21. 開き直り
「……月島、ねえ」
蒼は自宅のベッドで仰向けになりながら携帯を片手にぼうっと考え事をしていた。家に帰るとどうにも独り言が多くなる。それは恐らくたった一人で暮らしているからなのだろう。静かすぎる空間に耳が痛くなるのだ。
蒼はあれから何度か悠乃と月島が一緒にいるのをその目で確認している。クラス委員で真面目な悠乃に雑用を頼む教師が他に居ない訳ではないが、それでも担任でもない教師とあれだけ一緒にいるのはどうにも不自然に思われた。
それに悠乃は少し前まで悪魔を探すために校内を駆け回っていた。しかし最近はそれも見られないのだ。クラス委員になることを渋っていた彼女が捜査を後回しにして積極的に教師の手伝いを選ぶとは考えにくい。……それも、よりにもよって月島だ。
「悠乃が意図的にあいつと一緒にいると考えた方が妥当か……」
何らかの理由があって近付く必要があった。悠乃の目的を考えればそれは労せずに答えに辿り着く。――悪魔関連だ。
月島が悪魔憑きである可能性。蒼は彼の傍に悪魔がいるのを見たことはないが、それだって月島自体授業以外で遭遇することも少ないのだ。仮に悪魔憑きだったとしても気付かなかったのは不思議ではない。
「月島が悪魔憑きだと仮定した場合……」
考えをまとめるように口に出す。悠乃の行動はそれで説明がつく、が問題は悪魔の方だ。
悠乃は屋上で見た悪魔を探していた。ではそれが月島の召喚した悪魔なのかというと……それだけはありえないと蒼は断言できる。
「あれは違う。だとするともう一体別の悪魔か……もしくは魔獣がいる、か」
この高校ならばそうであってもおかしくはない。それを蒼は知っているのだ。
しかしながら、いくら推測をしたところで答え合わせが出来なければ結局それが正しいかは一生分からない。蒼は手に持った携帯を睨み、そして画面に触れて悠乃のアドレスを呼び出した。
「……」
しかしそれ以上手は動かない。無駄に高いプライドが邪魔をして彼女に尋ねようという気が起きなかったのだ。
そもそも蒼は既に捜査から外れている。悠乃が何をしようが自分の知ったことではなく、こうして考える必要なんてない――はずだ。
「……というか、俺が悪魔の捜査に関われないんじゃ、意味ないだろうが」
自分を拒絶する悠乃に腹が立って「勝手にしろ」と言ってしまった蒼だが、勝手にされて困るのは自分自身だ。最初に悠乃に捜査協力を申し出たのは蒼の方で、彼の目的の為には悠乃が――都合よく動いてくれて、かつ悪魔の存在を知る警察関係者が必要だった。偶然にもそんな都合のよい人物が目の前に現れたことに、蒼は内心驚きと喜びを噛みしめていた。
蒼があの時も冷静に思考を巡らせられていれば、一人で捜査すると言った悠乃に対してもいつものようによく回る舌で適当に丸め込んでしまえていたはずだ。彼女は素直だからそれらしい理由を並べれば簡単だっただろう。苛立ちに任せて悠乃を突き放した蒼が間違っていたのだ。
しかし今更後悔した所で無駄なこと。警察手帳を奪ったあの時のように「捜査に加えなければ所属をばらす」と脅すこともできるが……速水がいる以上結果的に蒼が不利になるだろう。向こうは国家組織、そしてこちらはただの一個人でしかないのだから。
蒼はしばらく画面に表示されていた悠乃の名前を眺め続けていたが、やがて画面を切り替えて耳に当てた。
『もしもし』
二回目のコールですぐに電話は繋がった。
「……どうも、朝日です」
『朝日君? 悠乃に何かあったのか?』
蒼が電話をしたのは速水だった。悠乃と直接話すにはまだ躊躇いがあり、しかし彼女のことを話せるのは――悠乃のことを蒼よりも知る人物は彼しかいなかった。
「何かあったって、今一緒に家には居ないんですか」
『ここ最近仕事が忙しくてな、殆ど家に帰れていないんだ。それで一体何が』
「いや、悠乃に何かあったわけじゃ……」
あったと言えばあった。しかし速水が想像するような危険なものではない。
悠乃が突然蒼を拒絶するまで、それまでは何の問題もなかったのだ。彼女がおかしくなった原因は――言うまでもない、あのテスト結果だ。
「……おっさんは、悠乃の中間テストの結果、知ってますか」
『テスト? そういえばあるって言ってたな。結果は聞いていないが。……あとおっさんは止めろ』
それがどうしたと速水に問われた蒼は、悠乃があまりに順位を気にして追い詰められていたことを口にしようとして……しかし咄嗟に黙り込んだ。何も言っていないということは、兄だけではなく速水にも知られたくはないのだろう。
『朝日君?』
「何でもありません。あともう一つ……あいつの兄について聞きたいんですけど」
『悠乃の兄?』
「知りませんか?」
『いや勿論知ってはいるが……悠一がどうした』
「その人は、悠乃のことを嫌っているんですか」
一瞬息を呑んだ音が僅かに聞こえてくる。
『いや、確かにあいつは不愛想だし悠乃に優しく接するタイプじゃないが嫌っては――』
「じゃあ憎んでは?」
『……』
今度は完全に速水の声が聞こえなくなる。沈黙は肯定ということだろうか。てっきり蒼は悠乃が大げさにそう思い込んでいるだけだろうと予想していたが、少し違うらしい。
『悠乃がそう言ったのか? いや、まあそうだろうな……』
「結局の所どうなんですか」
『……そういう時期が、なかったとは言わない。だが昔の話だし、そもそもあれは悠乃の所為じゃない。悠一だってあの時のことを後悔して』
不意に我に返ったように速水の言葉が途切れる。そしてしゃべり過ぎたとばかりに『すまない、今のは聞かなかったことにしてくれ』と取り繕うような声が続けられた。
「一体何が?」
『俺から言っていいことじゃない。あれはあの二人の問題だ。……頼むから悠乃に直接問い質すのだけは止めてくれ。あの時のことを思い出させるようなことは――』
「思い出したら泣くんですか? ……兄に嫌われて、見限られるって」
『な……朝日君、本当に悠乃に何かあったんじゃないのか?』
「さて、どうでしょうね」
そちらが教えてくれないのならば、と蒼も曖昧に言葉を濁す。困惑と疲れが混じったような溜息が聞こえて来たかと思うと、「……とにかく」と仕切り直すように速水が声を上げる。
『あいつら兄妹のことに無遠慮に踏み込まない方がいい。大人しく待ってやってくれ』
「……大人しく、ねえ。そうやって痛々しい腫物に触らないように生きるのが大人ってもんですか」
『……朝日君』
「すみません、つい本音が」
へらへらといつものように言葉を返すが、蒼は今自分が無性に苛立っているのを感じていた。
蒼の目的は一つだ。これまでのようにもう一度捜査に介入すること。だからこそ悠乃がどうして態度を変えたのか、一人で捜査すると言い出したのか原因を突き止めようとしたのだが、しかしそれも速水によって止められる。……これ以上関わるなと言いたげに。
あんなに痛々しい表情をした悠乃を思い出すと蒼の苛立ちが増した。何でそんな顔をしているんだと、そんな風に苦しむ理由はなんなのだと問い詰めたくなる。
蒼自身、どうして悠乃のことをそこまで気にしなければいけないのか分からない。ただあの時の彼女の表情が頭の中に残って消えない、それだけだった。
「……悪いですが、俺は我慢ができないお子様なんですよねえ」
『何を』
「急に電話を掛けてすみませんでした。それでは」
速水の声がまだ聞こえているうちに通話を切った蒼は、そのまま携帯の電源を落としてベッドに放り投げた。
「……面倒くせえ」
ごちゃごちゃと考えるのは飽きた。どうして彼女のことを苛立ってまで気にしなければならないのか。そんなものは気になるんだから仕方がない。わざわざ道筋だった理屈なんて必要ないのだ。
やりたいことをやる。これが蒼の信条だ。悠乃の過去を詮索するのも彼女の捜査に介入するのも蒼自身が望むことで、それ以上の理由付けをしなくてもいい。蒼はそうして思考を停止させた。
「とりあえず、機会を窺って勝手に捜査に乱入すればいいか」
悠乃の言うことを聞いて大人しく手を引くなんて蒼らしくもない。今まで悩んでいた事柄を全て吹き飛ばした彼は、久しぶりに楽しげに笑みを作った。




