6話
リリィは財宝を抱えて、走る。
石造りの街。
冷たい、場所。
この街には人間があふれていて。
だから、この危険な街からリリィは離れることができなかった。
人間が一番、お金を持っているから。
亜人が生きるには、危険で報酬の安い冒険者をするか――
あるいは、お金を持っている人間を相手に商売するしか、なかった。
でも、店舗を構えるような、立派な商売はできない。
そもそもそれほど稼げる亜人はいないし――
いたとしても、亜人の店舗なんて、あっというまに、嫌がらせや営業妨害でつぶされるだろう。
人間は亜人を見下していた。
そのことだけは、母の商売を見ているだけでも、痛いほどにわかった。
だから、リリィは学んだ。
卑屈であれ。
許しを請う生き物であれ。
見下される存在であれ。
願うな。どうせ叶わない。
望むな。どの道潰される。
夢を、見るな。
きっと、悪夢にしか、ならない。
学んで、学んで、学び続けて。
でも捨て去れない希望が残ってしまった。
――母を助けたい。
ずっと、助けてもらった。
リリィはもう娼婦として働ける年齢だったけれど、母の『仕事』を見ていて、すっかり恐怖を覚えてしまっていた。
だから、母はリリィに同じ仕事をしなくてもいいと言った。
その母が。
自分のせいで、無理をしたから。
せめて恩返しを、したかった。
亜人にだって。
叶えていいささやかな願いぐらいあるのだと。
リリィは、心の奥底で、そう信じる気持ちを捨てきれなかった。
でも。
「おい、妙な格好をした亜人がいるぞ!」
声。
男の声。
集団の足音。
――人間が、来る。
その人間たちは、兵隊のようだった。
そろった鎧を着て、武器を持っている。
見たことがある。
悪人を捕らえるために市内を巡回している、兵隊だ。
ただし。
彼らにとっての、悪人とは。
必ずしも、犯罪者のことではない。
「なんだその格好――なんだ、その財宝は!?」
兵隊たちは、あっというまにリリィを取り囲む。
そして、リリィが持った財宝を、めざとく見つけた。
リリィは、立ち止まってしまう。
武装した人間に囲まれただけで、体が硬直してしまった。
怖くて怖くて。
息が、できない。
「どこから盗んだ!?」
兵隊たちは、最初からそう決めてかかってきた。
……実際に盗んだものだけあって、ますます、なにも言えなくなる。
もっとも。
盗んだものでなかったとしても、きっと、反論など許してもらえないだろうけれど。
きっと逮捕されてしまうだろうと、リリィは思った。
でも。
想像力が、足りなかったらしい。
五人いる兵隊たちは、ひそひそと、相談をする。
「なあ、こいつ……かなり、身なりがいい。ひょっとしてどこかの金持ちの奴隷なんじゃないか?」
「っていうことは、財宝はこいつの所持品?」
「ありえそうだな……」
「でも、亜人だぞ? あんな財宝、俺たちが一年間働いたって、手に入らない」
「ふむ……じゃあ、こういうのはどうだ?」
「どうって?」
「俺たちは、巡回中、亜人の死体を見つけた」
「……」
「その時すでに、財宝はなかった。きっと、他の亜人が盗んだのだろう。だいたい、死体から財宝を奪うなんていう非道を行なうのは、亜人のせいに決まっているからな」
「……」
「この亜人の主人は、財宝と奴隷を一つ失って、かわいそうに思う。俺たちは、犯人逮捕を誓って捜査を進めた結果、犯人である亜人を捕らえることに成功する」
「犯人である亜人?」
「例のギルド襲撃犯と同一人物でもいいな。それに、亜人なら誰でもいいだろう、そんなの?」
「それもそうだな。――じゃあ、そういうことで。財宝は五人で五等分でいいか?」
「ああ。その代わり、全員共犯だからな」
話は、決まったらしい。
兵隊たちは、剣を抜く。
リリィは、震える。
でも、ここで死ぬわけにはいかない。
だから必死に、かすれた声で、涙を流しながら、言う。
「み、見逃して……見逃して、ください……病気の、お母さんが、ようやく、助かるかも、しれないんです……だから、今だけ、見逃して、ください……」
その懇願を。
兵士たちは、笑った。
「なるほど。ではこうしよう。『病に苦しんだ亜人が、狂って、娘を殺した』」
――ここでリリィは殺され。
罪人として、母が逮捕される。
そんな未来を、兵士たちは、嬉々として語る。
リリィは呆然とした。
なぜ、ここまでひどいことを平気でできるのだろう?
自分が亜人だからだろうか。
でも、じゃあ、どうすればよかったんだろう。
生まれたその時に。
全部決まっていたなら。
どんなにがんばったって、やっぱり、無駄だったの、だろうか。
わからない。
もう、なにも、わからなかった。
リリィは目を閉じる。
頬を涙が伝った。
言い残すことは、一つだけ。
思い残すことも、一つだけ。
ついに返すことのなかった。
母への恩を、返したかった。
「なんだ、もうあきらめたのか。やはり気まぐれか?」
声が、する。
リリィはその方向を見た。
黒髪の青年がいる。
黒い鎧をまとい、立派な意匠の剣を持った、青年。
桃色の髪の獣人がいる。
ほがらかな笑みを浮かべた、大きなリュックを背負った少女。
青年が言う。
「俺の財宝を持ち出した時の熱意はどこに消えた? それとも、そのぼんくらどもが、俺よりも恐ろしいとお前は言うのか?」
世間のすべてを小馬鹿にしているような口元。
ただし、死んだように濁っていた目には、暗い炎が燃えている。
ゾクリとする。
リリィはあの人を知らない。
無気力のように見えた、寝てばかりの男ではない。
今の彼には、なにかよくわからない原動力みたいなものがあった。
兵士たちがざわつく。
犯行未遂現場を、人間である青年に見られたことで、慌てたのだろう。
兵士の一人が叫んだ。
「何者だ!?」
青年は答える。
笑って。
「通りすがりの処女厨だ」
さすがにどうかと思う、名乗りだった。