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君に殺されるならそれでよかったのに

作者: Sa9(咲玖

缶コーヒーを片手にふと僕は考えた。



どうして僕は貧乏なのか?




働かないから?否。ニートにだって収入はあるのだ。だったらそんな理論は成り立たない。




では僕はお金に嫌われているのか。否。前に見かけた誕生日占いで諭吉さんとの抜群の相性は確認済だ。




では、どうして…?




…答えは簡単だ。




《必要がないから》だ。



…………


………………



まったく、なんて単純なんだろう。




しかし、僕は別に構わない。家がなくともそこにネカフェがあれば何の問題もない。そしてお金がなくともそこに生きようとする気持ちがあれば、なんとかなってしまうものなのだ。




…なんとなかってしまっていた。それが僕にとって最大の不幸だったのかもしれない。




僕はパチンコを出て、収入を片手にネカフェに向かった。しかし運の悪いことに、その日は部屋があいていなかった。調子に乗って遅くなりすぎたみたいだ。仕方なく僕は公園で一夜を過ごすことにした。




夜は深く、月の光だけが僕を照らした。小さな公園のベンチに、僕以外の影はなかった。




することもなく、日記を綴る。9月9日…



『収入:58000円 …それだけの、1日だった。』




なんとも、わかりやすい日記だろう。僕の一日を語るのに一行あれば事足りる。




9月9日が終わろうとしていた。今年もこの日を無駄に過ごした。僕はこの1日に意味を持たせることを固く拒んだ。



やっと、日が変わる…




そう安堵した矢先だった。




あたりには相変わらず何もない。




僕は静かに目を閉じた。




このまま眠ってしまえたら楽なのに…




そう考えるほどに、僕の頭をめぐる記憶が僕の睡眠の邪魔をする。そしてその鮮明な思い出たちがの目を熱くした。




っ!!.......




暖かいさ雫が僕の手に落ちた。




(悲しいわけじゃない、今さら涙を流す理由がない。僕に泣く資格なんてないのに、それなのに…)




「なんで。」



こぼれた声がやけに響いた。



腕を目に当て、空を見上げる。



秋のベンチは少し冷たく僕の背中を慰めた。



いっそこのまま、消えてしまえたら。今日が終わる瞬間に僕の命も終わってしまえば。明日がもうこなければ…それでいいのに、それが一番幸せなのに。





いつの間にか、時計は0時を指そうとしていた。




僕はなんとなくカウントを始めた。




20...19...18...17...16...15...........




何も考えず、刻々と秒を刻む。心はとても穏やかだった。




………3...2...1....




カチッ




日付が変わった。




こんな無慈悲に、当たり前のようにやってくる1

日の終りを、僕はあと何回迎えなければならないのだろう。




........



............




そう思った瞬間、僕は小さな影を見つけた。




それが女の子のものだと判断するのに30秒。




さらにその影が君のものだと気づくまでに、時計は15°まわっていた。




なんとも自然に、なんとも悠長に、君は静かに僕の前に立っていた。






言葉が、でない。




君の口が微かに動いた。






(しゅん)くん....」




君が僕の名前を呼ぶ。




その声は僕の耳を確かに揺らして、神経系が僕の記憶を呼び起こした。消えそうで優しいその声は間違いなくあの頃の君だった。




美海(みう)....?」



君が小さく頷いた。



そこからはもう何も聞こえなかった。




僕は君を抱きしめた。確かにあるそのぬくもりを、僕の体に伝わるその熱を、大切に包み込んだ。もう二度と触れることはないと何度も求めたその体温がここにある。それ以外、なにもいらなかった。浮かんだ疑問も何もかも、もうどうでもよかった。




............



....





どれだけ時間がたっただろう。





君は僕の手を握っていた。そしてその手は僕をあの場所へ導いた。





「ここは....」




振り返らずに、君は頷く。





「そうだよ、ちゃんと覚えてたんだね。」





僕はあたりを見回した。そう、ここはあの時の君と約束を交わした場所。





満点の空に降り注ぐ星を僕らは立ち止まって見上げた。まるであの日と同じ景色を見ているみたいな、そんな不思議な時間。




「あれから、もう10年か。」



おもむろに僕はつぶやく。



いま君はどんな顔をしているのだろう。この場所にいると思わずにはいられない。




(もう一度、君と……)




………………



…………




「時間だ。」



君が突然立ち上がった。



そして今日初めて君が笑うのを見た。あの頃と同じ、下手くそな笑顔で僕の頭をなでる君の手は卑怯なほど優しかった。




「ごめんね。」



君の手が離れた。



その瞬間、僕の目の前から景色が消えた。




「え…?」



突然現れた暗闇は僕の五感を奪った。





ーーーーーーーーーーーーーーーーー





久しぶりに夢を見た。




何度もリピートしてきたあの記憶の続きを。




…………………



………





君が僕の名前を呼ぶ。僕が君の頭をなでる。君の笑顔、君の声。……あれ、なんで?なんで、君は泣いてるの?ねえ、痛いの…?なんで、そんなに悲しい笑顔を浮かべるの?どうして………?




あ、夢が終わる。君が遠のく。ぼやける映像、そこにはまだ君がいる。……だれ?もう1人、いる。………いや、僕はそいつを知っている。……そうだ、僕にはもう1人………




………………



………………………






目が覚めたとき、僕は真っ白な世界にいた。




軽く麻痺した手足とその透明な世界は、ここがどこであるかを僕にはっきりと示した。





「そういう、ことか。」




僕は静かに覚悟を決めた。悔しさよりも、どこかホッとした気持ちだった。



そして、耳慣れた音が響いた。前方右側のドアが開く。





「お久しぶりです、俊さん。」




夢の中の影に、はっきりと色がついた。




「蓮……か?」



その少し後ろに君もいた。



「覚えていたんですね。まあ、忘れたなんて言わせませんけど。…10年振りです。」




抑揚のない声だった。



「あなたのことだ、俊さん。自分がここにいる理由もわかってますよね?」




僕は無言で目をそらした。




………………



………………………





「…………なんとか、言えよ。」




連が僕の胸ぐらを掴んだ。力のない手が震えている。




「お前のせいで…..!!」




殴られる。そう思った。



その瞬間ぼくの手に冷たい何かが落ちた。



そっと目を開けると、蓮は僕を突き放して後ろを振り返った。




「今からあなたには立ち会ってもらいます。この10年で俺たちが出した答えを、その目でちゃんと見届けてください。」




蓮は美海を一瞥すると歩き出した。



僕は蓮のあとに続く小さな足音に耳を傾けた。




トントントントン…トン。




その音が消えて僕の頭を透明なメロディが流れた。



再び蓮の声を聞くまで、僕の思考は完全に停止していた。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






15年前、僕はまだこの研究所で父の手伝いをしていた。そんなある日、研究対象として2人の天才は僕の前に現れた。




「この子達の不幸は、頭が良すぎたことだ。」



父はそうぼやいた。



「彼らは生まれてはいけなかった。」とも。



僕は同い年のくせに少しも笑わない彼らに同情の目を向けていた。





ある夜、いつも通り研究所を抜け出して小さな洞窟を駆けた。



川の音が響く橋の下、僕は星を眺めながらそのままその場に寝転んだ。



満天の夜だった。



(この場所だけは、息が吸える…)



空虚な時間が流れた。




………………



………



どれだけ時間が経っただろう。草の香りにふと我に返った。そしてそろそろ帰ろうと立ち上がった時、草の揺れる音がした。




(……誰か、いる?)




僕は警戒し、腰の武器に手をかけた。これを使えば血を見ることなく人を殺せる。最近僕が作った、自然死を生み出す代物だ。




僕は辺りに意識を向けた。



…………………………




完全に気配が消えたと思った時




「あ……の…………。」



背後から君の声が聞こえた。







ーーーーーーーーーーーーーーーー






「俊さん。」



唐突に低い男の声が耳に飛び込んできた。



そっと目を開けると、そこには好青年が立っていた。大人びた顔立ちに青い目がよく似合っている。静かにこちらを見つめる青年を僕は知っていた。




「……蓮。」




僕の声に蓮の肩が動いた。一瞬こちらを覗いたその目は少し笑って見えた。




「待ってよ、蓮兄。」




少し照れくさそうに現れた女性は、僕の想像をはるかに越えていた。あの少女の面影を少し残して、信じられないほど綺麗なその人は僕を絶句させた。兄と同じ青い目が僕の心を大きく揺らす。





「んー?だってお前遅いから。…ってか、慣れないな〜、その姿。だいぶ生意気そうな女になったもんだ。」




「えー、蓮兄こそ!なんかただのおやじって感じじゃん、それ。」





「んなこと言っていいのかな、お兄さまに。」




「…別にー?」




そっぽを向く君の頭を蓮がなでる。




久しぶりに聞く兄妹の会話は、10年前とは何もかも違っていた。こんなに楽しそうに話すふたりを、僕は知らない。




「…さて、本題に入ります。」




急に連の目が変わった。



美海の顔に緊張が走る。




「俊さん………」




その次の言葉を僕には受け止める責任がある。





………………




「僕たちを殺してください。」




………………



………………………



沈黙が走った。




……………




………






「わかった。」




僕は覚悟を決めた。




「その前に1つだけ、話しておかなければならないことがある。ちょっとだけ時間をくれ。」




「…なんですか?」




「蓮と2人だけで話がしたい。」




美海が怪訝そうな目を向けた。




「…わかりました。」



連は懐から小さなカプセルを取り出した。



「美海、これ飲んで。」



(…睡眠薬か。)



まあ、当然だろう。盗聴は美海の得意分野だ。追い出したところで盗み聞かないはずがない。




最初は抵抗の目を向けた美海だったが、蓮の真剣な目にやっと折れたようだ。




美海が完全に寝たことを確認して、僕らは向き合った。




「それで、話って…?」




…………


……………




「大量殺戮兵器。」



蓮の肩がピクッと動いた。




「…知っていたんですね。」




そう言って悲しそうに笑う蓮を見るのはいつぶりだろう。蓮はすべて知っていたんだ。自分自身のことも僕と美海のことも、そして僕の父の目的も全部わかって、お前はあの場にいたのか。




「大量殺戮兵器、あなたの父はそれを「蘭」と呼んでいました。この名前を出したのは久しぶりです。今となってはもう、忘れかけていました。」




…口もとが少し震えている。





「お前たち自身が「それ」なんだろ?」




蓮は表情を崩さない。




「…ええ、そこまでわかってるなら話は早いですね。……でも、どこでそれを?あなたはこの10年、何をしていたんですか?僕の思う限り、あなたにそれを知る手段はなかったはずだ。」





「はっは。やっぱり遊んでるようにしか見えなかったか?」




「はい、ただのクズだとしか。」




その抑揚のない言葉に僕は思わず笑ってしまった。実に蓮らしい。




「いやー、まあその通りなんだけどな?確かに僕がそのことを知れたのはある人のおかげだ。そいつはただその事実だけを告げて僕の前から消えた。でも、それを受け止められるほど僕は強くなかった。現に僕は顔を背けた。……それでも、逃げたくはなかったんだよ。父の犯した罪からも、お前らへの罪悪感からも、そして生きることからも。…逃げたく、なかった…………。」





声がかすれる。




「僕がそれをどこで知ったかは、言えない。だけどその時同時に疑問が浮かんだ。だから、調べた。自分なりの方法で、自分の能力をすべて駆使して………僕がその答えにたどり着くまで、1年はかからなかった。」




………………



………



この10年、僕は考え続けた。現実主義者であったあの父がなぜ地位を捨ててこの研究所に逃げたのか、そしてどうしてこの兄妹を選んだのかを。




……答えは、簡単だった。




蓮と美海はあの人の血を引いていた。




そう、あの人こそ父の人生の答えだった。




いや、全てだったと言ってもいい。




父はあの人を愛した。




父はあの人の夢を継いだ。




その残された希望(もの)は父を簡単に取り込んだ。




父は人を殺したかったわけではない。




ただ、託された希望(もの)が「それ」だっただけだ。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





「きっと、誰も悪くはないんです。自分はもう誰のことも恨んでいません。もちろん、あなたのことも……。」





「僕のことは恨んでいーよ。それくらいのことをしたんだ。許される方がつらい。」




「だからですよ。自分はそんなに優しくありません。恨まれた方が楽?そんなの当たり前ですよ。だったら自分は恨んでなんかあげません。」




そう言ってそっぽを向く蓮は、あの頃の子どもそのものだった。




「相変わらずだな。」




僕がつぶやかくと




「なにボソボソ言ってるんですか。」




そう言って蓮はまた元の表情をつくった。




「僕たちは生まれてはいけなかった。きっと美海もそのことには気づいてます。僕たちに向けられた愛情は、大人が子供に向ける「それ」とは違っていました。だからあなたはあいつを殺した。……違いますか?」




「……そう、なのかな。正直わからない。ただあの時は、「美雨に死んで欲しくない。」それしか考えてなかった。それに……」




紡ぐ言葉を失った僕に蓮は言った。





「ここから逃げ出したかった…ですか?」




的確に僕の言葉を続けた。




「正解、なにも言い訳できないよ。僕は嫌だったんだ。こんなところで僕が埋もれているのが、そしてここにいたら忘れてしまう。人を殺すことが、自分の罪が肯定されてしまうような場所であれ以上生きていたくなかった。」





「善人のつもりですか?」




嫌味っぽく蓮が笑う。




「悪人だろ?なんたって自分のエゴのために親を殺して、さらにはお前ら兄妹の成長まで奪って、10年もの間のうのうと生きていたんだ。」





………


…………




「ごめんな。」




……


……………





「謝るのは、ずるいです。」





僕は初めて蓮に触れた。その泣き顔はどこか美雨を感じさせる。僕は静かに頭をなでた。





「そろそろ美雨が起きます。」




「…ああ。」




「俊さん…僕らは世界を滅ぼせるんですよ。」




「知ってるよ。」




「美雨があなたの隣にいることを願っだけで、いったい何人が死んだんですか?」




突然言葉の端が強くなる。




僕は出来るだけ抑揚なく答えた。




「誰も死んでない。」




精一杯の笑顔を作って見せた。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






「う……ん…?」




美海が起きた。





「おはよう美海、ごめんな。」





「…夢……?」




ボーッとした表情で美海は言った。




「俊…くん……?ねえ、今いるの本当に俊くん…?」




だいぶ混乱しているらしい。



目が少し赤い。




「何を言ってるんだ、美海……お前が連れてきたんじゃないか。寝ぼけてるのか?」




蓮が心底不思議そうな表情(かお)を浮かべた。




「…ちがう。」




はっきりした声で美海はこっちを凝視した。




「…もう…1回…だけ、聞くよ…?………………ねえ、本当に俊くん…なの…?」





その声はやけに弱々しく僕の耳に響いた。




……



…………




潮時か。



……



……





本当は最後まで黙っているべきなのだろう。このまま蓮たちの鼓動を止めて、残されたデータをすべて消し去ってしまえば、きっとそれが一番いい。誰も不幸にならない。もう誰も傷つかない。…全部、なかったことにしてしまえばいい。






………



……




だけど。





…………………



………






「…俊だよ。何も間違っちゃいない。だけどもし前の僕と違うとすれば、それは……」





二人の息を呑む音が聞こえる。




僕は目を閉じた。




「…昔の櫻田 俊は死んだ。…それだけのことだよ。」




静かに目を開く。




蓮の目には疑心が映る。




美海はただこちらを見ていた。





「さっき、僕は蓮に嘘をついた。…誰も死んでない。そう言ったけど、強いて言うならただ1人、「僕」が死んだ、かな。」






「…わたしが…ころしたんだよね?」





…ああ、その通りだよ。





「違うよ。美海は悪くない。現に僕は生きている。」



………



……………




「…うそ。」




美海の目が僕に訴える。




これだから頭のいいやつは嫌いだ。




「美海さ、あの夜…何を願った…?」




美海の目があからさまに曇った。




「これは、あくまで僕の仮説で、自惚れだったら本当に申し訳ないんだけどさ…」




僕は確信していた。




10年間考え続けた問の答えをやっと確かめられる。





「あの時君は…「僕」の幸せを願ったんだろ?」




……



…………




その沈黙は僕の答えを肯定した。




「ごめ…なさい…。」




やっと聞こえた美海の声は震えていた。




「…だから、美海は悪くないって。」




僕はおどけて見せた。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





簡単な話だった。




優しい君は真っ白な心で「それ」を願ったんだろう。




《俊くんの願いを叶えてほしい》





たぶんそれが、美海が底で望んだものなのだ。





そうすればすべてに説明がついた。




だってそうだろう?




僕が心から望んでいたことは




《この世から消えてしまうこと》なのだから。




美海の中の「それ」は見事に僕の願いを叶えた。




…………




………





目が覚めたとき、僕は暗くてどこか透明な場所にいた。そこに父が立っていた。父はまるで僕を待っていたように優しい目を向けた。





僕はそこで全てを知った。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





「僕が生きてるのは美海のせいなんだよ。僕は、死にたかった。やっと楽になれると思ってたのに…」





そう、そこで矛盾が生じた。突然消えた僕を君は恨んだのだろう。そして、はるかに強く君は願った。




《やくそくは、まもって。》





その力が僕を生かした。つまり僕は、君との約束のためだけに生まれた「俊くん」だ。





僕はその運命を受け入れた。




10年もの間、待ち続けた。





そう、この手で君を殺す日を……。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





……………………。





「やくそくを果たしたら僕も消える。僕は、僕らが存在した事実もすべて消し去るつもりだ。それが僕の存在意義だと思ってるからね。最後に責任を果たすよ。」





「……わかりました。」





蓮がやっと重そうな口を開いた。





「…蓮…にい………?」




蓮の目から落ちる雫をそっと拾う。





僕は静かにふたりに背を向けた。





「行こう。」




振り向かずにはっきりそう伝えて僕は歩き出す。




蓮がその時何かを呟いた。




きっと美海は聞き取ったのだろう。




溢れた感情が美海の目を支配した。




2人の足音を後ろに感じながら、僕はあの場所に足を運んだ。どこか小さく感じる洞窟を僕らは無言でくぐり抜ける。





いつの間にか、日は暮れていた。




「もう、夜か……」




そう僕が呟くと、声を上げて2人は笑い出した。




「あはは、何言ってるんですか俊さん。「こうした」のは俊さんでしょ? 」




蓮に続くように美海が口を開く。




「今日は、9月9日…だよ?」




…………



……






「そう…だったな…。」




………




……………





僕が時間を止めた。




正確には、「あの研究所」から「変化」を奪った。




何ひとつ変わらない。




そんな場所を僕は望んだ。



………



………





「おかげで僕らの成長も止まるし。…大変だったんですからね?あの薬を作るの。 なんだかんだで10年もかかってしまいましたよ。 でもなんか、あの姿のまま消えるのは少し癪だったので…。」




「悪かったよ。でも、あの時僕がやらなかったら、どうせお前がやっていたんだろ?…なあ、蓮。」




蓮は表情を変えない。



………




数秒の沈黙のあと、少し口元が緩んだ。




「…なんのことだか。」




そう言って下を向く蓮の顔は、どことなく嬉しそうに見えた。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







………。




「……さて。」





僕は2人に背を向けた。




「思い残すことは?」




僕はできるだけ単調に問いかけた。




………。




「ありません。」




「ない……よ。」





蓮は迷いなく、美海はそれに続くように答えた。





僕は静かに上を見上げた。




美海がいつか言っていた言葉を思い出す。




「星って、残酷なほどきれいだよね。暗ければ暗いほど、わたしはここだよ…って、そんな声が聞こえてくる。」





今なら君が何を言いたかったのかも全部わかる。




どうしてあの頃の僕は、言葉をことばとしてしか考えられなかったのだろう。こんなに君は苦しんでいたのに。君の心はまっすぐ僕に訴えていたのに。どうして気づけなかったのだろう。





「…生きて、くれて…ありがとう…。」





僕は親指に力を込めた。




僕が視線を戻した時、もう2人はいなかった。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー






「………ふぅ。」





わざと大きくため息をつく。




僕はゆっくり歩き出した。




あの日のように、1人きり。




でもそこにはもう、あの日のようなキラメキはなかった。ただ真っ暗な道が続いている。心地の良い風が僕の背中を押した。




…………




…………




いつの間にか眠っていたらしい。




あたりはまだ暗かった。




僕はまた静かに目を閉じる。




次に僕が目を覚ました時にはもう、9月9日が終わっていた。





そして僕が世界の異常に気づいた時、僕ははじめて「僕」を恨んだ。いや、はじめて自分を恐れた。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







なあ、美海…お前は最後に何を願った?





それとも、蓮…なのか?




わからない。





わからないよ。






……。





これじゃあ、蘭……は、僕じゃないか。






………………………………………なんで。





《俊くんが望む世界に。》






……こんなの、ちがう。




……






……いや、僕は知っていた。でも、こわかった。僕の中の「それ」を認めてしまったら、僕は「僕」でいられなくなる。そのことが怖くて仕方がなかった。だから僕は、目を背けた。





……………





バチが当たったのかもしれない。




ずっと逃げ続けてきたツケがいま回ってきた。




それだけのことかもしれない。





……………



……




でも僕は、こんなこと望んでいない。




………………





(本当に?)





父の声が聞こえた気がした。





…………





わからない。




………





思わず、口が緩んだ。




……なんだ、「僕」は嬉しいのか?……





本当はわかっていた。




歪んだ感情が僕の心を支配する。




「やっぱり、僕はいい人にはなれないらしい。」




君はキョトンとした顔で笑った。




クスクスッ…




「何をいまさら。」




おどけなく笑う君の声が僕の心をくすぐる。





………いまさら、か。




確かにそうかもしれない。




僕は最初から悪人だった。




だったらもう、これでいいのかもしれない。




この世界が僕のためにあるとしたら




それはすべて肯定されるだろう。





「……俊くん?」




……でも。




「…ごめん、美海。」




思わず口が動いた。




「もう、やめないか?」




君は明らかに怪訝の目を向けた。





「…どういう…こと?」




声から余裕が消えた。




「だから、もうやめよう。こんなのはやっぱり、間違ってる。」





………緊張が走った。




「俊くんが、望んだんだ…よ?…私と、2人だけの世界を………俊くんが願ったんだよ…?」





………。




わかってる。





でも、僕は…………





「美海。本当に「それ」は僕の1番の願いだったか…? 美海の中のそいつは、たしかに僕の願いを叶えたのかもしれない。でもそれは、本当に…こんな世界をつくることだったか?」




…………




………







確かに、僕は美海と二人だけの世界を何度も夢見た。そうなったらどんなに幸せか、考えなかった日はない。お互いの立場も犯した罪もすべて忘れて、美海のぬくもりだけを抱きしめて生きられたら…そんな事を10年間考え続けた。






でも、美海は?





「それ」が美海にとっての幸せのか、僕にはわからなかった。いや、自信がなかっただけかもしれない。美海の世界に僕がいる自信が。だって、そうだろう。美海が僕に向ける笑顔はいつだって悲しい色をしていた。僕はその消えてしまいそうな目に惹かれていた。僕は君が僕以外に笑いかけるのを見る度に、僕は自分の醜さに気付かされた。僕は知りたくなかった。君が僕がいなくても、生きていけるということを……。






「…蓮は、気づいていたんだな。だから、自らが消えることを望んだ。」





「ねえ…俊くん…?さっきから何言ってるかわからないよ。」





僕はその言葉を制した。




手に力がこもる。




「…なあ。」




………




僕らはしばらくの間、目を交わした。




喉のあたりが苦しい。



僕は思わず、目をそらした。





「……蘭…って、あなたの事なんだろ?なあ、美海……いや、お母さん………。」





聞こえるはずのない拍動が僕の耳に響いた。






「……いつ、気がついたの?」





声のトーンがかわった。




美海の透き通るような声とは明らかに違うハキハキとした、でもどこか心地のいい声だった。





「…いつ、かな。ずっと、どこかで考えてたよ。でも僕はその答えを避けてきた。僕はそのことを、信じたくなかったのかもな。」




顔を上げた先に見えたのは、紛れもなく「母の顔」だった。




「そう…。」




それだけ言うと、どこか遠くを見てだまってしまった。




たぶん、すべて正解だろう。美海と蓮は「母の意思」だ。 お父さんはそれに気づいていたんだ。だから、あんな研究に手を出した。バカな人だ…





「最初から全部、この日のために?こうなることをあなたは望んでいたんですか?」




思わず感情的に問いかけた。




「だって、世界なんていらないでしょう?」



キョトンとして、その人は答えた。




「……え?」




「いや、だから…世界が消えただけで何をそんなに。」



ブツブツ呟くその人は、こっちを向いて…笑った。



(…えっ…?)



………



………………




鈍い痛みをお腹に感じた。



その瞬間僕は目を見張った。



(なんで、赤いんだろう…)



そんなことを思った。意外と冷静に。



その人は、まだ笑ってる。



何の感情も感じない、冷たい目で…



ずっと、笑っていた…。
























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