その日私は。
――収穫祭前夜――
華やかな街の寂れた一角。周りの閑散とした雰囲気を打ち払う様に煌々と輝く一つの店があった。
人ならざるモノ達が集まる店が…。
「兄ちゃ……、……り!」
「おぅ……な!元気……」
「……でまだ捕ま……らし……」
「ほん……?」
「えぇ………でも………逃げる………でき……かしら」
「月が……そろそろ……な」
「楽し…………獣に…………れる……」
店のいたるところから聞こえてくる会話に耳を傾けながら、シェリーはゆるりと尻尾を振る。
「シェリー、久しぶり」
「そうですわね…。この街に来るのも何年ぶりでしょうか」
「もう9年経つな。…君が妖になって10年か」
「私もあの頃は子供でしたわ」
「そうだな」
シェリーは猫又、黒い毛並みと金の瞳の猫又だ。彼女の目の前の妖は、昴という。狐で九つの尾をもつ妖だ。
「まあ、明日はハロウィンだ。…シェリーは人化出来るのか?」
「勿論ですわ」
「流石だな、シェリー。明日俺と一緒に……」
「ごめんなさい、一人で歩きたいの」
誘う昴に、シェリーは断りを入れた。
「昴様…?」
急に黙り込んでしまった昴に、シェリーは困惑する。
「っごめん。また今度」
いきなり声をあげて歩き出した昴の背中を、シェリーは唯見つめることしかできなかった。
「傷つけてしまったかしら…」
一人残されたシェリーは、そう呟いた。
時は満ちた。
辺りに力が満ちてゆく……。
「そろそろですわね…」
何処からか、真夜中を告げる鐘が聞こえる。
「……変化」
口に出した瞬間、身体が変化する。真っ黒な髪に、金色の瞳。身体を覆うのは黒を基調とした丈の短いフリル付きのワンピース。足元には黒のブーツを履いて、頭の上に立つのは真っ黒の猫耳。
――そこには、美少女が立っていた。
収穫祭前夜。妖達は、人の姿に変化した。
夜が明ける。仄暗い世界は明るみを増し、空は赤に染まっていく。
今日はハロウィン。
シェリー達妖の心は浮き足立っていた。
「マスター、出かけてきますわ」
「うん。いってらっしゃい、シェリー」
マスターに声をかけ、店を出る。早朝の澄み切った空気がシェリーは好きだった。
「ああ、気持ちいい…」
青空の下、大きく伸びをする。
近くでくくっ、っと、誰かが笑った。恥ずかしさで顔が赤くなってしまう。
「君、だあれ?見ない顔だけど」
「わ、私はシェリーですわ」
声をかけてきたのは、雨宮 詩絵留だった。猫の私を構ってくる、黒髪の優しい男の子。
「シェリーちゃん?…よろしくね。僕は詩絵留。雨宮詩絵留だよ。君は、仮装をしているの?」
「はい。今日はハロウィンですから」
「そっか!ね、一緒にいてくれない?僕も今日仮装しようと思ってたんだけど、一緒にそーゆーことしてくれる人がいなくって…」
「わかりましたわ。あ、あの!もし、よかったら…遊園地に連れて行って頂けませんか?」
「ゆ、遊園地?」
「はい」
私は、遊園地という場所に行ったことがない。だけど、他の妖の話を聞いて楽しそうなところだと思って、ずっと行きたかったのだ。
「うん、いいよ。…少し着替えてくるから、待っていてね」
「はい」
でもどうしたんだろう。詩絵留君、少し顔が赤かったような…。
「お、おまたせ!」
家から出てきた彼は、海賊の仮装をしていた。
「どうかな…」
「似合っていますわ」
「ありがとう!い、行こっか」
「はい」
手を引かれて、歩き出す。会話が弾んで、楽しかった。
「シェリーはお金、持ってる?」
「はい」
「そっか。どれくらい?」
「500円程でしょうか」
「そう。少し、待っていて」
「は、はい」
急に歩き出した詩絵留君。待っていてって言われたら、待つことしかできないけど…。
と、両手を振って彼が帰ってくる。
「シェリー。ほら、これ」
「…?」
「入場券だよ」
「ありがとうございます…?」
入場券、というのが何かわからなかったけれど、きっと遊園地で必要なのだろう。
「僕達の順番みたいだね。さっき渡したやつ、あの人に見せて」
「はい」
門をくぐると、たくさんの不思議な建物があった。
「シェリー、何に乗りたい?」
「ええっと…あ、あれがいいです」
指差したのは、ジェットコースターだった。高いところからほとんど垂直落下の速さで落ちるもの。
「うん。じゃあ、行ってみようか」
「はい!」
「ああ、楽しかったぁー」
「そうだね」
いつしか時は過ぎ、夕刻になった。
「シェリー、最後はあれに乗ってみない?」
「あれ…ですか?」
「うん。きっと、夕日が綺麗だから」
詩絵留君が言ったのは、ゆっくりと動く乗り物だった。観覧車、というらしい。
乗り込んで、外を見る。詩絵留君が言った通り、夕日が輝いて綺麗だった。だんだんと薄闇に紛れていく世界は、1日が終わることをそっと告げていた。
「詩絵留さん…」
「何?」
「今日のこと、忘れないでいてくれると嬉しいです」
たとえもう会えなくても。2人の思い出があるなら私はしあわせ。
「もちろん、忘れない。君もだよ?」
「はい。この日を決して、忘れません」
帰り道。ずっと、話していた。他愛もないこと。だけど、そんな会話の一つ一つが大切で、愛おしかった。
「詩絵留さん。私はもう帰らないといけません」
「また、会える…かな」
「運が良ければ。ですがもう…」
「会えないん…だね……」
哀しげに目を伏せる詩絵留君。寂しいけれど、収穫祭はもう終わってしまう。私たち妖が人間の世界に居られるのは、収穫祭の1日だけだから。
「さよ、なら…」
「また、会おう。ずっと待っているから!」
「…っ、はい!」
名残惜しげに、何度も振り返っては前を向き、歩き出しては後ろを見て。ゆっくりゆっくり、ふたつの影は離れていった。
収穫祭の夜。
真夜中を告げる鐘が鳴る。
妖達の変化は解かれ、年に一度の非日常はひっそりと幕を閉じた。
「詩絵留さん……。また、会えますかね…」
1人の少女を恋に落として…。