第15話 星座には敬意を仲間には感謝を
一章後編、開始しました。
気になる方は、ぜひご覧下さい。
瞼をゆっくり開けると、そこに広がっていたのは辺り一面の草原と、満開に咲き誇る色とりどりの花畑。
サルファのそれにも引けを取らない風景が、目の前にあった。
「ここ、は……?」
しばし風景に魅了されたバルサは我に帰る。このような神秘的な場所、草の大陸以外に考えられないが、覚えがないのも確かだ。
一抹の不安を抱きながらも、バルサは緑で埋め尽くされた地面を歩き始める。
いくら歩いても同じ景色しか見えない。だがなぜだろう。自分が動けば必ず何かが起こる、そんな気がした。
その時強い突風が降りかかり、反射的に顔を両腕で覆い隠す。
数秒後に風は止み、バルサは腕を戻して姿勢を正した。
その瞬間、バルサの前に一匹の生物が現れた。
全体的な見た目は山羊に酷似しているが、体毛は長く立派で体躯と角は通常の五倍ほどある。翠の瞳は異様な威圧感があり、神秘的風景と相まって偉大な神々しさが感じられた。
「……!」
バルサは驚きで息を呑んだが、すぐに動悸を抑えることに成功する。理由はわからないが、バルサは自分の前にいる神的存在を、すでに知っている気がしたのだ。
【やあ、少年。気分はどうだい?】
鈴のように軽やかで、それでいて凛々しい声が頭の中だけに響いてくる。恐らく精神感応ーーテレパシーを使っているのだ。目の前にいるのが本物の神なら、それくらいのことはいとも簡単に出来るだろう。
【あの……少年? 聞いているかな?】
それより、重要なのは喉に引っ掛かるような違和感だ。日常的な環境なら素通りすることは容易だが、そういうわけにもいかない。
【ねぇ、ねぇってば】
思い出せ、思い出すんだ。でないとこの記憶の淀みは永久に消えないまま、忘れ去ってしまう可能性がある。それは駄目だ、絶対に呼び戻すんだ。でないと、一生後悔する。
膨大な記憶の海に網を投擲し、釣れた魚を選別する漁師の如く記憶の欠片を拾い上げ確認する。
ーーそして遂に、探していた欠片を発見した。
「思い出した。ーーあなた、黄道十二星座の化身様ですね。あのときは助けて頂き、ありがとうございます」
【そうだよ気づくの遅すぎるよこんにゃろー!】
バルサが流暢に礼を口にすると、化身は前足を高く上げて怒りの意思を伝えてきたのだが、テレパシーも一緒に流れ込んでしまったためそれがツッコミに見えてしまった。
「すいません。記憶の呼び戻しに手間が掛かってしまったもので」
【いいよもう。あと敬語いらない。はあ、せっかくのペースが乱れたよ……】
化身はそう言うと、項垂れるように頭をだらんと下げた。
「ごめん。雰囲気を合わせるの得意じゃなくて……失礼ついでに、ここがどこなのか教えてくれる?」
【ここは、私が持つ個別式魔術結界ーー通称『宝珠不可侵領域』。私の許可がなければ絶対立ち入ることが出来ない、まさに最高防御壁ね】
「何で……僕はここにいるの?」
【決まっている。私が少年を連れてきたからだよ】
「そんなことをして、一体何を……」
【目的は一つ。少年の志を、今一度この目で確かめるためだ】
言うが早いか、化身はバルサの顔を見るように自分の顔を近づけた。鼻息が軽く髪を揺さぶるが、不思議と嫌な気分はしなかった。
【うん、うんーーなるほどなるほど】
化身は一人で頷き呟くと、静かに後ろに下がる。
【その場の判断で協力したけど、私の見る目は、まだ衰えていないらしいな】
「えと、どういう意味?」
【安心しなさい少年。私は此度、少年の行為に感嘆しています。友を見放したことは関心しませんが、それ以外は賞賛に値します】
「っ! 誰も見放してなんてーー」
【ともに旅をして黄道十二星座を集め直し世界を救うと誓い合った仲間を置いていき、単独で目的を果たそうとした。これのどこが見放してないんですか?】
「っ……!」
バルサは思わず眉を潜めた。化身が述べたことは、その殆どが図星だったからだ。
確かに今回の探索活動を行う際、バルサは仲間の二人を町に残して一人で無謀な行動に出た。
しかしそれは、これ以上仲間を悲しませないためでーー、
【少年、君はまだ年若い。理解しろと言うのはいささか酷な話だ。ーーだから、この話題は保留だ】
直後、地面が淡く輝き出し、徐々に光度が強くなる。
【また縁があったら話そう、少年。では……】
「待って! まだ聞きたいことがーー」
最後まで言い終えることなく、バルサは結界から追放された。
◆ ◆ ◆
リュイナはミミアと一緒に、バルサの看病を当人の寝室で行っていた。
突如姿を消してしまったバルサを見つけ出し、窮地を救うことが出来たのだがーーあの後、バルサは意識を失ったまま帰ってこない。
一応病院で診てもらったが、外傷はさほどなく身体に異常はなかった。医師からは、魔力を過剰使用したことによる体力の急激な消耗が原因と言われたが、それなら時間経過で戻るはずだ。
すでに日は沈み夜になっている。これだけ経てばもう目覚めていい頃なのだが……。
「まさか……し、死んでなんか、ないよね?」
「大丈夫。心臓の音、聞こえる」
脳裏をよぎった嫌な思案にそう返したのはミミアだった。バルサの胸元に耳をあて、静かに口を動かす。
それを聞いてリュイナはほっとしたが、同時にバルサが一向に起きないことに疑問を浮かべた。
「どうして、バルサ君は目を覚まさないのかな?」
「それ、は、ちょっと……わか、ら……」
と。
リュイナの問いに再び答えようとしたミミアは、次第に声が小さくなり、やがてバルサの上に頭を乗せた状態で瞼を閉じたまま動かなくなった。
「ミミアちゃん?」
「すぅ……すぅ……」
……どうやら、急に寝てしまったらしい。
時間的には確かに睡眠に入ってしまうタイミングになりがちだが、それを差し引いてもミミアは稀な体質の持ち主だ。眠ることを我慢するのに、どれほどの気力が必要か見当もつかない。
「……ん?」
と、そこで、リュイナはミミアが何やらゆっくりと口を動かしていることに気づく。
たぶん寝言だろう。そう思ったリュイナは何もせず退室しようとしたが、興味本位でついミミアの口元に耳を傾けてしまった。
その口からこぼれるように出てきたのは、
「バ……ル…………サ…………」
未だにその体を動かさないバルサ。その名前だった。
リュイナはしばし呆けていたが、すぐに踵を返した後小さく呟いた。
「私とミミアちゃんを置いていったら、許さないんだからねーーバルサ君」
朝。バルサは意識が茫然とした状態で目を覚ました。
最初に見えたのは、木目がある天井。記憶からして、自分の寝室のものだ。
何故自分の寝室にいるか、頭が重く感じて上手く思い出せない。習慣的な行動として、バルサは体を起こそうとする。
が、その行動さえ上手く出来ない。筋肉がやわになってしまったのだろうか。
まるで重力が何倍にも膨れ上がったような感覚。特に胸の辺りが苦しい。
何とか顔だけを起こし、周囲の様子を確認する。
その時、バルサは気づいたのだ。
ーー自分の体の上を、ミミアが頭を乗せて寝ていることに。
「ミミアだったのか……」
バルサは言って小さく息を吐くと、ミミアの頬を指でつつく。
「ん……」
するとミミアは瞼を開け、おっとりとした双眸をこちらに向けてきた。
「……おはよう。バルサ」
そして顔をころんと転がして正面を向くと、抑揚のない声で挨拶をする。
「あ、うん、おはよう」
バルサは心に迷いを持ちつつも、いつも通りに返した。
まだ完全な目覚めに至っていないが、それでも先日の記憶がバルサを苛んでいる。
「ごめん。今どくから」
短く言ったミミアは頭を起こして立ち上がり、バルサから身を離す。
その全体像が視界に映ると、自分の中にあの日泣きじゃくり、嗚咽を漏らしたミミアの姿が幻影として浮かび上がる。
「あのさミミア……話したいことがあるんだけど、いいかな」
「……私も、バルサに話したい、ことがある」
寝室で話すのも何なので、バルサとミミアは一階に移動する。
階段を降りて、二人は椅子に向かい合うように座ったのち、バルサは口を開いた。
「勝手に行動してごめん。悪いことをしたのは、理解している」
「…………」
ミミアは眉一つ動かさず、表情も変えない。そのため、心境を読み取ることが難しい。
それでも気力を振り絞って、バルサは懺悔を続ける。
「こんなの、ただの言い訳にしかならないけど……僕はミミアのことを、心の底から力になりたいと思っているんだ。これからも、ずっと」
バルサは生涯の目的として、ミミアの力になると決心した。
自分の力、思念、可能な限り全てを、一人の少女に委ねると。
「君に全てーー捧げます」
「……!」
その誓いの言葉に、ミミアは目を見開かせた。
肩をきゅっと縮ませ、頬を紅潮させる。心なしか、少し動揺している気がした。
「? どうかした?」
「あ、あのーーえっと……」
バルサが聞くとミミアは朱の頬をさらに赤らめ、顔を俯かせる。
あまりにもミミアらしくない反応にバルサは首を傾げ、直前の自分の言動を思い起こす。
「あーー」
そこでやっとバルサは気づいた。先ほどのは決意のつもりで言ったのだが、字面からして、これでは愛の告白のようではないか。
「ご、ごめんミミア! 決してそういう訳じゃーー」
「嬉しい」
「え……?」
静かに放たれたその言葉に、バルサは拍子抜けした声を出す。
「だからーーその、嬉しい……です。そ、んなこと言われたの、は、初めてだったから」
「そうなんだ……」
バルサは顔の火照りを気にしつつも、言葉を受け止める。話の思い違い、特に恋愛的なものは予想以上に恥ずかしいと理解した。
両手を絡ませながら、ミミアは小さい口を動かす。
「星導の愛娘として、一族のために責務を果たしていた。けど……皆が必要としていた、のは、私ではなかった」
「え、それってーー」
どういうことなの? と問おうとしたその時、家の扉がゆっくりと開いた。リュイナだ。
「あ、バルサ君! 起きてたんだぁ」
一瞬沈んでみえたリュイナの表情が、バルサを認識した途端ぱあっと明るくなったのを、バルサは見逃さなかった。
「心配かけてごめんね、リュイナ」
「そんなことないよ。確かにバルサ君がいなくなったときは困惑で感情を抑えきれなかったけど、結果として、目的の星座を手に入れたんだし」
リュイナは言うと、片手にぶら下げていた首飾りーー辰星の器をバルサの目の前にかざした。枠の一つに収まっている緑色の宝石が、強烈な存在を放っている。
「なんで、リュイナがそれを?」
「この宝石を町長やヘートルさんに見せたんだよ。物知りな二人でも、こんな石は見たことがないんだって」
「……それは石じゃなくて、星の魔力が籠められた、結晶。緑の結晶には、確か『山羊座』の力があるはず」
山羊座の力ーーその言葉を耳にした直後、バルサの思考にある糸口が顔を出した。
「ねぇミミア。星座の結晶って、中に化身とか居たりする?」
「星座の力は意思を持つ存在だから、仮の姿として、身体を具現化することは、可能。でも、どうして?」
「いや、やっぱり夢じゃなかったんだなって」
リュイナとミミアが揃って不思議そうな顔をする。バルサは自身に起きた事実を偽りなく話した。
「ーー僕、会ったんだ。宝珠不可侵領域って場所で、山羊座の化身に」
「……!」
それにすぐさま反応したミミアは、顔をこちらにずいと寄せてくる。
「本当に、会った、の……? 山羊座の化身様に」
「うん。会話もしたよ。会話というより、説教に近かったけど……」
山羊座の化身に言われたことが脳裏に反芻し、自分という存在が惨めに思えてきた。
「すごい……バルサ」
しかしそれは、ミミアの感動が入った声によって記憶の隅に放り込まれた。
褒められることは慣れていないが、悪い気は一切しない。こそばゆくなるのは少々難ありだが。
「そ、そうかな」
「うん。やっぱりバルサを選んで、よかった。私……嬉しい」
そう言って、ミミアは口の端をちょっぴり上げて笑いの表情を作った。まだまだぎこちないが、それがまた可愛らしい。
「いーなぁ、バルサ君。私も星座の化身さんとお話しして、ミミアちゃんに褒められたいよ」
「あくまで願望はそっちなんだね」
バルサが冷静に突っ込むと、リュイナは舌を少し出しておどけたポーズを取る。三つの微笑が含まれた声が、家に響き渡った。
その日は軽い祝福会のようなパーティーをバルサの家で開き、三人は今日という時間の殆どを楽しく過ごしたのであった。
次話かその次辺りに、戦闘のシーンを書きたいと思います。




