エピローグ
全ての始まりは十年前に遡る。吸血鬼に魅入られた父、月ヶ瀬雅文が長女の英梨、次女の奈緒を扼殺した。
理由は吸血鬼への供物。その存在の有無については今回は除外するが、存在しないとなると正に虚無への供物と言えるだろう。
姉二人の殺害を目撃してしまった佳織は、吸血鬼の生贄になるための初潮を迎えた女性、という条件を果たしていなかった。腹部の強打による一時的な失神状態から復帰して目を覚ました後に、ただ逃げることだけを考えた。
しかし、生きていると勘付かれたら、ただ逃げるだけではいずれ狭い島の中では見つかってしまう。捕まれば今度こそ確実に殺される。
壊れた壁を修繕するために持ってきていたのであろう鋸などを使い、姉二人をそれぞれ頭部、上半身、下半身に分けた。
英梨の上半身と奈緒の下半身を合わせて佳織の服を着させた。これで英梨と奈緒の死体は一部欠損するが、佳織の死体を頭部の欠損した死体としてでっち上げることが出来る。双子である姉たちの躰は都合が良かった。この行為が後に吸血鬼復活を父に示唆して、彼の六作目の小説、その血は誰がためのモチーフとなったのだろう。
いつ父が戻ってくるか分からない恐怖、姉妹である姉たちを解体する重労働、気付けば佳織は声が出なくなっていた。
壊れた壁から外に出てシーツを一枚見つけると、それを纏って誰にも見つからないように館から脱出してクルーザーに潜んだ。やがてクルーザーが本土に着いたあと、こっそり外に抜け出して死にものぐるいで走り、高架線の下で佳織は堂島博武に助けられた。
堂島が以前世話になっていたといつ孤児院に預けられて生活をしていくなか、堂島があの悪しき父と、事件の日に面会していたことを知る。そしてそれ以降にもやり取りがあると知った。これは神が与えたチャンス、贖罪なんだと言い聞かせて虎視眈々と時を待った。
決行されたのが、このミステリーツアーである。ターゲットの父を殺すだけでなく、吸血鬼を妄信する月ヶ瀬の血を根絶やしにするのが目的だった。雅文と久美子を殺害して陶酔を感じていると、水沼が雅文の子を孕んでいることを知り、当然殺害した。
水沼は素性を明かした途端いうことを聞くようになった。雅文は子供がいたという事実を抹消してから水沼を招いたようだったが、薄々彼女は勘付いていたらしい。
萩原には偶然にもその一部始終を目撃されてしまったため、口封じのために殺した。突き落とすのは不可能だと思い、もしものために忍ばせておいたナイフで刺した。
洗いざらい全てを白状した折江名莉丘、もとい月ヶ瀬佳織は最後に煙草が吸いたいといい、堂島が部屋から佳織の煙草を持ってきた。ありがとう、と携帯に打ち込んで煙草を咥えた佳織が途端に顔色を変えて、激しく痙攣し、気絶した。煙草に毒が塗られているとまでは、誰も考えなかった。何とか吐かせようと奮闘したが、容態は良くならなかった。
午前零時二十三分に月ヶ瀬佳織はこの世を去った。彼女は最後に残った月ヶ瀬の、吸血鬼の血を絶ったのだ。
佳織の所持品の中に、レベル三のメールを発信した携帯が残されており、外に連絡をすることができた。
霧が明けた翌朝、駆けつけた警官やディストピアの雑誌記者たちにより堂島博武、天野蛍、落合櫂座、瀬戸茜、冴木賢、そして有栖川みれいが無事帰還した。
「まだ何か質問がありますの?」
有栖川みれいは一息ついてお茶を飲んだ。必死に調書に筆を走らせていた碓氷警部が遅れて筆を置き、感嘆の声を上げながら頭を掻いた。
「はぁ、これはまた奇妙な事件ですねぇ。でもなぜわざわざレベル三のメールなんてのを送ったんでしょうかね」
「佳織さんは、ミステリーツアーだから、と笑っていましたわ」
「……何とも、奇怪ですな。それにしても、よくこんな状況下で犯人が分かりましたね」
碓氷警部が興奮気味に何度も頷いた。それを見てみれいの横に座っている茜が胸を叩く。
「当然よ、元探偵がついていたんだから」
「元、とは?」
「もうお終い。生半可に首を突っ込むものじゃないと痛感したわ。萩原を連れ回したのはあたしのせい、調子に乗らなければ萩原は死ななかったでしょうね」
「茜ちゃん。冴木先輩が自分を責めるものじゃないと仰っていましたわ。だから茜ちゃんも……」
「そうね、ごめんなさい。アリスちゃん」
ごほん、と碓氷警部が咳払いをした。
「全く、遅れて正月休みが取れて帰省した矢先でこれですから、私は新年早々先が思いやられますよ」
「ここも碓氷警部の管轄なんですの?」
「丁度里帰りしていたんですよ。地元の知り合いの警部に会いに行ったら有栖川さんから通報があって、成り行きで連れてこられたわけです」
「まぁ、災難ですわね」
「有栖川さんたちほどではないですよ……それで、その冴木さんはどこに?」
「さぁ……あ、萩原会長の車かもしれませんわね」
みれいと茜は埠頭に停めてあるパトカーから出て、萩原の車がある場所に向かった。
案の定、冴木はそこにいた。運転席の扉にもたれかかって、静かに海を眺めている。
「冴木先輩、どうしたんですの?」
「やぁ、有栖川君」
「なにがやぁ、有栖川君、よ」茜が苦笑する。「推理しているあんたはまだマシだったのに、ことが終わると腑抜けて見えるわね」
「そりゃどうも」
「冴木先輩、車動かないんですの?」
「うん、どうやら持ち主が居なくなったのに気付いたのかな。うんともすんともいわない。ご機嫌斜めどころじゃないよ」
萩原の「そうだな」という返しがないとわかっているせいか、冴木が微かに悲しさを含めて返事をしたように思えた。
「さて……」茜が無理やり冴木と肩を組んだ。「今度はあんたが会長になりな」
「お断りします」
「拒否権があると思っているわけ?」
「…………」
「それにあんたは二ポイントだからね。じゃあ、あたしは戻るわ。よろしくね、冴木会長」
どういうことなのか全く分からなかったが、茜はパトカーの群れに戻っていく。去り際に見えた茜の表情は、萩原が亡くなったことを思い出してなのか相好を崩して辛そうに見えた。
みれいは溜息を吐いている冴木と二人、ただただ広い海原を眺めた。
「吸血鬼というのは存外、私たちの心の中にいるのかも知れませんわね」
「君らしくない答えだね」
「ところで二ポイントってなんですの?」
「恐らくミステリーツアーのクイズのことだろう」
「あ、レベル二と三は冴木先輩が解いたんですものね」
「ちっとも嬉しくないね」冴木が口元を斜めにした。
「……それにしても私、なんだか心が締め付けられるように苦しいんですの」
「君、話がころころ変わるね」
「いい加減慣れてほしいですわ」
「あ、そう……心が締め付けられるようにとは、迷子になった時のように?」
「ええ、萩原会長が亡くなってしまって……その、冴木先輩はどこにも行きませんわよね……?」
「どこにも行かないよ」
冴木の間髪入れない返答に、みれいは目頭が熱くなるのを感じた。
みれいが人質になった際も、彼は必死に助けようとしてくれた。
嬉しくて涙が滲む。頬までも赤くなって、熱を帯びていくのが分かった。なんて返事をしたらいいんだろう、とペースを崩されて迷っていると、冴木がくるりと向きを変えて車を触った。
「だって、車が壊れているからね」




