用務員さんと不穏な空気
うすい淀みが、美しい空気の中に微かにじわりじわりと紛れ込む。
人々はその、あきらかにこれから害を及ぼすであろう今はまだ薄い澱みに、静かにのまれていた。
人々は全く気づく様子もなく、ただ、やんわりと感じる普段との違いに揺れる感情の違和感に戸惑うくらいだった。
「まずいな」
役所での戦いの後から、教会の教師達は常に目を光らせていた。
教会で働く用務員さんが、外での感知を行い、定期的に報告していた。
その身に浸透してくる微かな悪の微粒子の量を、感知するのだ。
戦闘後しばらくして、"それ"を感知しはじめた時から、それはだんだんと数を増やし、空気に混ざる濃度は、日々濃くなっていっていた。
用務員さんの身体は、その悪の空気を吸収した度合いで、肌の色が変化する。
悪毒を吸い込み、どす黒く肌が変わると、用務員さんはススの中から出て来たような感じになる。
それを落とすのは、皆と同じように、1日の疲れを癒すやり方。
特別な呪文により祈りが込められた風呂に、きちんと生成された海の塩を入れ、そこに浸かると、悪いものが身体の中から逃げ出すように出て来る。
だが体外へ出てくる時は、もう死にカス状態になるのだ。
だから用務員さんがあがった風呂は、どす黒い汚泥のようになる。
そこに安倍野宮先生が呪文を唱えながら、握り拳ほどの量の白い粉と赤い豆を、を勢いよく左から右に広域にまいた。
身体から出た澱んだ部分が、湯の中にたっぷり溜まっている。
しばらくすると、それが固まった。
麻宮先生と絹宮先生が、ものすごく大きな包丁を手に持ちすっと現れた。
大きな刃物と、白い作務衣のような簡素な格好で、2人は一気にその湯に飛び込んだ。
その飛び上がる、その殺伐とした姿は恐怖であった。
だがその恐怖は、一気に湯の中に入ると喪失した。
2人は職人へと変わったからだ。
見た感じは水面に浮かぶ豆腐のようだが、かたまり具合は羊羹に近いので、それらをカットしていく2人は正に職人だった。
先程の用務員が着替えを終えて、その切り上がったものを運ぶために荷車を持って戻って来た。
綺麗にカットされた、"それ"は教会の奥へと運んでいかなければならないからだ。
荷車にのせられるだけのせ、移動した。
荷物用のエレベーターに乗りこみ、地下へと下がった。
扉が開くと、地下の廊下を奥に、更に奥に向かって進んだ。
すると、なんだが独特な匂いがして来る。
その匂いの先には、薬局と書かれた扉があった。
その扉に向かって用務員さんは「博士」と声をかけた。
その声に反応するように扉は開いた。
荷車をひいて中に入る。
するとそこには、昔、瓶底メガネという愛称で親しまれた、今では珍しいメガネをつけた小柄な老人が作業していた。その老人は、用務員を片目で確認するなり、
「そこ置いとけ」と小言のようにいいながら、用務員に向けて右手の人差し指を小刻みに上下し合図した。
用務員は、その老人に頭が上がらないのか、老人をみる顔つきが違う。恐れるような表情をみせた。
そして背中を丸め、頭を下げると、荷台に積まれたその物を、指定された大きな銀のトレーの上にのせて、再び急ぐように風呂場に戻った。
風呂場に戻ると、作業着は終わっていた。
刃物を持った2人の姿はもうなかった。
居るのは、安倍野宮先生のみが、その場に立っていた。
用務員さんは、最後の塊を荷車に乗せ、もう一度同じ道を進み、博士の元へ向かった。
「先生、これで最後にやりやす」
「…」「…」「…」「何も聞こえとらんが」
用務員さんは、その長めの間に、ハッと間違いに気づき焦るように言い直した。
「はっ博士、これで終わりでごぜぇます」
「うむ!出来上がるのは明後日と、安倍野宮につたえてくれ」
用務員さんは、両手を腹の前でもごもご動かしながら、きまりが悪そうに、
「わっ、わかりやした」
と、深く頭を下げ、そこから急足で逃げるように地上に向かった。
そして言われた通り、安倍野宮先生に伝えると、
用務員さんは外に出て深く息を吐いた。
とりあえず仕事はこれでひと段落した。
だからといって、全ての澱みがなくなったわけではない。これは継続中の一コマだ。
この濁りに精神を病んだ者達に、容赦なく悪魔は取り憑く。
病んだ人間は格好の"入れ物"である。
彼らはその瞬間を逃さない。
病んで衰えたものは自らを肯定しないため、侵食しやすく、その姿はみるみるうちに無惨なものとなっていく。
まるで、悪魔の下僕のように。
心の闇に喰らいつく。
そうやって悪魔は広がっていく。
「臨、兵、闘、者….」闇夜に魔物に向け九字をきるタケル。
「弱まった!タケル!仰げ!封じ込めるぞ」
魔物に巻きつけた鎖を抑えているヤマト。
「いや、このまま滅する。ヤマトそのまま鎖に呪を唱えろ」
さらにタケルは印を結び、そこから溢れ出す霊波をたたきつけた。
すると魔物は一瞬にしてチリとなり、紙屑のように空に登っていくこともできずに、その場で消滅した。
「悪い、ヤマト。」
「いや、結果良し!でも、最近こんなんばっかだな。」
「あぁ。人をも食い尽くす悪魔達ばかり。人に戻す事もできないなんて」
「やりきれないな。あの2人の昼間の時間も、きっとそうなんだろうよ」
「はぁ、また一緒に戦いてぇにゃぁ。愛しの花蓮ちゃん」
その様子に呆れ顔のヤマトは、明るくなりつつある空を確認すると
「もう夜が明ける。帰るぞ」
そう言うと1人、足早に飛んで行った。
出足を挫かれたタケルは、急いで追いかけた。
そうして、2人の仕事は終わった。
日が昇る前。
教会の中では、阿賀都神父が1人、祈りつづけていた。
そして、加茂野宮先生と安倍野宮先生が、庭の左端にある畑の中で結界をはり、火を焚き、祈祷をしている。
教会の奥深くでは、煌の御簾前には絹宮先生が。
美織の御簾前には麻宮先生が、彼らを守るように白装束で祈りながら座っていた。
いつもとは違う習慣が、あの戦いの数日後からつづいている。
先生達には一体何が見えているのだろうか?
明らかに通常とは違う何かが起こりはじめている。
生徒達はまた何も知らない。
そしてまた、悪を滅する戦いが幕を開ける。




