寂寥コンスピラシーII
萩原大樹は握り慣れたステアリングを軽やかに操作して、免許を取得してすぐに購入した中古車を駐車場に停めた。
全くと言っていいほどメンテナンスをしていない中古車は異様な振動を発していたが、騙し騙し走るのはもはやお手の物である。
「萩原の車、相変わらずご機嫌斜めだね」
助手席に座っている冴木賢が、いつもの決まり文句を言った。その度に萩原は「そうだな」と返すが、メンテナンスをするつもりは毛頭なかった。
「うひゃー、見てアリスちゃん。海よ海! こんな年明けてすぐ海見ることなんてある?」
「少なくとも私はありませんわ。でも初日の出を見に来る方ならあるかもしれませんわね」
後部座席に座って談笑しているのは、我がミステリー研究会でも屈指の美人と噂の、瀬戸茜と有栖川みれいである。姉御と言われて人気の茜は、今日も今日とて白衣を纏っている。有栖川みれいは、親がアリスゲームクラフト、通称AGCという大手企業の社長であるが故に、何処となくお嬢様な雰囲気を醸し出している様に感じた。
「まだ誰も来ていないみたいだね」
萩原がうっとりとルームミラーで二人の女性を盗み見ている横で、冴木が辺りを窺っていた。
蕭条たる一月の埠頭は人気が全くなく、窓を開けると冷たい風が車内に流れ込んだ。
「いや、あそこ。もうなんか二人いるわね」
茜が颯爽とドアを開けて外に出た。萩原もエンジンを切ってキーを抜き、全員が外に出て荷物を取り出したのを確認してから、鍵を掛けた。
埠頭の近くにあるプレハブ小屋の隅で、風を凌ぐようにして佇んでいる二人の女性がいる。
萩原たちがそれぞれの荷物を持ちながら歩いていくと、向こう側もこちらに気付いたようで軽く会釈をした。
「こんにちは。あの、俺たちディストピアのミステリーツアーに参加する者なんですが、お姉さん達も?」
萩原がハキハキと説明すると、二十代後半ぐらいであろう二人の女性のうち、黒いカメラを首から下げているほうの女性が、首を縦に振った。
「そうですよ。どうも初めまして、私は天野蛍って言います。見ての通り、フリーのカメラマンだよ」
天野蛍と名乗った女性は、そう言ってカメラのファインダーを覗くジェスチャーをしてみせた。
「それでこっちが、友達のカイちゃんで……」
天野が隣にいる異様に黒髪が長い女性に手のひらを見せた。
「は、はい……あの、私は落合櫂座と言います……その、よろしく」
落合は妙におどおどした口調で説明し終えると、右手に持っているソフトボールほどの大きさの水晶玉を頻りに撫で回した。
「その水晶玉は?」
自己紹介を聞いていた茜が訊くと、落合は肩をびくっと震わせてから妙に艶かしく笑みを浮かべた。
「わ、私、占い師をやっていて、運勢なんかを占うんです」
「占い……へぇ、凄いね何か」
萩原は素直に驚いて水晶玉を覗き込もうとしたが、落合がそれを拒むようにさっと水晶玉を反対側に移動させた。どうやら他人に水晶玉を覗かれるのは好まれないらしい。
天野蛍と落合櫂座の自己紹介を聞いたので、次はミステリー研究会の四人が簡単に自己紹介を済ませた。
みれいが自己紹介した時には天野が写真を撮っていいか、と尋ねたり、萩原がオカルトめいたことが好きだというと落合が先ほど水晶玉を遠ざけたときとは全く別人のように煌々たる瞳を覗かせて見つめてきた。
ミステリーツアーに参加する面々のせいか話題が尽きることがなく会話に花を咲かせていると、埠頭に白いランドクルーザーがやってきて停車した。
運転席から降りてきたのは四十代ほどの帽子を被った男性で、目尻に刻まれた皺を寄せてはにかみながらこちらに歩いてきた。
遅れて助手席から降りてきたのは若々しい女性で、パッと見たところみれいと変わらない二十歳ほどの年齢に見えた。しかし、真っ黒な前髪が鼻にかかるほど伸びており、全く表情が読み取れない。翳っているせいか暗い印象を与えた。
「お揃いですね。皆さんどうも」
帽子を被った男性が、辺りの空気を手刀で切り裂きながら何度もお辞儀をした。
「えー、私は月刊オカルトミステリーディストピアの編集記者、堂島博武と申します。えー、ツアー企画者でして、二泊三日のツアーの案内をさせていただきます。どうも本日は、よろしくお願い致します」
帽子を被った堂島がお辞儀をすると、斜め後ろにいる先ほど助手席にいた女性も頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。ところで、そちらの女性は?」
萩原はみんなが不思議そうにしている雰囲気を察して、堂島に訊いた。
「ああ、こいつは同じ編集部の記者で折江名莉丘と言います。ちょっと変わっているやつですが……まぁそれは追々ね。ええと、早速ですが皆さんにお願いがあります」
堂島が折江名に目配せすると、折江名は一目散に車に戻って後部座席のドアを開けると、銀色の小さな金庫を持ってきた。
「ええっとですね、このミステリーツアーですが、ご贔屓にしてもらっている月ヶ瀬さんの所有している盈月島という孤島に行きます」
説明の最中、萩原の横にいた茜が呟いた。
「盈月、ねぇ……」
「茜さん、意味知っているんですか?」
「新月から満月になるまでの月のことだったかしら。何か前に小説で読んだ記憶があるけれど、確か虧月が対義語だったわね」
「へぇ、月とか好きなんですか? その、天体とか」
「全然、興味ない。あたしはもっぱら推理小説しか読まないし、そういった方面しか興味ないのよ」
「相変わらずですね」
萩原が苦笑していると、堂島が片目を細めながらわざとらしく咳をしたので慌てて雑談を止めた。
「盈月島に行くに当たって、外界との連絡手段を絶つために皆さんの携帯を一時的に預かります」
「えっ? 随分と本格的ですね……」
首から掛けたカメラに手を添えながら天野が驚いた声を出した。
「ええ、そりゃあやっとの思いで掴んだツアー企画ですからね。ですが、一応代替え機としてこちらのガラケーを渡します。今ここにいるツアー参加者の方々とはメールでのやり取りだけする事ができます。ツアーの都合上、他の機器への連絡や電話は出来ませんが何卒ご理解下さい」
前髪の長い折江名が金庫の蓋を開けたので、全員はポケットからスマホを取り出して金庫に入れた。冴木だけスマホではなく折りたたみ式のガラケーだったので、自称占い師の落合が「まだガラケーの人いるんだ……」と呟いていた。
「ええー、皆さんの携帯は責任を持って預かりますのでご安心下さい。では、私たちが用意した携帯を支給します。正常に機能するかご確認下さい」
折江名が出した携帯には後ろにシールが貼られており、参加者の名前が書かれていた。前日に当選発表があったというのに、その日の内に参加者のフルネームを記入して送信する必要があり、それを怠らなかったので用意出来たのであろう。
萩原は使い慣れていない折りたたみのガラケーを開く。小さいディスプレイの壁紙には初期設定なのかカレンダーが表示されており、今日、一月二日の部分が一際濃い枠で塗られている。先負、とも書かれていた。
ぴこん、と電子音がなり、メールを一件受信しました、という文字が手前に表示された。
十字キーの真ん中にある丸いボタンを押すと、メール画面に移行してデコレーションされた派手なメールが表示された。
折江名莉丘
皆さん、二泊三日のミステリーツアー! よろしくお願いします!
どうやら一斉送信されているらしい前髪の長い折江名からのメールは、本人が送ったとは思えないほどに派手なメールであり、文面の最後にはハートの絵文字が映されていた。
(うわぁ、ギャップ激しいなぁ)
萩原はちらりと折江名を盗み見たが、やはり目が見えないせいで表情が汲み取れなかった。
すると、何処からともなく足音が聞こえてきた。音の主を探して海の方を見ると、白いクルーザーの下からメイド服を着た三十代ほどの女性が走ってきて帽子を被った堂島に深く一礼した。
「あ、水沼さん、どうもどうも。ええと、皆さん。これから行く盈月島ですが、その島の所有者である月ヶ瀬さんに仕えている家政婦さんにもご協力してもらいます。あの、水沼さん良かったら簡単にでいいんで自己紹介をしてもらってもいいですか?」
堂島が帽子を脱いで頭を掻くと、家政婦の水沼と言われていた女性が「はい」と笑くぼを浮かべて慇懃にお辞儀をした。黒いボブカットヘアーはしっかりと切り揃えられており、お辞儀をしたあともぴたりと定位置に戻った。
「月ヶ瀬様の元でお世話をさせてもらっています。水沼夕実と申します。すぐそこのクルーザーが、月ヶ瀬様の所有するクルーザーでして、本日はあのクルーザーで皆様を盈月島にある幻霧館へご招待させていただきます。この様に沢山の方が一度にいらっしゃるのは初めてなので、不手際が生じるかもしれませんが、何卒宜しくお願い致します」
「ありがとうございます、水沼さん。こちらこそ、ツアーのためにクルーザーを出して頂いて助かります」
堂島が何度も頭を下げる度に、家政婦の水沼も負けじと頭下げて、何とも珍妙な光景を目の当たりにすることとなった。
全員がまた簡単に挨拶を済まし、ツアー参加者の六人と、雑誌記者で企画者でもある二人、家政婦の水沼を含め合計九人が荷物を持ってクルーザーに乗り込んだ。
こうして、二泊三日のミステリーツアーが幕を開けた。