10話
勇者は言葉通りに、魔王召喚の儀式場を確保した。
刃向かう市民はねじ伏せた。
権力者の差し向ける軍隊は半殺しにした。
逃げだそうとする人々を、炎の壁で閉じ込めた。
リリィは光のない目で、勇者の凶行を見守るしかできない。
一瞬でも、この人はすごい人だと思ってしまったことを悔やんでしまう。
すごい人には違いない。
でも、そのすごさは、自然災害のようなものだ。
気まぐれで残虐。
他者の生命になんてまったく価値を見出していない。
ただ、自分のためにすべてを行う。
モニカがどうして彼にずっと付き従っているかが、不思議だ。
リリィの知る限り、モニカはまともな人に見えたのに。
それとも、同じように人間から差別を受ける亜人だから、仲間意識でまともに見えるだけなのだろうか。
知れば知るほど、わからない。
勇者も、モニカも。
そうこうしているあいだに、あたりはすっかり夜になっていた。
リリィは死体から金品を漁ったり、後片付けをしたりさせられていた。
この行為にも、すっかり慣れてしまった。
勇者には『なかなか手際がいいな』と褒められる始末だ。
褒められていいことではない。
モニカは、未だ戻らなかった。
そのあいだ暇だったのだろう。
怯える人垣の中央。
用意させた高級なソファ。
そこに座った勇者が、雑談を持ちかけてきた。
「リリィ」
「わ、わたしですか……?」
「フィギュア十七号」
「り、リリィです……リリィです、わたし……」
「だったら名前を呼ばれて問い返す癖をなくせ。……ちょっとした馬鹿な話をする」
「は、はい……」
「もしも、なんでも願いが叶うなら、お前はなにを願う?」
「……ね、願い、ですか……?」
願いなら、もう叶ってしまっている。
病気の母を助けたかった。
そして、勇者に、助けてもらった。
だから今、願いと言われても……
「き、きちんと、歳をとって、穏やかに、死ぬこと……でしょうか……?」
「欲望はないのか。世界中の金銀財宝がほしいとか、すべての美少女を所有物にしたいとか」
「で、でも、歳をとって、死ぬのって、す、すごく贅沢な、ことですし……あ、亜人は差別とか、虐待とかされて、お金を稼ぐ手段だって、少ないですから……じゅ、寿命で死ねる以上に幸せなことって、思いつかない、です……」
「……なるほどな」
「だ、大丈夫、だったでしょうか……?」
「なにがだ?」
「ま、満足いく答え、だった、かな、って……」
「お前の今の答えが嘘ならば、どのような面白い話をされても満足はしなかっただろうな」
「……」
「しかし、本当のことなのだろう?」
「は、はい……」
「ならば、いい。……ふん、しかし、どいつもこいつも、そんなささやかな願いか」
「ど、どいつも、こいつも?」
「そうだ。……亜人種はみな、願いを持つことさえ許されない環境だったのだな。ふん」
つまらなさそうに、何度も鼻を鳴らす。
勇者の機嫌が悪くなると、リリィは非常に怖い気持ちになる。
勇者は沈黙してしまった。
リリィは耐えきれなくてなにかを話そうとする。
でも、話題なんて思いつかない。
困り果てていると――
ドヤドヤと、楽しげな声が、あたりを囲む炎の向こう側から聞こえてくる。
勇者がチラリと声の方向に視線を向けた。
すると、あたりを囲んでいた炎の壁の一部が開く。
向こう側から現れたのは、モニカだった。
「ただいまあたしの勇者様」
「お前の勇者ではない」
そんなやりとりをしながら、モニカが炎の壁の内側に入って来た。
その背後には、たくさんの人がいる。
パッと見て共通点のなさそうな人々。
容姿はバラバラだ。
けれど、亜人という共通点を持つ人々。
リリィと同じ種族もいたし、まったく知らない種族だって、いた。
彼らも勇者に助けられた人たちなのだろうか。
リリィは我慢できずに問いかけた。
「ゆ、勇者様……あ、あの、この人たちは?」
「俺のコレクションと、その保存・維持をする者どもだ」
「た、助けたことがある人たち、ですか?」
「そうとも言う」
「こ、これだけ多くの人たちを助けるだなんて、勇者様は、い、いい人、なんですか?」
「はあ?」
勇者は。
思い切り、顔をしかめた。
リリィはびくりと体をすくませる。
勇者は立ち上がり、リリィへと詰め寄りながら、言う。
「いいか、『いい人』だの『悪い人』だのというレッテルを貼られるのが、俺は大嫌いだ。それともお前は『人は二種類に分類されます。いい人と、悪い人です』とかいう過激思想の支持者か?」
「か、過激思想……って……」
「過激思想だ。人を二極化しかできない。人はもっと複雑なものだ。俺は気分が乗ればいいこともするし、同じように悪いこともする。そもそも善悪は誰が決める? 老人を助ければいい人か? その老人が裏で弱者を苦しめていたら? 法律に反していなくても倫理に反していたら? 正義が二つあったらどうする?」
「え、え、あ、あの、えっと」
リリィはあとずさる。
なにか、刺激してはいけない部分を突いてしまったらしい。
勇者はなおも詰め寄ろうとしてくるが――
モニカが。
リリィと勇者のあいだに入った。
「はいはい。勇者様はいい人でも悪い人でもなくて、めんどくさい人だもんね」
「ふん。……つまらん。俺は寝る。そのあいだに、古文書を読んでてきとうに振り付けと歌を覚えておけ」
勇者はソファに戻る。
深く腰掛け、そのまま目を閉じてしまった。
魔法で作った炎の壁は消えたりしないから、最低限の仕事はしているんだろうけど。
リリィはやっぱり、勇者のことがよくわからない。
いい人か悪い人かで考えてはいけないと、言われたけれど……
やっぱりいい人であってほしいというのが、正直なところだ。
もっとも。
彼がなんであろうと、彼のために行動するのに、変わりはない。
だからリリィは、モニカとともに、勇者のための儀式の準備を開始する。
いい人だって、悪い人だって。
彼はリリィに幸福と夢をくれた人なのだから。




