1話
「人間もどきの化け物がなんで人間様専用のギルドにいるんだよ」
そんな罵倒を受けながらも、少女がわざわざ普段は来ることのない人間用ギルドに来ていたのは、先ほどから街を騒がせているある噂のせいだ。
曰く――『勇者』がこの街に来た、という話。
勇者というのは、世界の救い手だ。
世界中にはびこる魔物を殲滅して世界に平穏をもたらす者だとか。
救われないすべての人を報いる慈愛の者だとか。
人ならざる奇跡によって、すべての罪を浄化し人類を新たなステージに進める者だとか。
噂は色々あるが……
『とにかくすごい人』。
少女はそのように、お伽噺で聞かされていた。
だから少女は、勇者を見るために、ボロのマントを羽織って、すっぽりとフードをかぶり、人間用ギルドに来た。
自分が下等人種――ようするに亜人であることを隠すためだ。
でも、額から生える特徴的な角は隠しきれなかったらしく、すぐに見つかってしまう。
普段ならば石を投げられたり、棒で殴られたりするのだが……
今は、ギルド内にごった返す多くの人が『勇者』に夢中だった。
そのお陰で、ササッと身を低くして人垣に紛れるだけで、罵倒の主は見失ってくれたらしい。
少女は安堵の息をつく。
そして、角が人に当たらないよう気をつけながら、『勇者』のいるらしい人垣の中心部へとじりじり近付いていった。
歓声とざわめき。
本当に勇者なのか疑う声。
その真ん中で――
姿を見ることは、居並ぶ人々のせいで無理だったけれど。
少女はようやく『勇者』の声を聞くことのできる位置まで接近できた。
「で?」
えらく不機嫌そうな、男性の声。
年齢はまだよくわからない。
若くても十代ではないだろう。
歳をとっていたとしても四十代ではないだろう。
勇者は優良人種である『人間』のはずだから、少女はそのように分析した。
「はい、我々は街をあげて勇者様を歓迎いたします」
話し相手は、ギルドマスターだ。
冒険者を統括する元締め。
亜人に比べ偉いとされる人間の中でも、かなり地位の高い人物――らしい。
少女は人間の権力図をあまり知らないので、ふんわりした理解になってしまう。
その『偉い人』が、これだけ卑屈になる相手。
勇者というのはやっぱりすごいんだなと少女は思った。
でも。
勇者はふてくされたような、だるそうな声のままだ。
「歓迎? 歓迎か。具体的には?」
「それはもう、色々と。お金、お食事、美女、その他娯楽、さまざまなものを提供させていただきたく思っておりますよ」
「そうか。娯楽と言ってもこの世界にはネトゲねーしな。金もあったって課金ガチャもない。いいもん食うぐらいしか使いようねーな」
「は、はい?」
「あ?」
「い、いえ。それでですね……あなた様が勇者である、ということは、その聖剣を見れば一目瞭然でございます。王家の紋章であるはずの、竜があしらわれた柄。柄尻には、大きな、黒い宝石がはまった、非常に見事なロングソード……そんなものは、勇者様以外、持っておりません」
「そうだな」
「しかし、我々は、勇者様のお力というものを、伝承でしか存じ上げてはおりませんもので……」
「…………」
「歓迎の前に、勇者様のお力を、見せてはいただけないでしょうか?」
「……はあ」
「実は街の北側に、凶暴なモンスターが出たのです。すでに、何人も殺されております。ですから世界の救い手たる勇者様におかれましては、なにとぞ、このモンスターを狩ってお力の一端でも見せてはいただけないかと、わたくしどもとしては、考えているのでございます」
「そいつ倒せば賞金がもらえんの? こんな貧乏そうな街に、俺を満足させるぐらいの金があんのかよ」
「それはもう……ギルドで支払う賞金は、王国から支給されますので。わたくしのギルドはこんな木造のおんぼろではございますが、いわば国家の代行でございます。あなた様に充分なお金をお支払いできると、お約束させていただきますよ」
「ふぅん」
勇者は。
それきり、黙った。
受けるのか受けないのか、どちらなのだろう。
その沈黙はあまりに長い。
少女の周囲のギャラリーがひそひそとささやき出す。
「……なんだあいつ、感じ悪いな」
「勇者って本当なのかしら……あの聖剣もニセモノなんじゃ?」
「そうだな。勇者だったら、悩まず人助けをするべきだ。むしろ、報酬を持ちかけられても断るぐらいの人格者じゃないと……」
「クソが。いいから黙ってモンスター退治しろよな……俺たちが困ってるって言ってんだろ」
「案外、本当は強くないから、断る言い訳を考えてるだけだったりして」
「ありえそうだな……そうじゃなくても、俺たちの役に立たない勇者なんかいらないしな」
さんざんな言い様だった。
少女は、周囲の発言に嫌な気持ちになる。
それと同時に、自分が言ったわけでもないのに、もし勇者の耳に届いたらどうするんだろうと不安になった。
もし勇者が怒ったら怖そうだ。
それに――あの勇者は優しそうじゃない。
きっと。
下等人種である自分が助けを求めたところで、鼻で笑われるだろう。
少女は絶望を抱きながら、その場をあとにすることにした。
このまま人間用ギルドに居続けても、いいことはない。
だから、こそりこそり、人垣のすきまを、身を低くして出口を目指す。
けれど。
コツン。
角が、誰かに当たってしまった。
少女はおそるおそる、上を見る。
そこには――屈強そうな、人間の冒険者。
こちらを見下ろし、亜人と気付くと、あっという間に顔を怒りに歪ませる。
そして、その屈強な男は叫んだ。
「おい! 劣等人種のゴミが紛れてるぞ!」
その声は。
勇者の返答を待って静まっていたギルド内に、よく通った。
あっというまに、少女の周囲から人が退いて、空間ができる。
ギルド内の冒険者たちは。すさまじい形相で少女をにらんだ。
周囲から、声が飛んでくる。
罵声、怒号。
「なんで亜人なんかがいるんだよ。しかも鬼人じゃねーか!」
「ちょっとお! この装備買いたてなんだけど!? 亜人のゴミ臭い臭いが移ったらどうしてくれんのよ!?」
「コイツら化け物と交尾して増えるんだろ? よく平気で人間様のいる街を歩けるな……」
「しかも人間様専用のギルドにいるとか身の程わきまえなさすぎだろ」
「殺しちまえ!」
「そうだ! 殺せ!」
殺意。
怒気。
そして、格下の者を集団でこき下ろす者特有の、歓喜。
殺せ殺せと響く、大合唱。
少女は震えるしかできない。
辺りには敵しかいない。
普段は、殴られても、蹴られても、死なない程度では、あった。
でも、勇者の煮え切らない対応を見て、この人たちは気が立っている。
いらだちのはけ口を探していた。
それに、ここは人間用冒険者ギルドだ。
亜人が来るのは違法となっている。
いらだちと大義名分。
数の有利。
冒険者特有の荒っぽい気質。
少女は呼吸もままならないほど震えた。
――殺される。
この集団に、自分は今日、なぶり殺しにされるのだ。
「おい、勇者が命じるぞ。道を空けろ」
なぶり殺し、寸前の空気の中。
そんな声が響いて、ぴたりと『殺せ』コールは止まった。
人々がざわめき、戸惑い、道を空ける。
退いた、人垣。
その中央を、だるそうに歩いてくる人物。
黒髪の、年若い男性だった。
腰には見事な意匠の剣を帯びている。
高そうな漆黒の鎧に、温かそうなマント。
顔立ちは――たぶん、とてもいい。
けれど。
世間すべてを小馬鹿にするような笑みが口元にあって。
光のない、死んだような目がこちらを見ていて。
容貌の美しさを、表情が台無しにしていた。
勇者は。
立ち尽くす少女の前で立ち止まる。
そして、おもむろに顎を持って、顔を上げさせた。
しばし少女の顔を見てから、一言だけつぶやく。
「キープ」
き、きーぷ?
どういう意味だろう?
少女が戸惑っていると――
勇者が、ギルドマスターに振り返った。
「ギルドマスター、依頼の件、考えた」
「は? は、はあ、左様でございますか。それで、色よいお返事をいただけるので?」
「うむ。考えたんだがな、なぜ俺がモンスター退治なんぞしなきゃならないんだ?」
「はあ……?」
「だいたい、勇者勇者と持ち上げておいて、腹ではていよく利用して危険な場所に送りこんでやろうっていう魂胆が見え見えだ。――俺はな、他人に都合良く使われるのが大嫌いだ」
「そ、そんなことは……それに、勇者様のお力が伝承通りであれば、どのような強いモンスターであろうが問題にはならないかと……」
「そうだな。でも、わざわざ遠くまで行って強いモンスターを狩るより、効率的に稼ぐ方法があるのがわからないか?」
「なんでございましょう?」
「お前らを殺してここの金をいただけばいいだろ?」
シン、とあたりが静まりかえる。
そして。
人々の怒声が、一気に破裂した。
「クソ勇者が! テメェそんなこと言ってただで帰れると思ってんのか!?」
「そうだ! 伝説の人物なら人間様のお役に立てよ!」
「冗談じゃないわ! こんなのが勇者だなんてなにかの間違いじゃないの!?」
「そうだ! 聖剣よこしやがれ! 俺が代わりに勇者やってやる!」
「奪え!」
「殺せ!」
「やっちまえ!」
その、少女ならば聞くだけで身が震えるような怒号を。
勇者はため息一つで受け流した。
「……はあ。異世界に来てもこんなんか。やっぱり――リアルってクソだな」
そう言って。
剣を抜く。
いや、たぶん、抜いた。
少女の目には捉えられなかった。
人が舞う。人の一部が舞う。
首が、手足が、指が。
おそらく勇者に斬られて、空を飛ぶ。
叫びながら、四方八方から襲い来る、人間の冒険者たち。
勇者は大きな動きもなく、手にした剣で斬り刻んでいく。
少女は嵐の日の大樹を連想する。
吹きつける強い雨。
体を吹き飛ばそうとする暴風。
聞いただけで体が震える、雷鳴。
だけれど。
大樹は枝葉を揺らしながらも。
泰然と、そこにあって。
――気付けば。
殺戮とさえ呼べない、天災のようななにかは、終わりかけていた。
周囲には、冒険者たちの死体。
中央に残る人物が一人。
人垣が『なくなった』ことでようやく見えた、ギルドマスター。
青白く太った、えらく趣味の悪い財宝で全身を飾り付けた、白髪の男性。
勇者は。
ギルドマスターに、ゆっくり近付いていく。
「選択肢をやる」
勇者は、指を二本立てて言った。
ギルドマスターは、尻餅をついてあとずさりながら、かすれた声で繰り返す。
「せ、選択肢……?」
「一つ、ここで死ぬ」
「ヒッ……!?」
「一つ、俺を都合良く利用しようとしたことを命懸けで謝り、金目のものをありったけ俺によこして、俺のストレスを減らす」
「わた、渡します! すべて! 金も、財宝も、権利も! あ、あの、ですから、命、命だけはどうぞ、どうぞお助けを……」
ギルドマスターは震える手つきで、身につけた財宝を取り去っていく。
口元には卑屈な笑顔がこびりつき。
目は許しを請うように、ずっと勇者を見ていた。
勇者は。
ため息をつく。
「謝罪しろと言ったのに、謝罪より命乞いが先だった。死刑」
そして。
あっさりと。
ギルドマスターの首を、斬り飛ばした。
勇者が剣を納めながら少女の方を見る。
少女は、ガタガタと震えたまま、勇者を見上げた。
彼は。
たずねる。
「おいお前、名前は?」
少女は。
答える。
「り、り、り、り」
「鈴虫か」
「……は、はえ?」
「いい。名前を答えろ」
「り、リリィ、です……」
「そうか。リリィ、か。俺はミヒロだ」
ふむ、と勇者はうなずいた。
そして。
「おいモニカ!」
誰かに呼びかける。
すると、柱の陰から、大きなリュックを背負った少女が、ひょっこり顔をのぞかせた。
犬のような耳の生えた、桃色の毛並みの獣人。
その子は笑顔で応じる。
「はいはーい。なんでしょ勇者様」
「金目の物だけ拾っておけ」
「死体の処理は?」
「知らん。犬が喰うだろ」
「あーい」
「それと、新入りのリリィだ。しっかり教育しておけ」
「りょーかいです勇者様! やった! 後輩できた!」
「粗相があったらお前の責任にするからな」
「えー? それは粗相をさせたらいじめてやるから教育するなって意味?」
「望み通りいじめてやる。ただし放置プレイだがな」
「それはイヤですよぉ。んじゃあ、しっかり教育しときますね」
「まずは死体漁りから教えてやれ」
「ぎょいぎょい」
にこにこと笑顔のまま。
軽い調子で、モニカと呼ばれた少女は承諾する。
リリィはその場にへたりこんだ。
全身の力が抜ける。
足に力が入らない。
ぼんやりと痺れたような頭で、ようやく状況を理解する。
――どうやらわたしは。
――とんでもない人に、捕まったらしい。