ルージュの伝言
誤字脱字がありましたら申し訳ございません。
いつもの平日。
いつもの夕食。
夫と2人で、今日はカレー。
そして、いつも通りの日常として終わるはずだった一日。
「あ、そういえば上原の送別会金曜にやるんだけど、ミサキはその日妹さんとこ行くんだよね?」
ふと思い出したように、夫が訊ねた。
誰かに。
ミサキ?
私の名前は美沙子なんだけど、似てるからって十数年付き合いのある、ましてや妻の名前を間違えることってあるの?
浮気してるってこと?
つまり浮気相手の女はミサキっていう名前ってこと?
間違えるって、バカなのこの人?
いくら待っても、じっと夫の顔を見たまま返事をしない私に対し、怪訝な顔をして
「なに? なんかした?」
だって。ムカつく。
「私ミサキじゃないから知らない」
途端に夫の顔がさーっと、本当にさーっと青くなった。笑えるぐらいの変化だったけど、生憎今の状況はそんな楽しいものじゃないし、夫が嘘をつけない性格だということが、すごくよく分かった。
いくら経っただろう。
カレーのささやかな湯気が消えてしまうくらいの時間、どちらのスプーンも動くことはなく、私は夫を、夫はカレー皿とサラダボウルの間辺りを見ている。
「ごめん」
「ふーん」
謝るんだ。
「でも、なんでもないから」
なんでもないって無理でしょうが。あの、さーっとした顔に、この謝罪が出てくるまでの時間。冗談にもただの言い間違いにも出来ないだけの時間が経ってる。
「本当に、なにもないんだ」
「肉体関係がってこと?」
未だに目も合わせない夫に憤りしか湧いてこない。
「違う、本当になにもないよ。携帯調べても良いし、探偵雇うのは金の無駄で終わるだろうし、職場のやつに訊いても良いよ」
「なに? 会社の子なのミサキって?」
「あ、いや」
「違うの?」
「や……」
「なに? ぼそぼそ喋んないで聞こえない」
「………」
長い時間をかけて夫から聞き出した情報によると、ミサキは同じ職場の若い子。
関わりはほとんどない。
苗字でしか呼んだことはないが、頭の中では名前を呼び捨てしていて、今日つい出てしまった。
そして、気になる存在であると。
この状況は、あの有名な曲のように口紅で風呂場にメッセージでも書いて、家出した方が良いの?
乙女(気持ち悪い)のように想いを胸の内に秘めているだけの夫の浮気。しかも勝算もなく、付き合いたいわけでも、私と別れたいわけでもない。ただ想うだけで満足らしい。
「バカじゃないの」
「うん」
「うんじゃないでしょ、バカ」
「ごめんなさい」
中途半端な浮気のされ方をして、自分の身の振り方も定まらない。
取りあえず、高い口紅を買わせてやろう。
唇に乗せることなく、旦那のワイシャツに踊る赤い色を思い浮かべて、少し気分が浮上した。
後のことは、口紅がなくなってから考えよう。今はその前に、この可哀想なカレーを私は私の代わりに救うことにした。