17. 中間テスト
「ところで時雨さん、他に学校で別の悪魔を見たことは?」
あ、と無意識に悠乃の声が漏れる。理緒のことでいっぱいいっぱいで、学校にもう一体の悪魔が潜んでいることを失念していたのだ。
「いえ……あの、いるんですか?」
「悠乃の報告ではな。悪魔召喚の方法を知っている人間は多くない。正直言って君がその悪魔を呼び出したという可能性もあるんだが」
「違います!」
「だろうな。だったらわざわざ改めて悪魔を召喚してまで朝日君を殺そうとしなくてもいい」
だからこそ手がかりが振り出しに戻った、と速水は頭痛を押さえるように米神に手を当てる。召喚方法を知る理緒が違うとなれば、また一からあの悪魔を情報が無い中探し出さなければならないのだ。
せめてもう一度会えれば、と悠乃は歯噛みする。
「とりあえず今日はもう帰っていい。後日また呼ぶことがあるかもしれないが、その時はまた頼む」
「……あの、本当に帰っていいんですか」
「朝日君が訴えるつもりがないなら我々は動かない。だが、そうだな……北村加奈子に面会できるように話をつけておこう。彼女にはまだ聞かなければならないこともあるんだが……酷く精神的に不安定になっていてな、君も会って声を掛けてあげてほしい」
「それは……無駄です」
「無駄?」
「加奈子は私のことなんてどうでもいいと思ってる。悪魔のことを聞き出せれば後は用済み……私が行ったところで彼女の心が回復することはないと思います」
「そんなことない!」
理緒は消え入りそうな声で手を強く握りしめる。しかし彼女の言葉に思わず反論したのは悠乃だった。
「悠乃?」
「理緒ちゃん違うよ。だって北村さん、メモのことを追求されても絶対に理緒ちゃんのこと言わなかったから」
北村が持っていた召喚方法が掛かれたメモ。あれだけ精神的に参っていても彼女は誰から貰ったという問いかけに首を振り、ただどこかで拾ったと証言し続けた。理緒のことをどうでもいいと思うなら、さっさと彼女のこと告げればそれ以上追及されることもなかったというのに。
「お願い、もう一度北村さんと話をしてあげて」
「……うん」
また冷たくあしらわれたら、そう恐れる気持ちも強い。だが理緒は少し黙り込んだあと悠乃の言葉に頷いた。少しまでもまだ友人だと思ってくれているのなら、と北村のことをもう一度信じたくなったのだ。
今日はもう遅いということで理緒と蒼は帰ることになり、理緒はタクシーで、蒼は彼が断わった為歩きで自宅へと戻っていった。残った悠乃は署内で今回の事件の報告書を仕上げながら、再度召喚された悪魔について速水と話をしていた。
「あまり術式の効かない悪魔か……」
「はい、脳に打ち込んだのに動きはあまり鈍りませんでした。知能が高いタイプではないようだったので余計に効果が薄れたのかもしれません」
「そういう力任せなタイプは厄介だな。もっと銃弾の改良が必要か……ところで悠乃」
「何ですか?」
「朝日君は本当に悪魔が見えていなかったのか?」
「……そ、そりゃあそうですよ! 私達みたいな人なんてそうそう居ないですって!」
思わず立ち上がってバン、と強く机を叩く。蒼が悪魔を見えていない状態で戦闘に協力してくれたというのは正直苦しい説明だ。しかし約束があるため悠乃から本当のことを告げるわけにはいかない。
速水は感情の見えない表情でじっと彼女を見つめていたものの「そうか」と一言だけ口にした後は、それ以上追及することなく自分の仕事に戻っていった。
絶対に納得していない、と悠乃は血の気が引いたが再度言い訳をする訳にもいかず、気まずい思いをしながら報告書を書き続けた。
「蒼君ごめん!」
『何? ばらしたの』
「私からは否定したけど……多分ばれてると思う」
その後自宅に帰った悠乃はすぐさま部屋に籠って蒼に電話を掛けた。怒られるだろうかと恐る恐る言った悠乃に対し、しかし電話の向こうの蒼はいつも通りの口調で『ふうん』と平然と相槌を打つ。
『まあそんなことだと思った』
「怒ってないの?」
『悠乃がおっさんを騙せるとは思ってないよ。だけど悠乃が隠したがってるのが分かればあの人もそれ以上何も言わないだろうなとは予想してた。牽制ができれば十分だ』
最初からばれること自体は想定済みだったらしい。期待されていなかったことに落胆すればいいのか安堵すればいいのか、悠乃は何とも言えない気持ちになる。
『そういえば警察署で会ったあの金髪の人も悠乃の同僚なんだろ?』
「和先輩? うん、そうだよ」
『あの人も見える人なのか』
「先輩は……言っていいのかな」
『言え言え』
「……悪魔憑き、らしいよ。何か色々あってなったって」
元々悪魔を見ることが出来ない人間でも、悪魔憑きになれば彼らを認識できるようになる。理緒も同様で、魔法陣によってその力が備わると言われている。
『らしいってなんだよ』
「私は見たことないの。他の人は知ってるみたいだけど」
『なんだそれ、悪魔に嫌われてんのか?』
「前に先輩に聞いたことあったんだけど……“俺が殺されるから無理”って言われたの。どういう意味か分からないんだけどね」
そう言うということは悪魔との関係があまりよくないのか、悠乃には推測するしかないが悪魔憑きである彼自身が拒否するのだからそれ以上彼女は求めなかった。
「それで、明日からまた手がかり無しの悪魔探しか」
「一応それもやるけど……テスト前だし悪魔と交戦したばっかりなんだからちょっとは休めって速水さんが」
『……へえ、大事にされてるんだな』
蒼の言葉が皮肉に聞こえてしまうのは彼女自身が休むことに後ろめたい気持ちがあるからだろうか。仕事の手を一旦止めて平凡な学校生活を送るなんて、本当にそんなことをしていいのかと。
『ま、せいぜいテスト頑張ればいいんじゃねえの?』
「うん、せっかくそう言ってもらったから頑張らないと」
彼女に妥協は許されない。何事においても手を抜くということは、今まで手を差し伸べてくれた周囲を裏切る行為であると彼女は思っている。悠乃は蒼との電話を終えるとすぐに机に向かって勉強を始めた。
「おはよう悠乃」
「理緒ちゃんおはよう」
無事にテストも終わった数日後、悠乃は登校途中に理緒と会い一緒に校舎への道を歩いていた。
テスト中はあまり話す時間もなかったので北村のことを尋ねることは出来なかったのだが、彼女の表情が日に日に明るくなっていくのを見ていた悠乃は、良い方向に言っているのだろうと密かに安心していた。
「理緒ちゃん、北村さんに会ったんだよね?」
「うん……。最初に行った日は殆ど話してくれなかったけど、少しずつ昔みたいに話してくれるようになったの。ごめん、って謝られた。魔獣が居なくなってようやく我に返ったって感じだった」
「理緒ちゃんは許したの?」
「許すも何も、私だって同じことをしようとしたんだよ。……それから、白鳥さんにも会いに行った」
「え?」
「元々は私があのメモを渡したからあの子は酷い目にあった。朝日の言う通り謝っただけで許されることじゃないけど、でも何もしないのは違うと思ったから。悠乃も……改めて、ごめんなさい」
「……いいよ。理緒ちゃんがこれからまた誰かを傷つける為に悪魔を呼ぶことがないなら」
「私も朝日みたいに、悠乃の仕事に協力するから。ほら、悪魔だって見えるようになったし」
「それなんだけど……」
悠乃は理緒に頼んで左腕の袖をまくってもらう。そこには先日焼き付いた魔法陣が残っているものの、少しずつその色を薄くしているのが分かる。一か月も経てば完全に跡形もなく消え去ってしまうだろう。
「魔法陣が消えたら悪魔も見えなくなると思う」
「え、そうなの?」
「うん。送還したら魔法陣も必要なくなっちゃうから消えちゃうし」
「そっかー……でも、何かあったら私も手伝うからね。聞き込みとか!」
「あ、ありがとう」
妙にやる気の理緒に押されるように頷いた悠乃は苦笑しながら昇降口へ向かう。するとそこは他の生徒で普段よりもずっと賑わっており、悠乃は何かあったのだろうかと首を傾げた。
「どうしたんだろう?」
「ああ、あれは――」
「テストの順位が発表されてるんだよ」
理緒の言葉に繋げるように悠乃達の背後から声がする。彼女達が振り返った先には欠伸をしながらのろのろと歩いてくる蒼がおり、鬱陶しそうに目の前で溢れかえる生徒達を眺めていた。
「おはよう蒼君」
「はよ。……朝からうじゃうじゃと邪魔だなあ」
「どーせあんたは見る必要もないんだからこんな時間に来なきゃよかったのに」
「忘れてたんだよ」
蒼と話す理緒には以前のような険悪な雰囲気は感じられない。思うところが無い訳ではないだろうが、それでも殺意がなくなっただけで大きな進歩だ。
悠乃が生徒達の合間から下駄箱の奥の廊下を見ると、確かに蒼の言う通り今回のテストの順位が発表されているらしかった。小学校の頃は大々的に張り出されることなんてなかったので物珍しく、悠乃は理緒達と共に少しずつ散らばっていく生徒達の間を縫って張り紙が見える位置まで移動した。
「あ……」
ようやく名前が分かる場所に来た悠乃は、しかし張り紙を見上げて思わず絶句せざるをえなかった。
「まーやっぱり見るまでもなかったな」
「ほんとに嫌味なくらい同じ順位、むかつく」
「俺が頭いいのは揺るがない事実だからしょうがないんだよ、一々僻むなって」
理緒と蒼の会話も碌に耳に入って来ない。瞬きもせずに悠乃が見つめる先には“一位 朝日蒼”という文字が間違いなく書かれているのだから。
「あ、悠乃二位だって! すごい!」
「へえ、お前頭よかったんだ……悠乃?」
「……ごめん、私先に行くね」
理緒の称賛の声にも悠乃は静かに首を振り、彼女はその表情を見られないように俯いて早足でその場から抜け出した。いきなり逃げるようにどこかへ向かう悠乃の背中を見て理緒と蒼は訝しげな表情を見せる。
「どうしたんだろ」
「……さあな。聞いてみるか」
「朝日?」
そう口にするや、蒼も悠乃を追いかけるように走り出した。




