13話
異様な雰囲気の中、人々が踊る。
奏でられる音楽は明るいものだ。
歌声は美しいハーモニーを奏でている。
だというのに。
重苦しい緊張感があたりを包んでいた。
魔王召喚。
今、やっているのが、それだから。
もし『勇者』という『逆らったらなにをしてくるかわからない存在』がいなければ、こんな儀式をやめようとする者があとを立たなかっただろう。
本当は。
勇者に脅されていたって、やるべきではないはずだ。
みんな、頭ではわかっている。
でも、みんな、目の前の恐怖に抗えない。
誰だって自分の命が大事だから。
自分の命を大事にして。
すべての者の命を危険にさらすような存在を、呼ぶ。
もし魔王が世界を滅ぼそうとした時には、きっと世界中から責められるような行為を、する。
命の価値がわからない、と勇者は言った。
リリィにも、だんだんわからなくなってきていた。
命は大事――だけれど。
自分たちの命を助けるために、大陸中の人々の命を危険にさらすのは、いいのか。
そもそも、誰の命も同じ価値なのか。
わからない。
なにも、わからない。
だからリリィは、無意識に目を背けていた問題に、行き当たってしまった。
自分は、勇者に助けられた。
でも、その過程で、多くの人が死んだ。
ギルドで自分をいじめようとした人たち。
母のもとへ行こうとした際に、自分の邪魔をした兵士たち。
みんな、死んでいる。
みんな、家族がいたはずなのに。
その人たちと自分とで、命の価値が高いのはどちらか。
……長い間虐げられてきたリリィには、自分の命の方に価値があるとは思えなかった。
重苦しい雰囲気が、重苦しいことを考えさせるのだろうか。
思うだけでどんどん体がだるくなるような感覚があった。
しばらく、軋むような固い空気の中で、誰しもが人らしい活動を忘れていた。
儀式をするだけの存在。
踊りが、音楽が、歌が、最高潮を迎える。
その時。
晴れた空から、黒い雷が降り注いだ。
太く、大きな一閃。
それは魔法陣の中央にいた、生贄の少女――ロッテに命中する。
黒い、煙。
いや――瘴気。
魔力によく似た、しかし魔力よりも禍々しいなにかが、ロッテからにじみ出す。
勇者は暗い目でロッテを見る。
そして、剣を抜いた。
「この気配は覚えがある。今回は大当たりだ」
勇者と、リリィと。
モニカと、それから、この儀式にかかわったすべての人たち。
その視線の先で、モニカの体が変化していく。
白かった肌が、青白いものに。
小さい少女のものだった手は、大きく、鋭い爪がついたものに。
しかし体格はさして変わらない。細身のまま、服だけが変化していく。
服なのか、それとも鱗なのか。
高そうなドレスは硬そうな黒い、体にぴったりフィットした物体へと変わる。
背中から、黒い翼。
腰のあたりに、太い尻尾。
白目は黒くなり、碧眼は黄金の虚へ変化した。
見ているだけで震えてしまうような存在。
――魔王。
勇者は、そいつに接近していく。
あまりにも普通の歩調。
そして、おもむろに、緩慢に、上空へ視線を向けた。
「『穴』は空いているようだな。なるほど、そこから魔力が供給されるのか。ということは……」
彼の視線の先に、リリィはなにも見ることができなかった。
暗い、まだ夜でもないのにあまりにも暗い空が広がっているだけだ。
けれど、彼の目には違う光景が映っているのだろう。
では。
彼と相対する魔王の目には、どんな光景が映っているのか。
魔王は、目からなにかをこぼす。
涙ではない。どす黒い赤の液体。
血液のような。
そして、叫んだ。
「 」
聞き取れない。
かすれたような叫び。
聞くだけで不安になるような、声なき声。
生贄は魔王の力を得られる、という話だった。
でも、あの状態に、人の意思があるようには見えない。
そう思っていたけれど……
長い叫びのあと。
魔王は、リリィにもわかる声で、ささやく。
「…………オトウサン」
金属がこすれるような声だった。
人らしい意思は、やっぱり見えない。
でも、想いだけは痛いほどに、感じる。
同じ声を聞いて。
勇者はそれでも、笑っていた。
「いい熱意だ。我が身を省みないその情熱だけが、俺に命の重さを思い出させてくれる」
笑って、剣を振りかぶる。
そして。
戦いが始まった。




