16. 事情聴取
「さて、それで……どうする?」
悪魔は魔界へと無事に送還された。しかし元はと言えば理緒が蒼を贄にしようとして悪魔を呼んだのだ。彼女は悪魔の送還に協力してくれたので再度呼び出すことは恐らくないだろうが、それだって悠乃が危険になったからそうした訳で、蒼への恨みは依然として残っているのだろう。
どうでもよさそうに悠乃にそう尋ねた蒼は「こいつ、北村の時のように捕まえるのか?」と首を傾げた。直後その名前に反応して俯いていた理緒が顔を上げる。
「加奈子を捕まえたって……」
「えっと、うん……その話もちゃんと理緒ちゃんに話すけど、とりあえず速水さんに報告するよ」
理緒の処遇をどうするか、それについては悠乃に権限がある訳でもなければ、あってもどう対処していいか困る。結局贄にされかけた蒼も悠乃も大して怪我をしていない。悪魔や魔獣に関する事件は取り扱いが難しい為、悠乃は速水に指示を仰ぐために少し二人から距離を置いて――しかし理緒と蒼の姿が確認できる付近で電話を掛けた。
先ほど一度電話していたからか待っていたかのようにすぐに電話は繋がる。
『悠乃、どうなった』
「それが……」
悠乃が今まで起こったことを手短に報告する。その間、理緒はばつの悪い表情で蒼を窺い、少々躊躇ったあと口を開いた。蒼が言った北村のことが気になって仕方がなかったのだ。
「朝日……あの、加奈子が捕まったって、どういう」
「北村は魔獣を召喚してその生贄に白鳥を使った。そんで今度は俺と一緒にいた悠乃を逆恨みして魔獣を嗾けた」
「加奈子が……悠乃を」
「それを悠乃が逮捕した。俺は悠乃の捜査に協力してたから一緒に居ただけだったが、それをあの女が勘違いして逆上したんだよ。……あの女が俺に惚れた所為でおかしくなったとしても、俺が恨まれるのは筋違いだと思うけどなあ?」
「……」
二の句が告げず理緒は唇を噛んだ。多少なりとも冷静さを取り戻した今なら、蒼の言葉が正論であると認めることが出来る。頭では加奈子がおかしくなったのは彼女自身の問題だと分かってはいたのだ。しかしその変貌に心が追いついていなかった。きっと何か理由があるのだと……すべて蒼を好きになった所為なのだと思い込むことで自分の心を守った。
蒼が居なければと思考を停止させ、悠乃まで同じようになることを恐れた。
「蒼君、理緒ちゃん」
「どうだった?」
「これから二人に警察署まで来てほしいんだけど、いいかな」
「……分かった」
電話を終えた悠乃が二人にそう尋ねると、理緒は小さな声で頷いた。自分が一体どれだけのことをしてしまったのかを自覚して、密かに手を強く握りしめる。
「……俺も?」
「うん、蒼君からも話を聞きたいって」
「警察署ってつまりお前の所の部署だろ? そこって、悪魔いる?」
「うーん……いないと思うけど」
悠乃の部署に所属している人間には様々な人がいるが、彼女と同じく悪魔の事件を担当する警官は大きく二通りに分けられる。
一つは悠乃や速水と同じ悪魔を見る目を持つ者。そしてもう一つは、悪魔憑きの人間だ。それぞれの事情で悪魔憑きになった彼らは悪魔と契約をしているが、署内で連れ歩いているのは殆ど見ることはない。そもそも悠乃と同様に各々捜査に赴いていることが多いので署内にいること自体が少ないのだ。
「悪魔はいないけど出来れば来てほし――」
「じゃあ行く」
「いいの?」
てっきり行かないと言われると思っていた悠乃が拍子抜けしたように声を上げる。
「その代わり条件がある」
「条件って……何?」
「俺が悪魔見えたのをあのおっさんとかに言わないこと」
「え、なんで」
「お前だってその目があるから警察官とか無理やりやらされてるんだろ? 知られたら碌なことにならねーもん。俺、命令されるのも強制されるのも大嫌いだし」
「……」
確かに蒼も悪魔を見る目を持っていると知ったら、万年人手不足であることに悩んでいる彼女の上司たちは彼を勧誘するかもしれない。蒼が言いたいことも悠乃には分かるのだが……彼女自身はこの仕事を無理やりさせられているという訳ではない。むしろ彼女に居場所をくれて、こうして働かせてもらえていることに感謝している。
「知っても強制的にはやらされないと思うけど……分かった」
蒼の条件に悠乃が頷くと、三人はようやく校舎を後にして警察署へ向かって歩き出した。
日も落ちて辺りも真っ暗になった頃警察署についた悠乃達は、建物の裏手に回り込むとあまり目立たないようにひっそりと作られている出入り口の扉を開けて中へ入った。
扉を開けるとすぐ目の前にもう一つ扉が設置されている。悠乃が扉の傍にある機械に自分の部署のICカードをかざすと電子音が鳴り自動的に扉が開かれた。
「……本当に悠乃って警察官なんだ」
「まあ普通は見えねえよなあ。年齢的にも性格的にも」
二人の言葉に苦笑しながら、悠乃は一般人が入ることができない署内を進む。機密保持の関係で悠乃も知らないことが多いのだが、この辺りには悠乃達の部署の他に超能力や心霊関係の事件を取り扱う部署もあるらしい。
「お、来た来た」
しばらく廊下を歩き地下への階段を下りると、特殊調査室・悪魔部門のプレートが掛かった部屋に到着する。悠乃がノックをして中に入ろうとしたものの、その前に聞きなれた声が聞こえて先に扉が開かれた。
「和先輩」
「ちびすけ、久しぶり……でもないか? 最後に会ったのはお前が捜査に入る前だったからな」
悠乃が見上げた先に居たのは、楽しげに笑う先輩の和也だった。金髪にピアスという悠乃よりも警察官らしくない四歳年上の彼は、悠乃よりも彼女の兄と同じ任務に就くことが多く、あまり会う事は多くないが彼女も親しくしている。
「速水さんがお前が来るっていうから帰るのちょっと待ってたんだよ」
「あ、そうだ先輩! この前また嘘吐きましたね!」
「この前……? すまん、思い当たる節が多すぎてどれのことだか分からん」
「……もういいです」
悠乃としては勿論潜入捜査のアドバイスの話だったのだが、本気で分からない様子の和也に諦めて一つ嘆息した。
「悠乃、早く入ってこい」
「あ、はい」
扉の前で立ち往生していると中から速水が手招きをする。「それじゃあなー」と和也が出ていくのを見送って部屋の中に入ると、いつも通り室内は閑散としていた。どうやら元々速水と和也しかいなかったらしい。
悠乃は物珍し気に部屋の中をきょろきょろと観察する理緒と蒼に空いている椅子を差し出し、速水と向き合うように三人は腰掛けた。
「来てもらって悪かったな。……君が時雨理緒さんだな。すまないが北村加奈子との関係から話を聞かせてほしい」
「……はい」
理緒は俯きながらぽつりぽつりと話し始める。中学時代からの友人であったこと、オカルト好きではあったけどそこまで執着している様子はなかったこと、蒼を好きになった途端人が変わったかのように彼に夢中になり、理緒を脅して悪魔召喚の方法を調べさせたこと。
「北村加奈子は、どうして君が悪魔召喚の方法を知っているって分かったんだ?」
「前に軽く話をしたことがあったんです、おばあちゃんの家でそんな本を読んだんだよって。……私自身内容を記憶していた訳ではなかったので、春休みにおばあちゃんの家に行って改めて本を読んで、そのメモを彼女に渡しました」
「君の祖母の家についても尋ねたいが……とりあえず続けてくれ」
「……その、それから二年になってから加奈子が突然学校を辞めたって聞いて。入院した病院に行っても会わせてもらえなかったし……きっと、朝日のことで何かあったんだって思ったんです」
蒼を想うあまり静かに狂っていた北村。彼女に何かあったと知った瞬間に理緒が思い浮かべたのもやはり彼だった。
「まあ俺もあいつ捕まえるのに協力してたからな、あながち間違っちゃいない」
「……」
それからは悠乃達も知っての通り、今日の出来事に繋がる。速水には電話で軽く説明はしていたが改めて悠乃が報告すると、彼は眉間に皺を寄せて難しい顔で腕を組んだ。
「つまり君は朝日君を殺そうとした殺人未遂に当たる訳なんだが」
「……そう、ですね」
「朝日君、君は時雨さんを法に訴える気はあるか?」
逆恨みとはいえ、反省している様子の理緒と結果的に無事だった蒼。勿論蒼が法で裁いてほしいというのなら速水も対処するが、悠乃と同じ年の理緒に前科を背負わせることに躊躇いがあるのも正直なところだった。警察官として、そんなことは決して公言できないが。
「しょーじき面倒だし俺に利がないのでどうでもいいです」
「蒼君、本当にそれでいいの?」
「何だ悠乃、お前は時雨を逮捕したいのか?」
「そういう訳じゃないけど、一応蒼君は殺されかけた訳だし」
「実際に贄にされそうになったのは悠乃の方だろ」
「……朝日」
理緒が顔を上げる。うろうろ視線を彷徨わせた後ようやく蒼を見た彼女は、酷く躊躇った後小さく口を開いた。
「あの、ごめんなさ」
「ああ、別に謝らなくていいぞ」
「え」
絞り出すように謝罪の言葉を口にしようとした理緒はしかし当の本人に遮られてぽかんと呆けた。蒼はにやにやといつものように悪い笑みを浮かべており、状況にそぐわない表情に悠乃と速水は首を傾げた。
「なんで」
「というかそもそもお前、人を殺そうとした癖に謝っただけで許してもらえるとか思ってるわけ?」
「それは……」
「だから謝罪はいらない。その代わり……そのうちしっかり借りを返してもらおうか」
その時のお楽しみにしとく、と蒼は弱みを握ったように実に楽しそうに言った。自分のことではないのに、思わず悠乃もその表情に寒気を感じる。一体何を要求するつもりなのだろうかと。
「……話を戻すが。悠乃、悪魔との戦闘は誰にも見られてないんだな?」
「恐らく大丈夫です。部活棟はテスト週間で人もいなかったので。……でもちょっと、戦闘の所為であちこち建物内の損傷が」
「それはこっちで処理しておく。いたずらに不審者が侵入して荒らしたっていうのが妥当か。……あと、お前電話の時は無事だったって言ったよな。その首……」
「あ」
咄嗟に悠乃は自身の首――先ほどの戦闘で悪魔に掴まれたそこに触れた。鏡を見なければ分からないが、痣になっているのかもしれない。速水の視線に痛さを覚えながら「これだけで、大したことなかったので……」と言い訳がましく返す。
「はあ……。無事だったからよかったものの、よく一人で悪魔に対抗できたな……」
「いえ、一人じゃなくて蒼君も一緒に悪魔を――」
「悠乃が突然見えない何かに掴み上げられたもんだから適当に体当たりしただけですよ。まさか悪魔だとは思ってなかったんですけど、なあ悠乃?」
自分の失言に気付かなかった悠乃を遮ってすかさず蒼が会話に割って入る。言うなって言っただろうが、という彼の心の声が聞こえた気がして悠乃ははっと口を噤んで彼の言葉に何度も頷いた。
「……そうか」
酷く疑わしげな速水の目を見ていられず、悠乃は誤魔化すように乾いた笑いを浮かべながら必死に目を泳がせていた。




