? 俺は自分のしたいように行動する。お前のこともそうだ。ここに来たのも悠乃を連れて帰るのも全部俺がそうしたいだけのこと」

「……本当に?」

「信じられないか? なら“約束”してやる。俺はお前を絶対に置いて行かない。だから――帰るぞ」



 腕を掴んでいた手が離れ、手のひらを握った。力強く引っ張られて歩き出した悠乃は一度背後を振り返り、そしてぼろぼろになった扉の残骸を見て自然と笑みが零れた。清々しいほどの力技で蒼は悠乃を迎えに来てくれた。手を取って、置いて行かないと約束してくれた。



「蒼君……ありがとう」



 大きな手を握り返す。部屋を出る直前、悠乃が小さく呟いた言葉が蒼に届いたかは分からない。













 目を開くとそこは薄暗い場所だった。一度瞬きをした悠乃は体を起こして周囲を見回し、そこが狭い路地の一角であることが分かった。



「ようやく起きたな。ねぼすけ」



 すぐ傍で聞こえて来た声に弾かれたように振り返る。そこにはへらへらといつも通りの軽い笑みを浮かべている蒼がいた。そのいつも通りに、悠乃は言葉にならないほどの安心感を覚えた。



「蒼君……蒼君!」

「わっ」



 驚く蒼に構わず悠乃は気が付けば縋りつくように蒼に抱き着いていた。彼女の頭の中はまだ酷く混乱しており、思考はぐちゃぐちゃになっている。


 何かとても恐ろしい夢を見た気がした。苦しくて、怖くて、だけどどうにもならなくて……。けれど、内容は覚えていないというのに、悠乃は蒼に救われたということだけはぼんやりと心の中に残っていた。



「ありがとう……」



 ずっと心を縛り付けていた鎖が、音を立てて外れたような感覚を覚えた。




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