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12. 憎悪

「あー、やっと決まったな」

「無事に決まってよかったね」



 たるい、と面倒くさそうに肩に手を当てた蒼と数枚のプリントを持った悠乃は、普段あまり通ることのない廊下を歩いていた。来月に迫った体育祭の選手が決まったので、それらを生徒会に提出する為だ。

 しかし生徒会である。勿論悠乃達の目的地には生徒会のメンバーがいるはずで、そこには当然のことながら蒼と犬猿の仲である楓もいる。プリントを提出するだけなので一人で行くと悠乃は言ったのだが、何故か蒼も着いてきた。



「蒼君って、虹島会長のこと嫌ってるのによく会いに行くよね」

「あの澄ました顔見てると腹立って怒らせたくなる」



 蒼と楓が顔を合わせるとすぐに言い争いになるので、悠乃としては正直なところ一人で行きたかった。

 それにしても、毎度のことながらこの蒼の発言だ。



「蒼君って性格悪いよねえ」

「……そんなしみじみと本人に向かって言うやつは悠乃だけだよ」



 確かに自覚はしてるけど、と蒼は呆れたような表情を見せた。



「あの! 朝日先輩!」

「ん?」



 あと少しで生徒会室へと到着するというところで、彼らの背後から可愛らしい声がかかった。名前を呼ばれて反射的に振り返った蒼は、すぐに自分の前に走り寄ってくる長い髪の女子生徒――恐らく一年生に目を向ける。彼女はどうやら走って来たようで、息を切らして頬を紅潮させていた。



「俺に何か用?」

「あの……少し聞いてほしいことが……」



 あからさまに緊張した様子で一生懸命に話す彼女を見れば、その手の話題に鋭くない悠乃でも容易に彼女の目的が分かる。しかし咄嗟に蒼を見上げた悠乃は、彼の表情を見て一瞬固まった。

 何もそこまで面倒臭そうな顔しなくても、と言いたくなるほどに蒼にしては本心そのままと言った顔だ。俯いている女子生徒が彼の表情を見ていないのだけがせめてもの救いともいえる。



「蒼君。どうせこれだけだし、後は私だけで行くから気にしなくていいよ」

「悠乃、おい」

「それじゃあ」



 元々蒼が来るとややこしくなる場所である。女子生徒の気持ちを汲む意味でも、悠乃は早口でそう言い終えると蒼の声を振り切るようにしてさっさと歩みを再開した。

 背後から聞こえてくる声を極力耳に入れないようにしながら早足で生徒会室の前まで来た悠乃は、一度ノックをして了解の声を聞いた後に静かに扉を開いた。



「失礼します、体育祭の選手名簿を持ってきました」

「ああ、ありがとう。鏡目さん」



 初めて訪れた生徒会室はさほど珍しいものではなかった。広さはクラスで使う教室の半分ほどで、備え付けの棚には沢山の本が並べられている。机も生徒が普段一人ずつ使うものよりも大きく引き出しもついているが、そこまで高価なものではなく全体的に部屋の狭さからか、少々圧迫感を覚える作りになっていた。

 入って来た悠乃に声を掛けたのは入口から正面奥の席に座る会長の楓だ。他にこの部屋にいるのは副会長の小夜子とその隣の席に座る黒木。他に二つある席は空いており、他の役職の生徒のものだろうと考えられる。



「しかし……やはりというべきか、朝日は君に仕事を押し付けて遊んでいるのか?」

「いえ、ついそこまでは一緒に来てたんですけど……ちょっと他の子に呼ばれちゃって」

「そうか? それならいいんだが」



 困ったことがあったら何でも言ってくれていい、と楓はプリントを受け取りながら穏やかに微笑んで見せる。以前楓は女の子に優しいと誰かが言っていたのを思い出す。

 そんなことを考えていると、悠乃は不意にどこからか視線を感じた。何のことはない、ここには悠乃を除いて三人しかいないのだから、視線の主は探さずとも見つかった。



「あの、何か」

「……何でも」



 彼女を静かに、しかしどこか値踏みするように見つめていたのは黒木だった。楓や小夜子と違い殆ど会話をしたことがない彼は、悠乃の声に端的に答えたもののその視線は揺らぐことはなかった。

 三人の中で一番よく分からないのが黒木だ。観察するようにじっと見つめられることに悠乃が困っていると、見かねた楓が「クロ」と制止の声を上げた。



「あんまりじろじろと見るんじゃない、鏡目さんが困っているだろう」

「……」

「鏡目さん、すまない」

「いえ……ところで、生徒会って書記や会計の人もいますよね?」



 楓の声に従うように視線を逸らした黒木は、そのまま眠るように目を閉じて机に顔を埋める。纏わりつくような視線が無くなってほっとした悠乃は、この教室にある二つの空席を目に止めて気になっていたことを楓に尋ねた。始業式の生徒会の任命式では確か書記と会計としてもう二人、生徒会の人間がいたはずだ。



「ああ、いるにはいるんだが……あまり役に立たないし本人たちもやる気がないからな……」

「いても邪魔だから追い出しちゃったのよ」

「ええ……?」



 言葉を濁した楓の代わりに、小夜子がばっさりと告げる。生徒会はそれでいいのかと、思わずもの言いたげに楓に視線を送ってしまった悠乃に、彼は誤魔化すようにこほん、と息を吐いた。



「情けない話だが、生徒会役員に立候補したというのに学校に貢献しようという意欲が欠片もなく、おまけに権力ばかり得たがる奴らだったんだ。おかげで小夜には苦労を掛けてしまっているが……」

「私は構いません。虹島家の力を笠に威張ってるだけの能無しなんて楓様には必要ないわ。同じ分家の人間として恥ずかしくてたまらない」

「その、虹島会長って確か理事長の孫なんですよね?」

「……ああ。そうだが」



 だからいらない虫が集ってくるのに困っている、と楓は少々苦々しい顔を見せた。書記や会計だった生徒も分家の人間だというが、どうやらこの学校には虹島家に近しい人間が多いらしい。だからこそ余計に包囲網が広がり、捜査の手を入れるのが難しいのだろう。



「……鏡目さんは朝日と違って真面目な子みたいだし、いっそ書記か会計になってみない?」

「え、それは……」

「クロにも手伝ってもらってるけど、やっぱり人手不足なのよね」

「確かに鏡目さんはしっかりしてそうだな。よかったら生徒会に入ってみないか?」



 小夜子がぽつりと告げた言葉に楓も「それはいい」と手を打つ。確かに会計と書記がいないのだから手が欲しいのは分かるが、しかし悠乃がその手を貸せるかと言ったら別問題である。

 生徒会に入ればより情報は集まるだろうか。悠乃は一瞬だけ思考を巡らせた後に首を横に振った。クラス委員の今でも十分生徒会と接点は作れているし、流石にこれ以上捜査の時間を削るのはまずいだろう。



「折角ですが、私には荷が重いので……」

「そうか……無理を言って済まなかった」

「クラス委員として協力できることは頑張るので、あの、すみません」



 あからさまにがっかりとされて思わず悠乃は付け加えるようにそう言ってしまった。そこまで忙しいのだろうか。



「ああ、これからもクラス委員としてよろしく頼む」

「よろしくしなくて結構」

「え」

「悠乃、よくも置いていきやがったな」



 楓の言葉に頷こうとした悠乃を遮って、少々乱暴に生徒会室の扉が開かれる。不機嫌そうな蒼はつかつかと彼女の元へとやって来ると文句を言って空席である机の上にどかりと腰掛けた。



「朝日どけ、机は座るものじゃない」

「あーあーうるさい。お前の声を聞く気分じゃないってーの」

「じゃあ来るな」



 至極真っ当な言葉を返す楓を無視した蒼は、組んだ足の上に片肘をついて悠乃を軽く睨む。



「お前が俺を取り残すから面倒なことになっただろうが」

「いや、普通あんな風に告白するって感じの時だったら邪魔になるでしょ?」

「邪魔してくれていいよ。ああいう真面目で一途そうな女とかお断りだ」

「またお前はそうやって女心を弄んで……!」

「だから似非フェミニスト野郎は黙ってろって――」



 また始まった、と悠乃は嘆息する。ちらりと小夜子を窺うと、既に二人の会話など耳に入ってはいないように仕事を再開しており、呆れた悠乃も小夜子に会釈をしてから静かに生徒会室を出て行った。



「……」



 ただ、教室を出ていく悠乃の背後で密かに小夜子と黒木が目配せを交わしていたことには、その場にいる誰も気づくことはなかった。








「どうしてあの二人はあんなに仲悪いんだろう……」



 一人廊下を歩く悠乃は、周囲に聞こえないくらいの声でそう呟きながら自分のクラスである二年三組を目指していた。妙に疲れた気分になりながら今日はもう鞄を取って帰ろうと考えていた彼女は、しかし教室の前に辿り着いた瞬間にその足を止めた。何のことはない、中から数人の話し声が聞こえて来たのだ。



「――だから、可哀想だなあって思ってて」

「時雨さんも私達のグループに入れてあげてもいいよって話してたんだ」

「そうそう。鏡目さんなんかと一緒にいてもつまらないでしょ? あの子男に色目ばっか使ってるし」



 聞こえて来た内容に思わず息を呑む。それらの声は悠乃を嫌っているクラスメイト達のもので、声は聞こえないが恐らく理緒もここにいるのだろうと推測された。

 勿論悠乃は色目など使った試しもない。蒼に対してもそのような感情を持っていないし、たった今も彼に呆れて一人戻って来たところだ。しかし蒼が好きな彼女達にはそんな事実は関係ないのだろう。



「……悪いけど」



 どんな誤解であっても自身を悪し様に言われるのはやはり辛い。そのまま教室の前から離れようとした悠乃だったが、続いて聞こえて来た理緒の声に足を止めてしまった。



「あんた達が朝日のことで私の友達を悪く言うのはね、はっきり言って不愉快以外の何物でもないのよ」

「はあ? 私達は別に」

「あんた達は悠乃に嫉妬してるだけ。しかもお門違いのね。あんなろくでもない男に振り回されて、本当に可哀想なのはそっちの方よ」

「……せっかくわざわざ声掛けてあげたっていうのに。何なのその態度」

「最低だよね。そうやっていい子ぶっちゃってさー、本当のところ時雨さんも朝日君のことが好きなんじゃないの?」

「そういえばよく朝日君に噛み付いてるもんね。鏡目さんの傍に居れば朝日君に構ってもらえると思ってるんじゃないのー」

「……は」



 馬鹿にするような甲高い声が飛び交う中、理緒の地を這うような低い声がそれらを強制的に止めさせた。酷く短い声だったのに関わらず、その一音に内包されたあまりの怒気に、教室の外で聞いていた悠乃ですらびくりと肩を揺らした。



「誰が、誰を好きだって?」

「いや、あの」

「そ、そんなに怒ることないでしょ……」

「あんなやつ――」



 理緒の声に圧されるように先ほど前の勢いを失ったクラスメイト達は、少々怯えるように声を震わせる。しかし理緒の怒りはまるで収まってはいなかった。続けられるように聞こえて来た彼女の声は怒りを通り越し、まるで蒼を呪わんばかりの怨嗟を含んでいたのだから。



「……地獄に落ちればいい」




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