逼塞アーカイブIII
冴木賢は、みれいと共に部屋を出た。
数十分ほど前に水沼の妊娠を知った時は、内心かなり驚いていた。被害者の月ヶ瀬雅文は寝たきりとはいえ妻がいる。その世話をさせている家政婦と肉体関係にまで発展して身篭らせるとは、何か動機へと昇華しそうな雰囲気があった。
廊下に出ると、ジュースを二つ持ったカメラマンの天野が丁度部屋へと戻るところだった。
「あ、天野さん。私が開けますわ」
みれいが率先して天野たちの使っている部屋の扉を開ける。天野が「ありがとう」と白い歯を見せて部屋に入っていった。
「あの、天野さん。少しだけ私と冴木先輩でお邪魔してもよろしいです?」
「うん、いいよ。ーー聞いてた? いいよね、カイちゃん」
廊下で一部始終を傍観していた冴木に、みれいが振り向いて親指を立てた。本当は堂島と折江名の部屋に向かう予定だったのだが、どっちみち茜から事情聴取をしてこいと背中を押されるのが目に見えているので仕方なく天野たちの部屋にお邪魔することにした。
部屋はどこも同じ間取りのようで、机の上にはお菓子が積み木のように積まれている。唯一の違いであるそれを、占い師の落合が手にとって開封していた。
「あ、椅子座ってね」天野が甲斐甲斐しく椅子をセッティングした。「私とカイちゃんはベッドに座るから」
「どうも」
冴木は軽く頭を下げて椅子に腰掛けた。みれいが早くも落合の開封したお菓子に手を伸ばして笑みを浮かべている。お茶会をしに来たわけじゃない、という意味を込めて軽く肘でつついた。
「有栖川君、まず要件を済まそう」
「そ、そうでしたわね」みれいが再びお菓子に伸ばそうとしていた手を止めて姿勢を正した。「あ、そういえば天野さん。首からぶら下げていたカメラはどうしたんですの?」
天野を見てみると、確かにトレードマークのカメラがない。先ほどまで全く気付かなかった己の洞察力のなさを痛感した瞬間である。
「ああ、あのカメラ。瀬戸茜ちゃん、だったかな……その子が三十分ほど前にきてね。なんだかデジカメの調子が悪くて写真が撮れないから貸してくれないかって言われて、仕方なく貸してあげた」
「まぁ、茜ちゃんが来ていたんですわね」
「デジカメって……」冴木が口を挟んだ。「瀬戸先輩はデジカメなんか持ってきていたの?」
「ええ、腰に巻いているポーチに入っていたのをクルーザーにいた時に見せてもらいましたわ。丁度、冴木先輩が操舵室に行った後ですわね」
「ちょっと冴木さん?」天野が目を僅かに吊り上げた。「デジカメなんて、って台詞は聞き捨てならないね。あれだって立派なカメラなんだから」
「あ、ええ……そうですね」
どうやら天野にとってカメラはよほど大事なものらしく、おいそれと話題を振れないな、と冴木は思った。
すると、ハムスターのように黙々とお菓子を頬張っていた落合が長い髪を掻き分けて話し出した。
「蛍ちゃんの撮る写真はね、凄い綺麗なんだよ。人物を撮るのはダメダメだけれどね」
「ちょっとカイちゃん……」天野が頬を赤らめる。「ああ、えっと、私ね……人を撮ろうとするとなんだか緊張して手が震えて……ブレちゃうんだよね」
「私が映るときなんて酷くてね、周りには心霊写真にしか見えないって騒ぎになって……それはそれでちょっと嬉しかったんだけれどね」
落合が写真を思い浮かべているのか不敵に笑った。それをスルーして今度は冴木が質問した。
「では、天野さんは主に風景などを撮影するんですか?」
「そうだね。そういえば一回だけ、ディストピアの表紙に採用されたよ」
「このツアーを発案した堂島さんたちの雑誌ですね。それはどんな写真なんですか?」
「うーんと確か、海外に行ったときに撮った遺跡の写真だったんだけれど、自分でも気に入ってた一枚だったから嬉しかったよ」
「遺跡ですか、海外にはよく行かれるですか?」
「そりゃよく行くよ。日本なんて狭いからね。世界に羽ばたけばもっと色んな風景が撮れるでしょう? ブログに載せるのが趣味だから、それを見た編集の人が表紙に使わせてくれないかってメールしてきたの」
「その編集の人というのは堂島さんか折江名さんですか?」
「冴木さん、あなた質問好きね?」天野がにやにやと笑った。「答えはノーよ」
「そうですか……じゃあ今回のツアーに当選したのも天野さんですか?」
「いや、それはカイちゃんだね。見るからにオカルト好きって感じでしょう? 私は仲も良かったし、島で面白い写真が撮れるかなと思ってね」
「そうでしたか」
冴木は珍しく調査に貢献してしまったな、と息を吐いて椅子にもたれた。しかしこれだけ協力したのだから、後からとやかく言われることもないだろう。
いつの間にか隣では、みれいと落合がお菓子を食べながら水晶玉を食い入るように見つめていた。ひそひそと話している声に、冴木は耳をそばだてる。
「じゃあ高校のときに黒魔術を調べていたんですの?」
「ふふ……気になる? 黒魔術は本当に奥が深いわよ」
「とても気になりますわ」
「でもね、駄目なの。当時ね……私の恋敵とも呼べる子が、私の好きな先輩と親しげにしているのが恨めしくて、その子の髪の毛を使って黒魔術を使ったりしたの」
「えっ、髪の毛って本格的ですわね……。それでどうなったんですの?」
「ふふ……その子がね、不幸になるどころかどんどん綺麗になって、結局先輩と付き合ってしまったの。それ以来、私の友達からは白魔術のカイちゃんとして崇め奉られたのよ」
「白魔術って、黒魔術が悪だとすると反対の善ってことですの?」
「そうみたいね。黒人差別なんかが根底にあるようだけれど、ともかく私は呪おうとしてもプラスに働いてしまうのね」
「なら、逆に白魔術をやればいいんじゃありませんの? そしたら悪い方向になったりして……」
「いいね、それ、盲点だった。ちょっと被験者になってみない?」
「え、遠慮しておきますわ……」
冴木は会話を聞き取るのを止めた。全く自分には関係なければ興味のない話だ。天野は柔和な眼差しでみれいと落合を眺めていたが、冴木の視線に気付いて前を向いた。
「それで、冴木さん。どうして質問攻めなの?」
「上からの命令です」
「なにそれ」
天野がぷっ、と笑ってから「瀬戸さんのことかな?」と言ったので素直に肯首した。
「天野さんにカメラを借りたのも、現場写真を撮るからでしょうね」
「ああ、なるほどね。そうなると、私のフィルムには死体の写真がわんさかできるわけだ。なんか嫌だなぁ」天野が肩を落として息を吐いた。「貴重な資料になるなら仕方ないかな、それにしてもどっちみち帰れないと意味がないよね。帰る目処はついたのかな?」
「それに関しては、これから堂島さんに聞いてきます」
「でも、どうするの。本当に帰る手段が見つからなかったら」
「それはないと思いますよ」冴木は即答した。「月ヶ瀬夫妻を殺害した犯人がいるわけですから」
「どういうこと?」
「今回は犯人がわざと帰る術を絶っています。そのまま帰れなくなる、なんていう不手際は考えられないということです」
「ああ、確かにそう言われるとそうね。自分で帰れなくしておいたわけだから、帰る方法も考慮してあるわけか」
「そういうことです。犯人が誰かまでは分かりませんけれどね」
冴木がそう言うと、今度はこちらの話を聞かれていたのか落合が水晶玉を撫でながら呟いた。視線こそ水晶玉に向けられているが、どこか遠くを見ているように思える。
「犯人は吸血鬼……だから血を吸ったのよ」
落合は死体の状態を思い出したのか、急に口元に手を当てて嘔吐いた。
「ああ、もうカイちゃん。すいません、この子血が苦手なのに……あの、もう質問攻めはいいですか?」
「はい、急に押しかけてすいませんでした。有栖川君、もう行こう」
みれいは落合を心配そうに見つめながら立ち上がると、最後に思い出したように天野に声を掛けた。
「あ、天野さん。六時に夕飯だと水沼さんが言っていましたから、忘れずに食堂に来てほしいですわ」
天野は「わかったよ」と笑顔を見繕って落合の背中をさすっていた。




