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2. 家族

「ただいま悠乃、何か連絡あったんだろ? 何ですぐに切って――」

速水はやみさんっ! ごめんなさーい!」



 自宅であるアパートに帰った悠乃は、同居人が帰ってくるや開口一番に相手の言葉を遮って叫んだ。



「何があったんだ……?」

 思い切り頭を下げて謝る彼女をぽかんとした顔で見つめるのは三、四十代くらいの男性だ。速水と呼ばれたその男は悠乃の上司兼後見人で、何年も彼女と共に過ごして来た。悠乃が多少何かをミスすることはそんなに珍しいことではないが、こんなにも勢いよく謝るとは一体何を仕出かしたのかと、速水は首を傾げた。



「その……潜入捜査だって、ばれちゃいました……」

「……初日からか」



 速水は頭痛を覚えそうになる頭を片手で押さえる。潜入捜査は悠乃にはあまり向いていないだろうなとは思っていたが、まさか初日――しかも半日しかないのに発覚してしまうなど流石に想定外だった。



「口が滑ったのか?」

「いや、その……警察手帳拾われて」

「……ちゃんと管理しておくように。それで、ばれたのは誰だ? 教師か?」

「クラスメイトの男の子、なんですけど」

「一人か。口止めは?」

「い、一応」



 悠乃は蒼から警察手帳を取り戻した時のことを思い出す。

 悠乃の仕事を手伝いたいと言った蒼に、頷かない限り返してくれなさそうだと判断した彼女はひとまず頷くことにした。そうして手元に戻って来た警察手帳にほっと一息つきながら、悠乃はこのことを吹聴しないで欲しいと蒼に頼み込んだのだ。



『お願い! 私のことは誰にも言わないで!』

『そりゃあ勿論』

『本当!?』

『こんなに面白そうなこと他のやつに言うかよ』



 楽しげに笑いながらそう言い切った蒼にその時は悠乃も喜んだものの……今になって本当に彼を信じていいのだろうかと疑問が過ぎり始めていた。

 どうか本当に蒼が黙っていてくれますようにとこっそり祈った悠乃は、蒼に仕事を手伝いたいと言われたことを速水に報告する。すると彼は眉を顰め難しそうな顔で「困ったことになったな」と呟いた。



「やっぱり駄目って言ったら、きっとばらされますよね……」

「恐らく、そうだな。ただの好奇心で引っ掻き回されても困るんだが……まあ今回の事件はそんなに大きなものでもないし、お前の裁量にまかせる」

「いいんですか?」

「一人で潜入捜査なんて初めてだろう、使えるものは使っていい」

「……ごめんなさい。せっかく速水さんが私なら出来るってくれた任務だったのに」



 今までも殆ど大きな任務を任されたことのない悠乃が珍しく潜入捜査なんてものを受け持つことになったというのに、初日からこんな重大なミスをしてしまった。そう思って彼女が落ち込んでいると、速水は小さく嘆息した後「あのな、悠乃」と彼女に言い聞かせるように口を開いた。



「何で俺が潜入捜査なんてお前向きじゃない任務を与えたと思う?」

「……分かりません」

「この仕事するようになってから、お前碌に学校なんて行けてなかっただろう? 捜査とはいえ高校に通えるんだ。勉強は一人でも出来るかもしれんが、まだ若いんだから今の内に学校生活を楽しんでおけ」

「速水さん……」



 速水の言葉に悠乃は大きく目を見開いた。確かに彼女が普通に学校へ行けていたのは小学四年生までだった。その時に起こった事件以降、悠乃は警察で見習いの調査官として仕事をすることになり、自主学習はしていたものの義務教育さえ最後まで受けることが出来なかったのだ。


 速水が悠乃のことを慮ってこの任務を持って来てくれたことを理解した彼女は、驚きながらも嬉しくなって表情を緩ませた。彼にはいつも世話になってばかりだ。



「ありがとうございます。私、任務頑張りますね!」

「張り切り過ぎてまた警察手帳は落とさないように。それで、初めての高校はどうだった?」

「すごく広くて驚きました! 高校ってすごいですね」

「まああそこは特に虹島が経営してるからなあ、他の高校よりも設備はいいかもしれんな」

「虹島って有名なんですか?」

「色んな業界で手広くやってる所で、政界にもいくつかパイプを持ってる。……まあそんな家だから、割と黒い噂は絶えないんだけどな。今のところ尻尾は出してない」

「そうなんですか……」

「まあ高校に通う分には関係ないだろう。他はどうだ? 友達とか出来そうか?」

「まだ初日なので友達は……って、あああ、そうだった!」



 今日話した生徒なんて隣の女の子と蒼しかいない。そう思いながら話し始めた悠乃は、学校で更に別の失敗をしていたことを思い出して「どうしよう!」と声を上げた。



「今度は何だ?」

「速水さんどうしましょう!? かず先輩からのアドバイス破っちゃったんです!」

「和也? あいつまた何か言ったのか?」

「それが……」



 悠乃は同じ部署の先輩である和也の言葉を頭の中で反芻する。あれは、悠乃がこの任務を受けてすぐの頃だった。



『おいちびすけ、潜入捜査するんだってな』

『そうですけど……』

『先輩からのありがたいアドバイスだ。いいか、お前のその性格じゃ舐められるだけだぞ。だから――』



「冷静沈着なクールな子に見せた方が一目置かれてかっこいいぞって。……だけどすぐに素に戻っちゃって」

「あのアホ……」



 悠乃も大概だがな、と速水は今日はやけに頭が痛くなる日だと思いながら呆れた声で呟いた。



「速水さん?」

「悠乃、冷静に考えてみろ。周りに溶け込まないといけない潜入捜査で一目置かれてどうする」

「……あ」

「どうせまた適当なこと言ったんだろ。和也の話は話半分に聞いておけって言ってるだろうが」

「でもすごく自信満々だったので……」

「まったく……そろそろまたあいつも悠一ゆういちに説教された方がいいな」



 速水が考え込むようにそう口にした瞬間、不意に悠乃の肩が僅かに揺らぐ。しかし速水は「本当にあいつはしょうがないな」とぶつぶつ和也への文句を呟いており、彼女の小さな動揺を見逃してしまった。













「……はあ」



 夕食を終えて自室に戻った悠乃は、ベッドに横になるや疲れたように大きくため息を吐いた。

 早速失敗した。速水にはあまり怒られなかったものの、潜入捜査で正体がばれるなど致命的過ぎる。いつも足を引っ張ってばかりいるのにまた速水の頭痛の種を増やしてしまったことだろう。

 これ以上迷惑を掛ける訳にはいかないのに、と悠乃は胸に重い気持ちを抱えながら上半身を起こした。後悔している暇があるならば、やるべきことをやらなければならないのだ。


 悠乃は鞄に入れた校内の案内図を取り出してじっくりと目を滑らせる。随分広いがしっかり把握しなければならない。彼女が部室から特別教室までしっかりと一つ一つ頭に入れていると、ゆっくりと動いていた目がふと止まる。二年三組、悠乃の在籍するクラスだ。



「蒼君、一体どういうつもりなんだろ……」



 頭を過ぎるのは悠乃の仕事を手伝いたいと言った少年。彼は何故あんなことを言い出したのだろうか。彼女が了解した途端、彼は酷くあっさりと警察手帳を返してくれた。調査内容も何も伝えていないのに関わらず、だ。

 悪魔に興味があるのか。彼の意図は読めないが、いずれにせよ明日しっかり彼とは話さなければならないだろう。



「悠乃、ちょっといいか」

「はい」



 案内図を手に蒼のことを考えていた悠乃は、扉がノックされる音と速水の声に顔を上げる。すぐに立ち上がって扉を開けると、速水が彼女に向かって携帯を差し出している所で、悠乃は首を傾げながらも咄嗟にそれを受け取った。



「悠一からだ」

「え」



 無意識で漏れた小さな声は電話の向こう側に聞こえてしまっているだろうか。悠乃がそんな不安に駆られているうちに速水は「終わったら返してくれ」とだけ言って離れて行ってしまう。

 取り残された悠乃は一瞬だけ躊躇った後、部屋の中に入って恐る恐る速水の携帯を耳に当てた。



「……もしもし、兄さん」

「変わりないか」



 耳に入って来た淡々とした低い声の主は、悠乃の兄である悠一のものである。彼女と同じく特殊な体質の彼もまた警察で働いており、普段は悠乃とは離れて様々な任務に当たっている優秀な人間だ。

 しかし、兄妹というには悠一の態度は淡白で、悠乃も兄の声を聞くだけで酷く萎縮していた。



「はい。あの、兄さんは――」

「高校に潜入捜査らしいな」

「そ、そうです」

「……速水さんから話は聞いた」



 ぎくっ、と悠乃の体が強張る。叱責されるか、もともと期待していないとばかりに冷たく突き放されるか。うろうろと彼女の目が落ち着きなく彷徨う中、悠一が次に告げた言葉は彼女の予想からは随分離れていた。



「和也には俺から言っておく。お前に余計なことは言うなと」

「……え?」

「それからお前も何でも人の言うことを鵜呑みにするな。少しは自分の頭で考えて判断しろ」

「は、はい! 気を付けます!」

「それと、くれぐれも速水さんには迷惑を掛けないように。用件はそれだけだ」



 それだけ言い残された後にぷつり、と呆気なく切られた電話を悠乃は茫然と見つめる。てっきり潜入捜査がばれたことを怒られるとばかり思っていたのに、と不思議に思いながら速水の元へ向かうと、彼は「相変わらず早いな」と苦笑を浮かべてみせた。



「速水さん、兄さんに今回のミスのこと言わなかったんですか?」

「ん? ああ、そのことか。別に完全に任務失敗した訳でもないしわざわざ言ってないぞ」

「でも……」

「まあいざとなったら俺が責任を取る。悠乃、お前はちょっと思い詰めすぎだ。子供は大人に甘えるのが仕事だぞ? それで大人は子供に甘えさせるのが仕事だ。少しの失敗くらいカバーするし、任務が大変だったらいくらでも頼ってもいい。その為に上司や同僚がいるんだからな」



 分かったらさっさと寝ろ、と背中を押された悠乃は「ありがとうございます」と口にして踵を返す。しかし部屋に戻った悠乃は「甘えたら駄目だ」と自分に言い聞かせるようにぽつりと呟いた。


 「くれぐれも迷惑を掛けない様に」という兄の言葉が頭の中を回る。速水の言葉は嬉しかったものの、悠乃はそれを全て受け入れる訳にはいかないのだ。

 明日から頑張らないと、と悠乃は改めて心に刻むように強く思った。





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