自分で自分を上書きしたい
私は佐野和哉というド本名で書籍デビューもさせてもらったし、今でも普通にこの名前でインターネットに存在している。自分で自分に名前を付けて、自分で自分の形を作って各々が漂う中に居ると普通の名前の方が目立つというのもある。
キッドさんと読んでくれる人も居て、これはラジオネーム兼用のダイナマイト・キッドから来ている。他人の、それも世界的なプロレスラーのリングネームを勝手に拝借しているだけなのだが20年くらい使っているので愛着もある。
いちばんイヤなのが戸籍上の本名だ。
佐野和哉は、和哉の哉の字だけ変えている。
吉井和哉さんに肖って。
なので本名に変わりはない(発語すれば同じ)なのだが字だけが違う。こっちで呼ばれたり記名されたりするものにロクなものがない。
名付けた奴も嫌いなら、その名で生きてきた自分のことも大嫌いだ。
なので、そっちで呼ばれるたびにじりじり静かに腹の底で嫌な気分になっている。
裁判所に行けば名前が変えられるらしいから、やってみようと思っているうちに40歳になってしまった。良い機会だし変えようかな?
自分で自分の名前を変えて、自分で自分のルーツを作りたかった。
私が今とても気になっている人と、私がずっと大好きな人は、ふたりとも共通点がある。ルーツだ。
だから何というわけじゃない、生き方なんて最初は自分で決められず、それによって後から変えたり守ったりしていかなきゃならない。そして多くの場合それには苦悩や痛みが伴う。他者から痛めつけられ、自分で自分を傷めることすらある。
そうやって、それでも今日また生きていてくれて、私に出会ってくれた人のことを思うと、私も何か語り掛けたくなるし、力にもなりたいし、甘えてしまいたいとも思う。
全てを知りたい、でも、それでその人の何が分かる?
その人が自分で形作って来た姿や、素肌や汗や毛並みや粘膜の色形匂い、そして明かした分だけの過去を伺い知ることは出来るだろう。でも、それでその人の何が分かるんだろうか。
私は私のルーツを自分で決めたかった。
人工透析でも輸血でもいいから血の半分を入れ替えたいが、母方のものまで失うことは望んでいない。
祖父母や伯父には可愛がってもらった。そのことについても感謝しかない。
なので創作において、私が私の来歴とするものにおいて、その存在を完全にオミットしたり都合の良い悪玉として破滅させることぐらいがせいぜいで。悔しい。
今日も多分グズグズ言いながらのうのうと生きているだろうから。
メキシコは私に一生ものの経験をさせてくれたし、仲間や先輩と出会えた。
だけど第二のルーツとなりえるまでの体験は出来なかった。私がそのチャンスを振り切ってしまったからだ。
その後悔もまた一生もので、今日まだ少しも色あせていない。
心身に傷のある人がどうにも気になってしまうし、なんとなれば好きですらあるのは、自分で自分の傷を愛して癒して認めてくることが全然できなかったことの裏返しでもある。
自分で自分が許せない、嫌いでいる。そのために、他人が自称する欠点や劣等感をくみ取って愛でることで自分が満足したいのかもしれない。
好きな人に好きな人が居るのは寂しいし嫉妬もするが、しかしじゃあ自分の好きな人が今日この時も孤独の中でのたうち回っていて欲しいのかといえば、そんなことは全然ない。
自分のことしか考えてないんだな和哉くんは。
と、戸籍上の本名くんから今日も冷めた言葉を投げかけられて、和哉くんがイラついている。




