要するに、今日も貴女が好きなんだ私は。
自分が辛く苦しいとき、誰かほかの人と語り合い分かち合えたら楽になれる場合もある。でも、その人と自分が似てるとは思わない方がいい。
と、先日お友達と話してたらヒントをもらって書き始めた記事。
似てると言われる側には違和感が凄いし、それを堪える分のストレスも増える…それに言われて近づかれても結局やっぱり違う!ってなったら離れるときに切れられるのもコッチじゃん!っていう。
自分からは自分と相手の状況が見えてるし、彼我の違いも一目瞭然。
似てるけどそれは現状お互い苦しい立場だからであって、その原因や経緯は一人ひとり違うわけで。
でも、誰か自分と似てる人を探してる人は、自分の見たいものしか見ないし聞きたい答えしか受け取らないんだよね。
自分と似た人が居て一緒に悩んで苦しんで…寄り添ってくれると、救われる気がするのも確かなんだけどね。足をねん挫したときに肩を貸してもらってるようなものだから。
ただ自分の方が、それすら通り越すぐらい落ちて凹んでると…もう他人にも興味なくなるし、不信感とか疑心暗鬼で自家中毒に陥ってるから寄って来られても相手する余裕なかったり寄って来てくれることに対しても勘ぐったりしてしまうので、結局は一人で沈んでるほうがマシって思う。
私わりとヒトは好きだし話もしたい、私を選んで話をしてくれる人のことは特に好きになりやすいんだけれども、そもそも私が今もうすでに好きな人だから私もその人に選ばれたいし話してほしいし…何よりあなたを好きでいたいと思うわけで。
そこへ割り込まれたり、遠巻きに横恋慕されたりしても、特にオトコから女性にそれやるのは気色悪がられても仕方ないんだよな。ずっとそうだった(気色悪がられてきた)私が言うんだからきっとそう。
でも、似たような人は居ても同じじゃないし、似ている部分があるということは違う部分で出来上がってる土台があるわけで。
そこを擦り合わせたり、見比べたりしてお互いを尊重出来ないと話す意味も効果も有難みさえもわからなくなってしまう。
比較や嫉妬、被害妄想でさえも無駄ではなくて、そうやって方法は何であれ彼我の溝を埋めたり思い知ったり飛び越したりするのが、まあニンゲンカンケイというやつなのだろう。
そして私は私の好きな人のことを、いつも自分と似ていて嬉しかったり全然違ってて面白かったりするわけだが、一方で自分の手の届かないジャンル、興味のない分野にその人が突っ走ってくのを後ろで見送ってる寂しさもあって。
クレイジーケンバンドのRAINBOW DRIVEって曲のサビの歌詞(書くと規約違反なので各自で調べろ)がストンと腑に落ちて、それでお互い全然違う好みを持ってるところと、案外似ている部分とが両方愛おしくなった。
要するに、今日も貴女が好きなんだ私は。




