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20. 苛立ち

「イライラする……」



 蒼は昼休み、屋上で一人横になりながら呟いた。どうしてこんなに苛々するのか。二年に上がってからは今までこんなこと無かったのに。



「チッ」



 そこまで考えたところで思わず舌を打つ。理由など考えずとも分かっている。

 悠乃から離れてしばらく時間が経った。だというのに彼女の顔を見ると未だに腹が立ち、授業中だというのに今もこうして教室から離れてここにいる。



「何で俺があいつのことでイラつかなきゃいけないんだよ……」



 蒼はどちらかと言うまでもなく相手を苛立たせる側だ。相手をおちょくり挑発するのは彼の日常で、逆はありえない。

 これだから面と向かって「性格が悪い」と言われるのだ。……その時のことを思い出してまた苛立った。また悠乃のことを考えてしまっている。


 始業式のあの日、警察手帳を手に取ったあの瞬間に蒼は彼女に関わることを決めた。彼女を利用すれば、今まで燻っていた自分の目的も果たせるかもしれない。そう考えたからこそ蒼は悠乃に近付き、彼女の捜査に協力した。

 悠乃と一緒に行動するのは存外居心地が良かった。蒼の性格を知っても苦笑で済ませ、わざわざ彼女の機嫌を取るためにいい顔をする必要もない。逆に蒼に媚びて来ることもなく、気が付けば何も取り繕うことなく自然に彼女と接していた。



『そんなことで嫌われるんだ。さぞかし普段から好かれてないんだな』



 だからこそあの時蒼は思ったことをそのまま口にしたし、それで彼女があれだけ傷付くとは思っていなかった。その所為で拒絶されたのだからあの時の言葉は完全に“失言”だった。このままでは蒼の目的は果たせなくなるかもしれないのだから。

 ただ、あの時の悠乃は見ていて酷く腹が立ったのだ。まるで……過去の自分が目の前にいるような、そんな気がして。






 授業が終わるチャイムが鳴り響く。随分長く屋上にいた気がして、蒼は思わず「ようやく終わったか」と独り言を口にする。昼休みになり、購買にでも行こうと蒼は立ち上がった。

 屋上から出て階段を降り、廊下を歩きながらも無意識のうちに悠乃がいないかすれ違う生徒を窺ってしまう。ああ、苛々する。なんで自分が彼女の存在に振り回されなければいけないのだ。



「朝日」



 名前を呼ばれて反射的に声のした方向を振り向く。途端に蒼の表情が歪んだ。ただでさえ機嫌が悪い時に最悪な人間に出くわすものだ。



「……なんだ生徒会長殿か。俺に何か用でも?」

「お前、最近授業をさぼっているだろう」

「お前には関係ないだろ」



 蒼を呼び止めた楓は珍しくひとりだ。いつも金魚の糞のようにくっついている二人はいない。眉間に皺を寄せて蒼を睨む男は、いつでも彼の神経を逆撫でする。



「せっかく二年になって少しは真面目になったかと思えば……」

「真面目? 何のことだ」

「自覚がないのか? 一年の時は毎日授業さぼって歩き回ってただろう。今年になってそれが無くなって、おまけにクラス委員の仕事も珍しくやっているから驚いたっていうのに」

「……」



 蒼は楓の言葉に二の句が告げなかった。確かに蒼は去年、碌に授業を受けずに教室にもいなかった。わざわざ分かり切った授業を聞く気なんて毛頭なく、時間の無駄だと思ったからだ。それは二年になっても変わらないはずなのに、楓に言われてようやく気が付いた。今まで何ら違和感を覚えることなく教室に居た自分の方が可笑しかったのだ。



「鏡目さんと一緒にいるようになっていい方向に行っていると思ったんだがな」

「あいつは関係ない」

「そうか? それにしては親しくしていただろう。お前にしては随分――」

「黙れ」



 酷く冷たい声が出る。勝手に蒼のことを分かったように話す楓に更に苛立ちが増した。悠乃が自分に影響を与えるはずなどない。悠乃だけではない、他人の所為で蒼が変わるなんてことは、この先一生あるはずがない。



「お前だって分かってるだろ? 俺が損得なしに他のやつに付き合う程綺麗な人間じゃねって。悠乃のことだって同じだ」

「……そうやって偽悪者振るのは勝手だがな。朝日、お前いつまでもそんな風に生きていたら、いつか大事な人まで離れていくぞ」



 本当にお節介な男だと蒼は楓に背を向ける。蒼のことが嫌いな癖に躊躇いなく忠告を送る楓が、蒼は大嫌いだ。自分のことを偽悪者だと言った本人こそ、ただの偽善者の癖に、と。



「お生憎様。俺は生まれてこの方、大事な人間なんてひとりもいない」











 購買で適当にパンを購入した蒼は再度屋上へ戻ろうと歩き出し、しかしすぐに引き返して教室へ向かった。悠乃から逃げているような自分が嫌だった。彼女に自分の行動を左右されている感覚が許せなかったのだ。



「あ、朝日君!」



 しかし戻った教室に当の悠乃の姿はなかった。てっきり理緒と昼食を取っていると思ったのだが悠乃だけがいない。妙に拍子抜けしてしまった蒼はそのまま平然を装って自分の席に座ってパンの封を開けるが、すぐに3人の女子が彼の元へとやって来た。いつものお決まりのメンバーだ。



「ずっと授業さぼってたでしょ」

「朝日君が居なくて寂しかったんだよー」



 勝手に側の席に座って食べ始める彼女達に酷く適当に相槌を打つ。特別美味しくもまずくもない焼きそばパンを齧りながら頬杖を着いていると、それを見た彼女達は我先にと自分の弁当箱を蒼に向かって差し出してきた。



「朝日君、それだけじゃ足りないでしょ。私のお弁当分けてあげる」

「あ、ちょっと! ほら、私のお弁当自分で作ったんだよ! 上手く出来たから食べて!」

「冷凍食品ばっかりの癖に何言ってんのよ。ほら朝日君、私のやつの方が美味しいよ」



 ああ、鬱陶しい。その気持ちをそのまま表情に表しているというのに、彼女達は言い争うのに夢中でまるで気が付いた様子がない。

 ちらりと視線を落とした三つの弁当は、自分のものが一番美味しいと口論をしている割にどれも同じようなものに見える。わざわざ人から貰ってまで食べたいとは思わず、蒼は疲れたように廊下を眺めながら焼きそばパンを口にした。



「私本当に料理得意なんだから!」

「じゃあ得意料理は何よ?」

「カレーとかシチューとかすっごく上手く作れるし!」

「それってレトルトのルー入れるだけじゃん!」

「色々隠し味があるのよ! ね、朝日君。美味しいから今度食べてくれない?」

「……いらない」



 今まで受け流していた蒼が否定の言葉を口にしたことに自称料理上手は落ち込み、残りの二人はほくそ笑んでいる。

 やっぱり屋上で食べればよかったと後悔し始めた蒼は、さっさと教室を出て行こうと手に持っていた残りのパンを黙々と食べ続ける。しかし最後の一口を食べ切ろうとした瞬間、眺めていた廊下を通り過ぎた生徒を見て蒼は一瞬動きを止めた。



「……悠乃」



 昼休みだというのに彼女は沢山のノートを抱えて廊下を歩いていた。それも一人ではなく、彼女の傍らには一人の教師が一緒に居る。

 蒼の声に彼の側に居た女子達も廊下へ視線を向ける。そして悠乃を見た彼女達は一様に不愉快そうに顔を歪め「うわあ」と嫌そうな声を上げた。



「あの子またああやって内申上げようと媚びてるんだー」

「しかも見てよ。一緒にいるの月島だよ?」

「援交でもしてんじゃないの?」



 月島という数学教師は、はっきり言って評判が悪い。学年主任という立場でありながら、生徒によって大きくその態度を変えている。従順な生徒は贔屓し、問題児は――成績はよくとも蒼などは――目の敵にしている。

 まして真偽のほどは定かではないが、生徒に手を出しているという話もよく噂に上るのだ。悠乃を見る目はとても教師らしいものとは見えず、蒼は無意識の内に舌打ちした。



「朝日君、鏡目さんにべたべたくっつかれて本当は嫌だったんでしょ? 諦めていってよかったねー」

「男ならなんでもいいんだねあの子。最低」

「あんな子のことは忘れてさ、朝日君今度一緒に」


「……あのさあ。あんた達、俺のこと好きなんだよね?」



 姦しい彼女達の声は、多くの生徒がいる教室内でも特によく響く。だからこそ悠乃を貶める彼女達の発言は勿論他の人間にも――理緒にもしっかりと聞こえていた。堪忍袋の緒が切れたように乱暴に立ち上がった理緒はすぐにでも蒼達の所まで怒鳴り込もうとするが、その前に聞こえてきた酷く冷やかな声に咄嗟に踏み留まった。


 にこにこと笑みを浮かべる蒼は、彼のことを何も知らない人間が見れば大層機嫌がいいと思われるだろう。そして今この場で蒼の笑みを見た三人の女子達は幸か不幸か、何も知らない側の人間だった。

 突然微笑みかけられ、更に自分達の好意をあっさりと口にされた彼女達は途端にしおらしくなり揃って顔を赤らめる。



「あの、えっと……」

「あはは、残念だけど俺、あんたらみたいな頭の軽い馬鹿女って見てるだけで不愉快なんだよなー。ほら、俺って頭いいからさ。低レベルな会話とか聞いてらんないって感じ」

「……はあっ!?」

「ついでに性悪女もお断り。同属嫌悪ってやつ? ……ああ、おバカさん達に難しい言葉使っちゃって悪いねー。分からなかったら後で調べてみたら? お粗末な頭がほんの少しだけ賢くなるかもな」



 ははは、と実に楽しそうに言い切った蒼に目の前にいた女子達は固まる。あえて声を張り上げた蒼の言葉は自然と静まり返っていた教室内によく響き渡り、嫌でもその場にいる全員の耳に入っていた。

 今度は別の意味で彼女達の顔が赤く染まった。



「……まあという訳だから残念でした。俺の顔がそんなに好きならその辺の男にお面でも被せて付き合えば? そんなことに付き合ってくれるような馬鹿な男があんたらにはお似合いだよ」

「な、な……」



 笑顔で口を閉じた蒼はそのまま女子達を置き去りにして教室を出る。「何なのあれ!」と叫ぶ声が聞こえるが、彼は一切振り向くことなく屋上へと向かうべく歩いた。苛々していた気持ちが僅かに収まったような気がする。




「朝日!」

「……なんだ、時雨か」



 しかしそんな彼の背中に声が掛かる。慌てて蒼を追いかけて来たらしい理緒は少し息を切らしながら彼の元に辿り着くと、呼吸を整えるように大きく息を吸って彼を見上げる。

 また煩いのが来たと蒼は嘆息した。



「何だよ。何か文句があるなら――」

「朝日……あんた、ちょっと見直した」

「はあ?」

「それだけ。悠乃と何があったか分からないけど、早く仲直りしなよ」



 言うだけ言って理緒は踵を返して戻っていく。見直す? 誰が誰を?



「……何なんだよ」



 理緒の発言にもやもやしたものを感じ、蒼は収まった苛立ちが再び浮上してくるのを感じた。



次回まで蒼のターンです。

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