7話
「ふざけたことを言うな!」
兵士は憤慨していた。
それはそうだろう。
仮にも街の治安をあずかる組織の一員なのだ。
その誰何に『通りすがりの処女厨だ』などと答えられて、怒らない者はいない。
しかし、暗い炎を目に宿した、不気味な男は、笑う。
口元をかすかにゆがませる、見る者を苛立たせる笑顔。
「ふざけているのはどちらだ? お前たちは、なにをしようとしていた?」
「な、なにって……不審な亜人を見かけたら事情を聞くのは当たり前だろう?」
「殺して財宝を奪う相談をしていたように、俺には聞こえたが」
「…………」
兵士の頭に、二つの考えがよぎった。
一つは、この男を殺して、残る二人の亜人も殺すこと。
もう一つは、誤魔化して、亜人を返すこと。
財宝が惜しい気持ちは、もちろんある。
それに、こちらは五人だ。
相手は三人。
武器を持っているのは、一人。
さすがに五対一で負けることはないはずだった。
兵士はなんとなく、男の装備に視線を走らせる。
薄くて丈夫そうな漆黒の鎧。
温かく、矢ぐらいならば防げそうなマント。
それに見事な意匠の――
見事な意匠の。
王家の紋章であるはずの、竜があしらわれた柄。
柄尻には、大きな、黒い宝石のはまっている。
身幅のあるロングソードだ。
どこかで、見た記憶が――
いや、知った記憶がある。
それはたしか。
勇者の持つ、聖剣ではなかったか。
兵士はブワッと体中の毛穴が開くのを覚えた。
脂汗が流れる。
でも、そっくりさんかもしれない。
震えた声で、兵士は言った。
「ひょ、ひょっとして、ゆ、ゆ、勇者様で、あらせられますか……?」
「だったら?」
青年は兵士を見下すように顎を上げた。
兵士は、直立不動の姿勢になる。
「こ、これは、これは、ご機嫌麗しゅう、勇者様……」
「ほう、俺の機嫌がよさそうに見えるのか」
「はっ、あっ、いえっ……その……」
「機嫌は悪いな。いいか、兵隊、俺の嫌いなことを教えてやろう」
「は、はい! なんでありましょう!」
「所有物を勝手にじろじろ見られることだ。――どけ。そいつは俺のだ。お前らごときが拘束していい物じゃない」
「ただいま!」
兵士たちが散開する。
ようやくリリィは、圧迫感から解放された。
膝をつく。
勇者は、リリィに近寄る。
怒られるのだろうかとリリィは思った。
けれど。
勇者は言う。
「いい熱意だ」
「…………え?」
「いいか、俺の好きなことを教えてやる。それは、誰かの熱意に動かされることだ。お前は俺の財宝を奪った。俺は当然、お前を殺そうとする。そうわかっていたはずなのに、お前は実行した」
「…………ご、ごめんなさい……」
「謝罪が意味をなさないことぐらい、わかっているだろう?」
「で、でも、今、殺されたら、お母さんが……!」
「それでいい」
「え?」
「命を捨てるほどの情熱。我が身を省みないほどの激情。俺は、そういうのが好きだ。そういう無茶をする馬鹿に乗っかって、馬鹿をやりたい。――俺みたいな、どうあったってやる気を出すことさえできない人種は、そうでもしなきゃ熱くなれない」
「…………」
「合格だ。お前はキープからレギュラーに昇格した。おめでとう所有物。お前はこれで晴れて、俺の財宝だ。お前を輝かせるためならば、俺は最大限の助力をしよう」
「あ……あ……」
「体が汚れているなら、風呂に入れてやる。痩せすぎなら、飯をくれてやる。……不安で表情が陰るのならば、不安の種を取り除いてやる。――理解しろ俺の所有物。お前の価値は、俺の中で跳ね上がった」
勇者が笑う。
あまりに突然すぎて、リリィには、救われたのかどうか、わからない。
ただ、わかったことは。
勇者が。
兵隊をにらむ。
「兵隊ども、横一列に並べ」
「は!? な、なぜでしょう!?」
「お前らはゴミだ。俺の基準で生かす価値がない。だから殺す」
「……は!?」
「だが、ただ黙って殺されるというのも、酷な話だろう。そこで慈悲をやろうと思う。よく聞け。冒険者ギルドにいた者が殺された事件があるだろう。あの犯人は、俺だ」
「……え?」
「それを知ったお前たちに、選択肢をやる」
勇者が指を三つ立てた。
それから。
「一つ、職務に忠実になり、俺を逮捕しようと試みて、そして俺に返り討ちに遭う」
「……」
「一つ、職務放棄をしてこの場から立ち去ろうとしたところを、俺に追い打ちに遭う」
「……」
「最後の一つ。そのまま棒立ちして、俺に殺される」
「……」
「好きなものを選んでいいぞ。なに、結果は同じだ。気楽に選べ。俺は、俺の所有物に欲望まみれの殺意を向けた相手を、決して生かしてはおかない。なぜならば、真の処女厨だからだ」
兵士たちは、沈黙する。
そして。
「……だ」
兵士の一人が、震えた声でつぶやく。
「にせもの、だ。コイツは! 勇者の名を騙るニセモノだ! 逮捕しろ! いや、殺せ!」
兵士たちが剣を抜く。
勇者は、笑う。
「グッドだ。自己保身から来るむき出しの敵意。それもまた、俺にはない情熱だ。――さあ、馬鹿騒ぎをしよう。お前たちの命を懸けて」
勇者も、剣を抜いた。
――リリィは、ようやく、彼のことを理解した気がした。
人間――いや、人類の価値基準で測っていい存在では、ない。
彼はただの気まぐれな災害。
だから彼に対して人ごときができることはなく。
災害が自然に自分に利するように、命懸けで行動するしかないのだと。
リリィはなんとなく、理解した。