23. 反撃
「あ……」
「あら、もしかして私が見えるのかしら」
短く声を上げて咄嗟に後ずさった悠乃に彼女は面白そうに目を瞬かせる。急いで立ち上がろうとするが、一度限界まで走った足は碌に動かず酷い痛みを訴えて来た。
「ムゲン」
「ちゃあんと見つけて上げたわよ。さて、この子はどうするつもりかしら」
悪魔の背後から月島が追いついて来る。それに気付いて悪魔の意識が悠乃から逸れた間に、悠乃はよろよろと立ち上がってちらりと背後を確認した。……まだ逃げ場はある、だが逃げ切れるかは別問題だ。ならばここで仕留めなければならない。
悠乃は月島達がこちらを向くのに合わせて銃を構える。それを見た二人の反応は、正に対局のものだった。
「月島先生、動かないで下さい」
「鏡目? ……そんな玩具で何がしたい」
「……それは、まさか」
完全に悠乃の持つ銃を偽物だと判断する月島と、一方で驚くように凝視した後彼の背後に隠れるようにする悪魔。女の悪魔のその態度を見た悠乃はやはり、と銃を強く握りしめた。
ムゲン、と呼ばれた白い女の悪魔。彼女のことは特殊調査室のデータベースに情報が残されていた。以前別の人間に召喚された彼女は同じように犯罪に手を染め、そして調査室の人間に強制送還――悠乃の持つ物と同じ銃で撃たれ、現世にその存在を保つ力を失って魔界へと戻された。悪魔も魔獣も不死の存在だ。弱らせて魔界へ送るしか倒す方法はない。
悠乃はムゲンに照準を合わせようとするが、彼女もこの銃の危険性は承知しているのだろう、狭い路地で月島の背後に隠れられれば狙うのは難しい。何せこの銃は普通の銃と同じく人間にも効果があるのだから。
「鏡目、玩具で威嚇しようが無駄だ。素行が悪い生徒はきっちり躾けないとな」
「……っ来ないでください!」
この中で一人銃が本物だと気付いていない月島は躊躇いなく悠乃へと足を踏み出す。先ほどの一撃に怒りを抱いているのだろう、彼女を痛めつけようとするように指を鳴らして近づいて来る月島に、拳銃を持つ手が震えた。人間なんて、撃ったことなどない。
「ツキシマ様。この娘、警察関係者よ」
「何?」
「あの銃は対悪魔用の特別製……この子、初めから私が目的であなたに近づいたのね」
「……そういうことか」
「あっ!」
近づいて来た月島が腕を振るい銃が弾き飛ばされる。目の前に立つ月島の所為で悪魔の姿はもう見えない。咄嗟に後ずさろうとした悠乃だったが、その前に更に月島が手を上げる。
「っ」
「俺を騙して楽しかったか? だが……その仕返しは十分させてもらう」
頬を打たれた悠乃が態勢を崩す。いつもならば十分に躱せるものだったが、咄嗟に重心を片足に掛けてしまい痛みに気を取られたのだ。そのまま倒れ込んだ彼女は、傍に落ちていた銃を拾おうとして、しかしすぐに気付いた月島に銃を蹴飛ばされてしまう。
「ムゲン、永久に苦しませろ」
「あら、非情な人。そうねえ……こんなのはどうかしら」
何とか上半身を起こした悠乃だったが、まるで足が動かない。もし怪我をしていなかったら、悠乃はすぐさま月島を気絶させて銃でムゲンを狙うことが出来ていたというのに。
彼女は以前理緒が呼び出した悪魔とは違い、銃の効果がしっかりと現れたと情報があった。記憶を消していたというしあまり肉体派ではないのだろうと思い、それならば悠乃も一人で対処出来ると高を括っていたのだ。
悪魔は何か思いついたかのようににたりと口元を歪ませる。悠乃がそれを見た瞬間、思考を巡らせていた頭の中に突然何か異物が入り込んでくるような強烈な不快感が頭を襲ってきたのだ。
「え、あ、頭……がっ!」
「……そう。あなたは孤独になるのが何より恐ろしいのね? なら、永遠に独りぼっちの世界で過ごすのがお似合いかしら」
無理やり頭の中を覗かれてかき混ぜられるような感覚。悲鳴を上げる悠乃に対し、悪魔は酷く冷酷な目で彼女を見下ろして笑みを溢した。
嫌だ、嫌だ嫌だいやだ……もう、一人になるのは……。置いていかれるのは―ー
「一生夢の中で暮らすといいわ」
「ムゲン、帰るぞ。悲鳴を聞きつけられるとまずい」
「もう少し苦しむ顔を見たかったのに」
力なく倒れ込んだ悠乃を冷めた目で一瞥した月島はさっさと踵を返す。文句を言いながらも彼の言葉に従った悪魔もそれに続き、いつものように一旦魔界へと戻るために姿を消そうとした。
しかし直後路地に響いた声に月島は足を止めざるを得なかった。
「全く……走って車を追いかけさせるとか冗談じゃねえよ」
「……お前は」
「流石に疲れたっつーの。……おかげですげえ腹立ってるから、覚悟しろよな」
ぜえぜえ、と息を荒くして傍の建物の壁に手を着いていた男、蒼は月島の背後――倒れた悠乃の傍に立っていた。今来たばかりらしい彼は、苛立ち気味に月島を見据えると悠乃を抱えて先ほど彼女が潜んでいた建物の影へ寄りかからせた。まるで、月島達から隠すように。
「朝日、なんでお前がここに」
「言っただろ、わざわざ追いかけて来てやったって」
「……あなた、気味の悪い魂ね。本当にただの人間?」
「さあて、どうかな」
蒼を見るムゲンの目は酷く不愉快そうなものだ。それを軽く受け流した彼は月島達に向かって一歩足を踏み出す。余裕そうな表情を浮かべ、しかし内心は酷く怒りを滾らせながら。
「悪魔が見えるということはお前も鏡目の仲間か。だが悪魔相手に一人で何が出来る? 鏡目と同じ末路を辿るだけだ。ムゲン、やれ」
「一人じゃねえよ」
悠乃にやったように蒼にも術を掛けようとする悪魔。しかし彼女が前に出た途端、蒼は既に右手を持ち上げていたのだ。
悠乃の拳銃を、悪魔に向けて。
「二人……いや、三人かもな」
銃声には小さい発砲音。しかし銃弾は勢いよく拳銃から飛び出し白い悪魔を掠めて背後の壁にめり込んだ。外しはしたものの、以前その銃弾の餌食になったことのあるムゲンは僅かに怯んだ。
「……流石に悠乃のようには当てられないか」
「朝日! ムゲン、何をやっている! さっさとこいつを……!」
「俺にはやっぱりこっちの方が向いてるかもな」
一瞬動きを止めた悪魔が我に返る前に蒼は走り出す。突然飛び掛かって来た蒼に月島は咄嗟に身を屈めるが、それだけでは躱しきれない。元々月島は決して身体能力が高い訳でもない。だからこそ悠乃も追い詰められて焦っていたとはいえ一人で何とかなると判断していたのだ。
月島が思い切り蒼の膝蹴りを食らう。ムゲンが焦りながら悠乃に掛けたものと同じ――悪夢に閉じ込める術を蒼に向かって発動するが、しかし何故か彼の動きが止まることはなかった。
外したのか。彼女がそう思った時には月島は蒼に掌底を受けてコンクリートに倒れ込んでしまっていた。
「お前!」
「さて、形勢逆転だ」
蒼の目がムゲンに向けられる。今度こそ確実に当てると、真っすぐ向かってくる蒼に対して術を放った彼女だったが、しかしまたもや蒼はまるで苦しむ様子もない。
「どうして……」
「どうしてだと思う? “ただ”の人間に効かないなんて驚きだよなあ?」
構わず蒼はムゲンを追い詰める。逃げようとする彼女を、しかし全く逃がす気の無い蒼は素早く悪魔との距離を詰めてその額に銃口を押し付けた。
「これなら俺でも外さねえよ」
「ま、待ちなさい。私が消えればあの子に掛かった術は解けな――」
「知るか」
ぱん、と軽い音が何度も何度も響き渡る。その度に悪魔の断末魔が響き渡るが、勿論どれだけ叫ぼうが一般人には聞こえない。その悲鳴も徐々に小さくなり、そして完全に路地に静寂が訪れると、蒼は上着のポケットから携帯を取り出して耳に当てた。
「――あ、もしもし、速水のおっさん。悪魔憑きを捕まえたのでさっさと来てください。場所は――」
電話の向こうの驚きや困惑を全て無視して一方的に話した蒼は、言うだけ言ってすぐに電話を切ってしまう。
「……さてと、問題はこっちだな」
携帯をしまった蒼は意識を失っている悠乃の傍に片膝を着く。捻挫した足は大きく腫れて、殴られたらしい頬も赤くなっている。何より酷く苦しそうに涙を流しながらぶつぶつと何かをずっと呟いていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい」
耳を近づけてみればそれがずっと同じ言葉を繰り返していることが分かる。蒼はそんな彼女を少し困ったように見下ろすと、やれやれと肩を竦めて嘆息した。
「まったく……世話のかかるやつだ」




