プロローグ 傷だらけの青年
プロローグ 傷だらけの青年
私は線路に吸い込まれていた。ボーっと線路を凝視し、私の意識の全てがその何の変哲もない線路に集中していた。その線路に引力があるかのように、私の精神と肉体を引き寄せていた。
「傷だらけじゃの。」
すぐそばで老人の声が聞こえ、視界を漆黒の杖が遮る。
私は我に返り、突然横に現れた老人を見た。半ズボンにアロハシャツというラフな服装で、背筋はすっきり伸びていて若々しく、容姿は老人には見えない。しかし、たっぷりとある白い髭と顔に刻まれたしわ、私を深く見据える瞳には、幾度の試練を乗り越えた老人の威厳が感じられた。
傷だらけ・・・。私の肉体を見て投げかけられた言葉ではない。どこを見ても傷口ひとつ無いのだから。老人はそっと私の胸に手を置いた。私は抗うこともせずに、その手を受け入れた。老人の手は温かかった。何か大きくて、優しいものに包み込まれるような感覚だった。
「今まで良く耐えた。もう大丈夫じゃ。」
無責任で根拠のない「大丈夫」という言葉とは違うと感じた。老人の「大丈夫」という言葉は青年の心に深く浸透し、青年の瞳から一筋の涙が流れた。
夕日が眩しい、ある8月の出来事であった。