2話
その日。
リリィは勇者と一緒に、街一番の高級宿に泊まることになった。
立派な石造り。
外観からすれば三階建ての、このあたりでは一番高い建物だ。
ドアの横には、ドアを開けるためだけに人が立っている。
その人は二人の亜人――リリィとモニカ――を連れた勇者を、一瞬不審そうな目で見る。
しかし、勇者が無造作に金貨を五枚ほど掴んで渡すと、「どうぞ」と一行を招き入れた。
大きな、よく磨かれた石でできた受付が見える。
そこには、高級そうな身なりの人間の女性。
勇者はその受付に、先ほど略奪した財宝をいくつか、無造作に置いて、言った。
「一番いい部屋を用意しろ。あと、風呂もだ」
受付の女性は亜人を見て眉をひそめていたが――
置かれた財宝の量の前には、どうでもよくなったらしい。
うやうやしく礼をして、案内を開始した。
○
通されたのは、最上階の角部屋だった。
木材で補強された、非常に広い部屋。
置いてあるテーブルや椅子なども明らかに高級品だ。
入口からしばらく歩いて、奥まったところにベッドはあった。
部屋を開けてすぐにはベッドが目に入らないようになっているのだ。
リリィは戸惑いながらも、勇者についてベッドの横まで来ていた。
モニカも一緒だ。
これからどうなるのか。
そんな不安を抱いて、勇者を見る。
けれど。
勇者は手慣れた動作で装備を外すと、大きな、柔らかそうなベッドに寝転がった。
そして、ぶっきらぼうに言う。
「しばらく寝る。なにかあったら起こせ。くだらないことで起こしたら殺す」
そう言うと。
本当に、眠ってしまった。
いびきが聞こえる中、ようやくリリィは混乱から立ち直る。
怖い勇者は眠っていて――
目の前には、にこにこ笑う、亜人。
獣人のようだし、鬼人の自分とは違う人種だけれど……
同じように人間からは『下等人種』とか『劣等人種』と呼ばれる者だ。
桃色の髪の獣人。
モニカは、笑顔のまま、言う。
「やっほー後輩ちゃん。元気?」
「え、いえ、その……あんまり、元気じゃ、ないです。よく、事態がわかんないっていうか」
「うんうんだよねえ。あたしも最初はひどく混乱したけど、大丈夫。あの勇者様は、世間一般の人間よりずっと安全で紳士だから」
「安全……? あの、さっき、ギルドで、冒険者を……み、皆殺しに……」
「大丈夫。勇者様はゴミしか殺さないからね」
「ご、ゴミですか……」
「そうそう。ゴミの基準は、『気に入らない相手』『ムカつく相手』『自分にストレスを与える相手』だよ」
「そ、それ……! ただの、き、気まぐれ、ですよね……!?」
「そうだねえ。だから、気に入られるように、綺麗にしとこうね?」
「え?」
「さっき『粗相』したでしょ?」
「…………っ」
リリィが顔を赤らめる。
そのタイミングで――
部屋がノックされた。
モニカがササッと入口まで行き、来客を迎える。
しばし、間があって。
ホテルの従業員とおぼしき数名が、なにか大きな物を運んできた。
それは。
たっぷりと、お湯の入った、純金製のバスタブだった。
ベッドのそばにバスタブを置いて、従業員たちは一礼し、去って行く。
人間に礼をされたことなどないリリィは戸惑い、お辞儀を返してしまう。
一方、モニカは慣れた様子で、笑ったまま従業員を見送り――
おもむろに。
服を脱ぎ始めた。
すぐそこでは勇者が――男性が寝ているのに。
リリィはおどろく。
「な、なにを、して、るんですか……!?」
「お風呂入るんだよ? さ、リリィちゃんも脱いで。綺麗にしないと、ゴミになっちゃうから」
「お、お風呂、お風呂って、勇者様が、入るんじゃ、ないんですか……?」
「そうじゃないよ。勇者様は、リリィちゃんを入浴させるつもりでお風呂を頼んだんだよ」
「で、でも、こんな、純金の、高級そうなお風呂、わ、わたし、入れません……!」
「入らなかったら、気に入られなくなるかもね」
「……え?」
「だってリリィちゃん、まだ『キープ』だし」
「…………あ、う」
「それに、濡れてるの、気持ち悪いでしょ? どことは言わないけど」
「……う、あ、う、あ」
「さ、脱いで。リリィちゃんを綺麗にしておかないと、あたしが怒られちゃうし」
それが最後のだめ押しだった。
リリィは観念して入浴することにする。
もっとも。
服らしい服は、もともと着ていない。
裸の上にボロ布をまとっただけだ。
人間が着ているような『服』は、高くて買えない。
もしがんばってお金を稼いで買っても、人間に『盗んだんだろ』と因縁をつけられ、破り捨てられてしまう。
亜人が生きていくには辛い世の中だ。
お金を稼ぐ手段だって、モンスターの相手しかないけれど……
人間が受ける依頼と比べて、亜人の受ける依頼は危険で、報酬が少ないのだ。
リリィは弱いので、とてもじゃないが、冒険をしてお金を稼ぐことはできない。
服をあっというまに脱ぎ終える。
モニカは裸のまま、背負っていたリュックからなにかを取り出す。
布と、石鹸だ。
「入って」
笑顔で言われて、リリィは従う。
モニカは手慣れた様子で同じように湯船につかった。
純金製のそれなりに大きな湯船だ。
そして、モニカもリリィも、小柄な方であった。
けれど二人一緒に入ると、やはり狭い。
リリィは恥ずかしくて、モニカに背を向ける。
でも、モニカが背後から抱きつくようにしてくるので、あまり意味はなかった。
モニカは。
石鹸を泡立てて、リリィの全身を磨いていく。
「綺麗な白い肌だね。鬼人は強そうな角と肌の白さがいいよねえ」
「あう……で、でも、角のせいで、フードかぶっても、すぐ、ばれて……」
「それは獣人も一緒だよ。とくにあたしはほら、耳長種だからね。垂れた大きい耳は髪型だって言い張るのも限界があってねえ……あと、髪色が目立つし」
「も、桃色、ですもんね……」
「鬼人の髪は白だね。全身、真っ白。黒いのは角だけ」
「は、はい……目立ち、ます。すごく、遠くから、怒鳴られて、石を、投げられて……」
「勇者様の庇護下に入ればもう心配ないよ」
「……あ、あの、わたし、勇者様に、お願いがあって……それで、人間用の、ギルドに……」
「そうなの? でも、お願いを言うのは、しばらく待った方がいいよ」
「え……? そ、そう、なんですか……?」
「あの人、所有物以外のお願いは聞かないから」
「…………」
「『キープ』じゃなくなったら、お願いしてみたら? 意外と聞いてくれるよ」
「ど、どうやったら、『キープ』じゃ、なくなり、ますか?」
「そこの基準はあたしもよくわかんないんだよねえ。しばらく経ったら自然と?」
「し、しばらく……」
困る。
すぐにでも、助けがほしいのに。
……けれど、リリィには勇者にすがる以外の道は思いつかない。
もともと、亜人が抱くには法外な夢なのだ。
だからしばらく、勇者のあとについていこうと、決意する。
「はい、おしまい」
モニカの声で、リリィは思考の沼から引き上げられた。
どうやら、洗い終えたらしい。
リリィは恐縮して――でもモニカの方を向くことは、バスタブの狭さのせいでできず――礼を述べる。
「あ、ありがとう、ございます……こ、こんな、汚いわたしを、洗わせて、しまって……」
「原石を磨くのはあたしの趣味だからね。あと、かわいい女の子の全身を合法的になでまわせるのも役得っていうか……」
「そ、そう、なんですか……」
この人も意外と危ない人なのかもしれない。
リリィはちょっとだけモニカと距離をとった。
とれる距離は、指一本分ぐらいだったけれど。
「じゃあ、お風呂を出て、服を選ぼうか」
「ふ、服……ですか?」
「そうだよ。美しい知的生命体は着飾る義務があるんだよ。勇者様のお言葉ね」
「で、でも、お風呂に、服に……そんな、おもてなしをされても、わたしには、返せるもの、なんて、なにも……」
「体で返せばいいじゃん」
「…………」
「そのために綺麗にしたんだから」
にこにことモニカは笑っている。
リリィは、恐怖した。
体で返す。
具体的なことはなにも言われていないのに、想像できる方法は、一つきりだった。
リリィは震えて、言う。
「で、できません……こ、怖い、怖いです……ごめんなさい……」
「謝ってももう遅いと思うけど……それにね、別に痛いことも苦しいこともないから大丈夫だよ」
「だ、だって、わ、わたしの、おかあさん、そのせいで」
「え?」
「い、いえ……で、でも、怖い、怖いです……」
「そうまで言うなら、やらなくてもいいけど」
「……え? いいんです、か?」
「そりゃあ、やりたくないなら、やらなくたっていいと思うよ。でも、やった方がお得だと思うけどなあ……あたしも最初は『なにこのひと』って思ったけど、今ではちょっと楽しみっていうか」
「で、でも……む、無理です。怖くて、怖くて……」
「……あ、そうか。違うこと想像してるね?」
「え?」
「あーあー。なるほど。意外と耳年増だね。あたしは最初、そっち方面はまったく知らなかったから勘違いさえなくって、ただただわけのわからないことをされてるなあって感じだったよ」
「…………?」
「心配ないよ。勇者様が起きたら、不安は杞憂だってわかる」
「……ど、どういう、こと、ですか……?」
「むしろ勇者様と旅をしてると、杞憂で終わらせられっぱなしでモヤモヤするぐらいだよ」
「…………?」
意味がわからなくなってきた。
リリィが混乱していると――
「おい、今俺の悪口言ったか?」
勇者が、起きる。
ほんの三十分ぐらいだろうか、彼が眠っていたのは。
リリィは、勇者に背中を向けているし、モニカもあいだにいるから見えないとはわかっているのだけれど、両腕で胸をかばう。
対照的に、モニカはザバァと水音を立てながら立ち上がり、勇者の方へ振り返った。
「勇者様、おはようございます!」
「……目も覚めるわ。なんだよ開幕素っ裸の女の子が『おはよう』とか。エロゲーかよ。いいから服着ろ。恥じらいのないヌードは嫌いだ」
「やーん、恥ずかしい!」
「わざとらしいっていうか、ギャグだなもはや……いいから、服を着ろ」
「はーい」
元気に湯船から出る。
リリィは、体を抱いたまま、動けない。
その背中から。
勇者が、言う。
「お前もさっさと風呂から出ろ。やるぞ」
なにを、やるのか。
どんなことを、されるのか。
リリィは恐怖で、震えた。