迷走フラクタルIII
堂島が話し出した吸血鬼伝説も、瀬戸茜宇宙人説へと話が飛躍して昼食の場は一気に盛り上がった。
有栖川みれいは宇宙人説の嚆矢を放った張本人だったが、今は全く蚊帳の外で、左隣に座っている冴木にちょっかいをかけていた。
「冴木先輩、オレンジジュースがあって良かったですわね」
「こんな辺鄙な島に来なくても飲めるよ」
「もう、またそんな屁理屈言って……」
冴木がオレンジジュースを飲み干してテーブルに置くと、どこからともなく家政婦の水沼が現れて瞬く間にグラスはオレンジジュースで満たされた。
「あの、私もオレンジジュースをくださいます?」
「はい、かしこまりました」
みれいも冴木と同じオレンジジュースを飲んで、たちまちご機嫌になった。
「冴木先輩、嫌々ついてきているようですけれど、どうですの? 島の雰囲気は」
「島に良いも悪いもある? 島なんてそうそう来ないから、良し悪しは分からないな。けど、よく手入れはされていると思うよ」
「後で外にある灯台を見に行きません?」
「あそこへの道は整備していないって水沼さんが言っていたよ」
「でも、行こうと思えば行けるはずですわ」
「どこに来ても、相変わらず強情だね。それにしても、二泊三日ってことはずっとここにいるわけだろう?」
「たぶん、そうですわね」
みれいは冴木がピーマンを避けて食べているのに気付いた。
「缶詰状態だね。他の船なんかは寄らないのかな?」
「さぁ……ピーマンも食べるなら訊いてあげますわよ」
みれいが弱点を知り得たとほくそ笑んでいると、ポケットの中で携帯が振動した。
取り出してみると、メールを一件受信していた。
折江名莉丘
この辺りは潮の流れが激しくて釣果が良くないから、漁師なんかは寄らないです。定期便もないので、文字通り孤島ですよ。素敵なクローズド・サークルをご堪能あれ。
みれいはデコレーションされた派手なメールを読んで、思わず顔を上げて離れた席にいる折江名を視認する。彼女はみれいの視線に気付いたのか、ぺこりと頭を下げた。
(何だか気味が悪いですわね……)
みれいも軽く頭を下げてからメールの内容を冴木に説明した。
「クローズド・サークル?」
冴木がピーマンを嫌そうに食べながら訊いた。オレンジジュースが好きだったり、変な味の棒付きキャンディーが好きで常備している冴木は子供っぽさの残滓が見て取れて、みれいの好きな部分の一つだった。
「知りませんの? 推理小説なんかではよくありますわよ」
「僕はそういうの読まないから知らないよ。また人が沢山死ぬようなお話だろう?」
「そうですけれど……だって、家に隠したへそくりがなくなった謎とか、数量限定のシュークリームがなくなったなんていう謎よりも、誰が殺したかという殺人という謎のほうが、事が大きくて逼迫した雰囲気がでるものですわ」
「逆に現実味がない気もするけれど、フィクションだからそんなものなのかな。それで、クローズド・サークルって?」
「ミステリー用語みたいなもので、外界との往来が断たれた状況、あるいはそうした状況下で勃発する事件のことですわね」
「つまり今回は前者ってことだね。よくそんな言葉が思いつくね、推理作家というのは」
「ええ、でも現代ではスマートフォンが普及していますし、現状もクルーザーがあるわけですから本格的なクローズド・サークルというのはやっぱり創作である小説の醍醐味ですわ」
「君の好きな、いわゆる密室ものだね」
「よくご存知ですわね。どうですか、冴木先輩も興味が湧いてきたんではありませんの? 広義では吹雪の山荘や、嵐の孤島で起きる殺人もそうですわよ……どう思います?」
「どうもこうもないよ。そんな状況に首を突っ込みたくないと切に願うね」
冴木がピーマンを食べ終えてフォークを置いた。
「それにしても、クローズド・サークルをご堪能あれって、また何かクイズでもするつもりなのかな」
「あ、クイズといえばあのどこを向いているかって問題、解けたんですの?」
「あれは中々こじつけというか、意地悪な問題だったね」
冴木がそう言うと、再びみれいの携帯が音を出した。
折江名莉丘
レベル二の問題が、解けたんですか?
みれいは携帯の画面を冴木に見せた。
「ほら、催促されていますわよ。いい加減もったいぶらないで答えを教えて欲しいですわ、冴木先輩」
「いやはや……えっと、どんな問題文だったかな?」
みれいは携帯を素早く操作して受信履歴を遡った。
折江名莉丘
二◯一六年の一月になりましたね。ところで、二つのあさひから友を無くしたものが無い月はどこを向いていますか?
「ああ、平仮名のあさひというのがヒントで、これは漢字にすると朝の太陽ではなくて旭。漢字の九に日常の日をつけた漢字にするんだよ」
「あっ、九日ってことですの?」
「そう。二つの旭だから十八日って言いたいんだろうね。ここがこじつけだと僕は思った」
「それで、友を無くすというのはどういうことですの?」
「僕のヒントを覚えている?」
「ええと、堂島さんも言っていたんですけれどカレンダーですわよね?」
みれいは携帯を待ち受け画面に戻した。
「堂島さんも言っていたんだね。十八日を確認すれば、さすがに分かると思うよ」
みれいは携帯のカレンダー機能を活用して十八日に合わせた。
二◯一六年、一月十八日。友引。
「友引……友を無くすのは、タヌキのと同じってことですの?」
「そうすると、”引”という字が残るね。これも旭みたいに分けるんだよ」
「ええと……三十一ですの?」
「そう、つまり三十一がない月。三十一日が無い月の覚え方で”西向く侍”という言葉があるよね」
「あっ、だから答えは”西”になるんですわね!」
すぐさまみれいの携帯が着信音を鳴らしてメールが届いた。あまりの機敏さにおっかなびっくり操作すると、折江名から、正解です、と短く文が添えられているメールだった。今回はクイズを解かれた屈辱なのか、絵文字や顔文字は付与されていなかった。
「わぁ、よくそんなにすぐ分かりましたわね。やっぱりひねくれてる問題はひねくれてる人にしかわからないんですわ……」
「有栖川君、それ馬鹿にしているよね……全く、それよりもこんな問題がずっと続くのかもしれないと思うと憂鬱だよ」
「大丈夫ですわ。きっと何か、そうですわね。こう、密室殺人なんかが起きたりして……」
「本当に好きだね、有栖川君。でも、そんなことは冗談でも言わないほうがいい」
みれいはオレンジジュースを一口飲んで喉を潤わせた。
「それは企画側がぬいぐるみなんかで代用するんですわ。一人、また一人とテディベアがいなくなっていくんですの」
「それ、最後の二人になった時にいやでも犯人が分かってしまうだろう」
「いいえ、最後にはみんな居なくなってしまうんです」
「そういう小説があるの?」
珍しく冴木が食いついてみれいは自分が考案したわけでもないのに鼻が高くなった。
「ええ、もちろん。ええーっと……何だったかしら」
みれいが二の句を継げずにいると、不意に横っ腹を摘まれた。
「なによ、二人で推理小説の話?」
茜がにやにやしながら話に入ってきた。どうやら宇宙人説は払拭されたらしい。
「ええ、あの、孤島で皆死んでしまうというか、居なくなってしまう小説ってどんなタイトルでしたっけ?」
「うん? それってアガサ・クリスティーの?」
「あっ、そうそう。それですわ」
「また古いのを出してきたわねぇ。正確にはちょっと違うけれど、あれは一九三九年に発表された長編作品で”そして誰もいなくなった”よ」