表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/64

22. 体育祭

 その日、虹島高校では体育祭が開催されていた。ざわざわと騒がしい生徒達に紛れながらグラウンドに整列した悠乃は、体育祭開始の宣誓を聞きながら、しかし頭の中ではずっと別のことを考えている。


 これまでしばらくの間、悠乃は月島の傍で彼が悪魔を使う機会を密かに待っていた。自分を囮に使うことで彼が悪魔に指示を出すタイミングを窺っていたのだが、中々その時は訪れていない。

 幸か不幸か悠乃は月島に気に入られている。ねっとりとした視線を向けられることに不快感は覚えるものの、そのおかげで彼の傍にいることを拒絶されることなく――むしろ悠乃の意思に関係なく月島の方が近づいてくる。いじめられている生徒を守るという名目で悠乃を傍に置く彼を――正確に言うと彼に憑いている悪魔を探る悠乃だったが、彼女が悪魔をその目で見たのは最初のあの時だけだった。


 月島は用心深い人間のようだ。魔法陣もどこかにあるのだろうが未だに確認出来ていない上、そもそも今までの犯行からして大掛かりなことをするつもりはないことが窺える。だからこそ中々捜査は難航していた。

 悠乃は焦っていた。自分一人の力で悪魔をどうにかしなくてはいけないのに、現状は悪魔と対面することすら難しいのだから。



「……あ」



 いつの間にか開会式が終わりぞろぞろと各々の席へ戻ろうとする生徒達。そんな彼らの中に蒼の姿を見つけた悠乃は小さく声を上げた。勿論周囲の騒々しさのおかげで彼女の声は蒼には届かない。届かなくてよかったと彼女は小さく安堵する。

 悠乃は未だに蒼に対して気まずい思いを抱いていた。突き放したのは自分自身だというのに、あれから何度も彼の様子が気になってその度に蒼に視線を送ってしまっている。


 もし蒼の力を借りていたらすでに悪魔を対処し終えていただろうか。不意にそんな考えが頭を過ぎる。悠乃が知らない所で月島は今も他に犯罪を犯して悪魔の力を使っているかもしれないのに、彼女の意地だけで解決を先延ばしにしている現状は果たして警察官としてどうなのだろうか。

 しかし今更蒼に頼るなんて虫の良いことは出来ない。そうでなくても悠乃は、誰にも頼る気なんてなかった。



「悠乃、どうしたの?」

「……ううん、何でもない」

「本当に? 何かあったら言ってよ。私だって悠乃の力になりたいんだから」



 心配そうに悠乃を見る理緒にも、彼女は静かに首を振ることしか出来なかった。













 悠乃は午前中に200メートル走、そして午後には二人三脚に出る。問題なく200メートル走で一位になった悠乃は、そのすぐ後に行われた400メートル走で蒼が走る姿を見ていた。相変わらず圧倒的に早い。この時ばかりはクラスメイト達も蒼を応援しており、「朝日いいぞー」「今日だけはお前の味方だ! 今日だけは!」と歓声を上げている。

 しかし誰もが体育祭に夢中な訳ではない。男子はともかく女子はそこまで熱心に応援している人も少ない。しかも悠乃を嫌っていた――蒼に好意を寄せていたはずの女子達も走る彼に見向きもせずに化粧品の話をしている。



「あいつら、本当に手のひら返すの早いよね」

「何かあったの?」

「この前朝日にこっ酷く振られてたから。普段のあいつの言動は腹が立つけど、あの時ばかりは胸がすっとしたわ」



 理緒の言葉に、悠乃はそういえば最近彼女達に嫌がらせを受けたり悪口を言われたりしていないと思い出す。

 彼女の声が聞こえたらしい友人も「そうそう、あの時の朝日君すごかったよ!」と悠乃の席まで身を乗り出して来た。



「普通こういう時って相手の男の子が口を出すと火に油を注ぐことになるけど、朝日君の場合思いっきりあの子達の怒りを買ってたからね。きっと悠乃ちゃんを守る為にああ言ったんじゃないかな」

「……それはないよ」



 悠乃は静かに苦笑した。蒼が悠乃の為に何かをする訳がない。あれだけ頼っておいて身勝手に突き放した悠乃に、彼はきっとまだ怒っているだろうから。



「一位、二年三組!」



 大差をつけてゴールした蒼に一気にクラスが沸く。まるで疲れた様子の無い彼は歓声が聞こえたのかこちらを振り返る。その時、悠乃は一瞬彼と目があったような気がした。






 それからも順調に体育祭は進む。比較的足の速い生徒が多かった三組は二年の中でも多くの競技で上位を占め、やる気のなかったクラスメイト達もだんだん盛り上がって来る。

 そんな中、悠乃の予想していなかったトラブルが起こったのは二人三脚の時だった。



「あっ」

「ごめんっ!」



 息の合った動きでどんどんと進んでいた悠乃と理緒だったが、終盤に差し掛かった時背後からスピードを上げた他のクラスの生徒が悠乃にぶつかった。思わず態勢を崩して倒れる悠乃に、理緒も一緒によろけてしまう。



「悠乃、大丈夫!?」

「平気……ごめん」



 急いで立ち上がるものの、その瞬間ずきりと足首が痛みを感じた。理緒に気付かれないようにそのまま痛みを無視して走り出した悠乃は、しかしゴールした瞬間耐え切れずに崩れ落ちてしまう。



「悠乃!」

「ごめんなさい! もしかして怪我しちゃった!?」



 ぶつかって来た女子が慌てた様子で悠乃の傍に駆け寄って来る。おろおろしながら頭を下げる彼女に平気だと返そうとするが、しかし足の痛みは一向に引かない。



「鏡目、大丈夫か?」

「氷室先生……」

「捻挫したみたいだな。保健室に行った方がいい。背中に乗れるか?」



 悠乃の様子がおかしいと気づいた氷室がクラスの席から急いでやってくると、彼女の腫れた足首を見て眉を顰めた。そのまま悠乃に背を向けてしゃがみ込んだ氷室だったが、悠乃が動く前に「氷室せんせー」と妙に間延びした声が聞こえてきた。



「朝日?」

「女子生徒をおんぶなんてしたらセクハラで訴えられるんじゃねーの?」

「セクハラ!?」



 いつの間に来ていたのか、のんびりとした口調で割り込んで来た蒼の言葉に氷室は驚きの声を上げる。



「あの、別に訴えたりなんて……」

「まあまあそういうことだから、ここは俺に任せてクラスに戻ったらどうです?」

「……朝日がそういうなら任せるが、頼めるか?」



 悠乃と蒼が未だに親しいと思っている氷室はあっさりと彼に頼む。悠乃が困惑しているのに気付いているのは理緒と……そして恐らく蒼だけだ。しかし理緒は「この機会に仲直りしなよ」と悠乃に耳打ちし、蒼はというと勿論自分から言い出したことなので彼女の動揺など意に介さない。



「さて悠乃、ご希望ならお姫様抱っこしてやるけどどうする?」

「……おんぶでお願いします」



 芝居がかった蒼の言葉に悠乃は目を逸らしながら答えた。まだ間近で顔を合わせる度胸は彼女になかったのだ。













「ほい、到着」

「……蒼君、ありがとう」



 会話もなく保健室まで辿り着くと悠乃は椅子に下ろされる。蒼に対して以前のように接することは出来ないもののお礼を言うと、彼は意味深に笑みを浮かべた。保健医もいるこの場所で悪魔についての話は出来ないが、しかし悠乃はあの時のことをどうしてももう一度謝っておきたかった。



「あの……ごめ」

「それじゃあな、俺は戻る」



 躊躇いがちに口を開いた悠乃を遮って蒼が踵を返す。やはりまだ怒っているのだろうと俯いた彼女に、蒼は一度振り返って小さく笑った。



「俺は指図されるのが大嫌いだ。だから……俺は俺のやりたいようにやる」

「え?」



 悠乃が顔を上げると蒼はもう保健室から出て行ってしまっていた。不思議そうにする保健医に何でもないと首を振った彼女は蒼の言葉を反芻してどうしたものかと頭を抱えたくなった。


 そうだ、蒼が素直に悠乃の言葉を聞く訳がない。最初から悠乃を脅してまで捜査に加わったのだ、そのまま引き下がるはずがなかった。

 だが悠乃とてそれを受け入れる訳にはいかない。足首に包帯をぐるぐると巻かれながら、彼女の思考もぐるぐると堂々巡りを繰り返していた。



「ありがとうございました」

「この足じゃ一人では帰れないでしょう。保護者の人は迎えに来られそう?」

「……無理、ですね」



 家にすらあまり帰って来ていない速水に頼む訳にはいかない。他に選択肢があるといえば和也だが、彼は今悠一と同じ任務を請け負っている。任務中に関係の無いことで怪我をしたなど、兄にだけは知られたくなかった。



「困ったわね……ちょっと空いてる先生がいるか聞いて来るから待っていなさい」



 そう言って保健医が出て行くのを見送った悠乃は、ちらりと捻挫した足首を見下ろして大きく溜息を吐いた。一人で歩けなければ捜査に支障が出る。ぶつかって来た生徒に恨み言を言う気はないが困ったことになった。





「鏡目、怪我をしたと聞いたが」



 暗い気持ちになって落ち込んでいた悠乃の耳に扉が開かれる音が聞こえてくる。そして振り向いた先に立っていた男に彼女は頬を引きつらせた。



「月島、先生」



 よりにもよってこんな時に、と内心歯噛みする。



「大丈夫か? 俺が家まで送ってやるから」

「でも……」

「遠慮しなくていい。保護者の人は都合が悪いんだろう? 歩けないなら抱えてやろうか」



 悠乃の返事など聞かずに話を進める月島。必死に首を振ろうとした彼女は、しかしこれはチャンスなのかもしれないと思い直す。用心深い月島は、不特定多数の目がある学校よりも外の方が悪魔を使う可能性が高いかもしれないと考えたからだ。

 足は確かに痛む。だが歩いた所で死んでしまいそうなほどの痛みではない。悠乃は手を伸ばしてくる月島を制して「大丈夫です」と自力で立ち上がった。ふらつくが、まだ耐えられる。月島に抱えられるくらいならそのくらい我慢できた。


 何度かの押し問答の後、結局月島によって彼の片腕を支えにすることで妥協した悠乃は制服に着替えた後彼の車に乗せられて学校を出た。助手席に座ると今まで耐えて来た足首の痛みがじわじわと襲い掛かって来るが、彼女は決してそれを表情に出さなかった。



「鏡目、最近いじめはどうだ?」

「大丈夫です。もう何もありませんから」

「そうか? 本当は無理をしているんじゃないか? 辛かったら何でも先生に言うんだ。俺だけは鏡目の味方だからな」

「……ありがとうございます」



 ずきずきと痛む足に気を取られながら返事をしていた悠乃は、不意に顔を上げて窓から景色を見た。



「――え」



 そこは見慣れた通学路ではない。道を変えただけかとも思ったが、よくよく辺りを見れば、どんどん悠乃の家から遠ざかるように車は進んでいたのだ。



「あの先生、家はこっちじゃなくて」

「迎えに来られないってことは家に誰も居ないんだろう? 大丈夫だ、ちゃんと先生がうちで世話をしてやるから」



 信号が赤になり、車が停止する。反対に悠乃の顔色はさっと青くなる。

 チャンスだとは思ったが、いざ身の危険を感じた悠乃はパニック状態に陥っていた。万全の状態ならまだ余裕はあったかもしれないが、今の彼女は痛みを押してもいつもと同じようには決して動けない。

 無意識に制服の上から懐の拳銃に触れる。どうするのが最善か。彼の家まで着いていき油断させて悪魔を出すのに賭けるか、それとも今すぐに逃げるべきか。



「鏡目……」



 しかし悠乃が混乱していることに月島は気付かない。それどころか赤信号なのをいいことに悠乃を振り返った彼は、そのまま彼女に顔を近づけて来たのだ。



「――いやっ!」

「ぐあっ」



 悩む時間などなかった。反射的に悠乃は腕を使って月島を押しのけた後、彼の鳩尾に渾身の一撃を食らわせてしまっていた。



「あ」



 やってしまったと思ったのも一瞬のこと、悠乃は即座にシートベルトを外して車の外に飛び出していた。



「鏡目、お前!」



 背中に月島の怒声が叩きつけられる。しかし勿論悠乃は止まらない。警察官なのに犯罪者のように逃げる彼女は突き刺すような足の痛みに顔を歪めながら、必死に思考を巡らせていた。

 この辺りは通り過ぎたことはあっても詳しくはない。携帯が入った鞄を車に置いてきてしまった悠乃は逃げながらとにかく月島から身を隠そうと出来るだけ細い道を選んで走った。通行人に助けを求めても生徒と教師という身分がある以上月島はいくらでも言い訳が出来る。それに万が一人前で悪魔を使って来たら……それが他の人間を傷つけたら、悠乃は一生後悔することになる。



「痛い……」



 薄暗い路地で息を切らしながら足元を見下ろす。これだけ無理に走ったのだ、捻挫が悪化していてもおかしくはない。悲鳴を上げる足を少し休めようと悠乃はずるずると片足を引き摺って建物の影にしゃがみ込んだ。



「やっと見つけた」

「……え」



 悠乃が呼吸を整えようと大きく息を吸ったその時、その声は不意に彼女の鼓膜を揺らした。月島の声とはかけ離れた、女の声。


 悠乃が顔を上げた先に見た顔は、いつか遠目に見た白い女。――悪魔だった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ