寂寥コンスピラシーI
狭いアパートの一室で、部屋の主である冴木賢は大きな欠伸をした。
机の上に敷かれている緑色のマットに、麻雀牌が沢山並んでいる。その一つを、対面に座る萩原大樹がひょいと持ち上げて、釣られるように欠伸をした。
それを見逃さずに、すかさず冴木が
「眠いならやめよう」と提案したが、萩原は手元の牌を盲牌して口角を上げると「ツモ!」と高らかに言った。
年が明けてすぐに始まったこの麻雀対決は、果てもなく長々と続いている。冴木の右側に座っている有栖川みれいが、綺麗に並べられた自分の配牌を勢いよく払いのけて緑色のマットに顔をうずめた。
「あー、もう流石に疲れましたわ……。元旦なんですから、先輩方は初詣には行かれないんですの?」
「それは僕も賛成。萩原が三人麻雀好きなのは知っているけれど、もう外が明るくなっているし潮時だね」
冴木は賛成の意を唱えて棒付きキャンディーを取り出すと、徐に口に放り込んだ。
「なんだなんだ、だらしないなぁ、二人共」
萩原は連勝と持ち寄っていた酒のせいか、かなりご機嫌のようだ。新年早々に冴木のアパートに押しかけてきたかと思えば、まるで我が家のように寛ぎだしてボードゲームを勧めてくる。最初は将棋だったのだが、隣人である有栖川みれいが一緒に年越しをしようと訪問してきたこともあり、三人麻雀に変更になっていた。
陽気な萩原とは対照的に、突然麻雀のルールを説明されて参加させられていたみれいが顔を上げて、レッドピンクに染められた長い髪を耳にかけた。
「萩原会長、イカサマしているんじゃありませんの?」
「心外だなぁ、有栖川さん。俺はズルして勝ってもちっとも嬉しいとは思わない人間だからね。そんな事はしないよ」
「うーん、じゃあ随分こんなややこしいルールの麻雀をやり込んでいるんですわね。冴木先輩、ここは手を組んで萩原会長をぎゃふんと言わせましょう」
突然共闘宣言をされても、全く冴木の心に闘争心は湧かなかった。それどころか、そんな事を言い出したらまた麻雀が始まるのだがそれでいいんだろうか、と冴木は訝しんだ。
「通しを使えば勝ち越せるだろうね。二人の中でしか伝わらない仕草なんかで、情報を伝達するんだよ」
「あっ、野球とかでもありますわよね」
「詳しくないけれど、多分ね」
「それじゃあ私が冴木先輩にウインクしたら、私のアガリ牌を捨ててほしいですわ」
みれいが練習のつもりなのか、冴木に向かって器用にウインクのマシンガンを放ち、冴木は呆れ顔で手を払った。
「瞼が痙攣しているようにしか見えない」と言おうとしたが、萩原が立ち上がったことにより言葉が紡がれることはなかった。
「俺の前で堂々と作戦会議なんかするなよな。それに、ズルしたら面白くないだろ? 気分転換も兼ねて、初詣と洒落込もうぜ!」
ようやく終局を迎えた、と安堵して冴木が立ち上がると、みれいに服の袖をぐい、と引っ張られた。
「どうかしたの? 有栖川君」
「その……あ、足が痺れて……」
「無理もない。待っているから急がなくていいよ」
そう言って冴木は歩き出そうとしたが、みれいは一向に手を離さずにずるずると付いてきた。萩原が「ゾンビごっこしていると置いていくぞ」と言って玄関から外に出て行った。
ようやく近所の神社に着いたのは、終局から一時間も経った午前八時だった。
神社の境内には、厚手のパーカーをきた人や、着物を着ている女性達がひしめき合っており、何人かは甘酒を飲んでいたり、おみくじを引いているようだ。
集まっている人は皆、年に一度だけ神社に足を運び、安い賽銭を投げ込んでは都合良く願いを祈るという作業に徹しているんだろう。神を信じているかは定かではないが、元旦に一斉に押しかけてはさぞ神も迷惑しているだろう、と冴木は思った。
人ごみの中に一際異質な、白いものが見えた。よく見るとそれは白衣のようである。
「あっ、あれって茜さんかな? おーい」
萩原が声を張って駆け寄っていったので、冴木とみれいも後に続いた。背の高い萩原は見失うことがないので助かる。
振り向いた白衣の正体は萩原の予想通り、麻雀組三人が所属しているミステリー研究会の瀬戸茜だった。
「あれ? 何よあんた達、集まりがあったんなら誘ってよね」
茜は白い歯を見せながら新年の挨拶をして、ばしばしと萩原の肩を叩いた。
瀬戸茜は一部のサークルメンバーから姉御と称されるほど豪快な人柄であり、その豪胆さは底が見えない。頼られるのは好きだが型にはまるのが嫌だと公言しており、また医学部四年で帰国子女というハイスペックな人間である。そしてサークルの会長は経済学部二年の萩原にしようと推輓した張本人である。
「茜ちゃんも初詣ですの?」
みれいが素朴な質問をすると、茜は持っていた甘酒を零さんばかりの勢いでみれいに抱きついて頬ずりした。首元まである髪が揺れて、イヤリングが見えた。
「やーん、アリスちゃんったら、ちゃんと茜ちゃんって呼んでねって言ったの覚えているのね。嬉しいわ」
「ええ、もちろんですわ。だっていつも白衣を着ていて印象的なんですもの」
「個性的、と言ってね。ところで、えっと、あんた。冴木だっけ?」
不意に名前を呼ばれて、不穏な空気を感じながら冴木は小さく頷いた。
茜は目線は冴木を捉えたまま、緩慢な動きで萩原の元に移動してこそこそと話し出した。
「ねぇ、萩原。やっぱり冴木ってアリスちゃんと付き合っているわけ?」
「いや、そんなことは聞いていないですよ」
「でも前のクリスマスパーティーの時も、二人揃って来なかったじゃない? なーんか怪しいのよねぇ」
内緒話のつもりなのかは知らないが、会話が丸聞こえのせいで冴木は居心地が悪くなった。それに人の多い場所は好みではないので、早くも先ほどとは打って変わって家が恋しくなった。
「それより茜さん。あの、俺当てましたよ、アレ」
「アレってなによ」
萩原と茜のひそひそ話はなおも続き、みれいは「冴木先輩の分も甘酒貰ってきますわ」と言って雑踏に消えていった。
萩原がスマートフォンを取り出して何かを操作すると、茜に見せた。
「ほら、ミステリーツアーですよ。あのディストピアのーー」
「あっ! え、本当?」
「本当ですって。それでその……これ二人一組のペア招待なんですけれど、良かったら俺と一緒にーー」
「それあたしも当たったのよ、うわぁー、ほんと奇遇ね」
「えっ?」
魂が抜けたような顔をしている萩原の横から、みれいが甘酒を二つ持ってやってきた。どうやら萩原の分までは手が足りなくて受け取れなかったらしい。
「あ、アリスちゃん。ちょっとこっちにいらっしゃい」
冴木がみれいから甘酒を受け取ると、みれいは首を傾げながら茜の方へ方向転換した。
「あたしね、ミステリーツアーの参加権ゲットしたのよ。良かったら一緒に行かない? 明日なんだけれどね」
「えっ、それって萩原会長が言っていたのと同じですの?」
「そうそう。二人一組で三つのペアが招待されるんだけれど、その二組が今ここにいるわけ」
「わぁ、楽しそうですわ。でも、私でいいんですの?」
「いいのいいの。あたしの知り合いが寒さのせいか風邪引いてね。譲ってもらったの。明日だなんて急だから誰を誘おうか悩んでいたところなのよ。ね、いいでしょう?」
茜の誘いにみれいは幸せそうに何度も頷き、甘酒の入った紙コップを両手で包みながらまだ見ぬミステリーツアーへと想いを馳せているようだった。
それを間近で見ていた萩原が、悄然たる面持ちで冴木の元に近寄ってきた。
冴木は無言で甘酒を萩原に譲る。
「サンキュー。それにしても、あるか? こんな偶然……」
「ミステリーツアーのこと?」
「そうだよ。いくらマイナーな雑誌だからって、全く……まぁいいか、俺たち四人で楽しもうぜ」
「俺たちって?」
萩原は甘酒をぐびりと飲んで、先ほど麻雀でツモったときと同じ表情を浮かべた。
「二人一組って聞いていただろ? 俺と賢で、二人一組だ」