対人依存症11.和哉くんはご機嫌ナナメ
ご機嫌にナメナメするのは好きだけどご機嫌ナナメは頂けない。
食べたい舐めたい危険地帯!でお馴染みの…元気じゃねえか。
元気は、全くない。
日がな一日ムスーっとしている。何をしてても気に食わない。
何も面白くない。こういう時に限って嫌なものばかりが目に入る。猫が嫌いな人ほど野良猫や猫のモチーフを目ざとく見つけてしまうようなことばかりじゃない。
SNSなんぞ見ていると、まるでこちらの気分を見透かすように、そして逆なでして、苛立ちや不安を煽って端末にかじりつかせるように嫌なものばかり流してくる。
AIに小説を書かせてみました!
なんて、よく言えたもんだ。百歩譲って「今まで書けていた人が何らかの理由で不自由をこうむった場合」や「これから書いてみたいけど一体どうすれば良いかわからない人」が手助けに使うならわかる。
あれを五体満足で、アタマんなかの構想や設定をまとめる力がないだけのノータリンが、わざわざ使って「書けました!」じゃねえっての。それは書いたんじゃない。単に「出させた」んだ。
お前の手柄でもなんでもない。
レギュレーションを分けてくれ。いや、こっちに近寄らないでくれ。同じような顔をして過ごさないでくれ。
そんなものが自分のタイムラインに回ってきて、そしてそんなものを拾い上げて、何を見て何が楽しいんだか。アカの他人どもが何を考えてるかなんてわからんが、これほど癪に障るものはない。
拳も使えず、何もかもあきらめて生きてきた私には、これからの望みが音を立てて、誰かの喜ぶ声といっしょに飲まれて暗闇に消えて、ただ浪費されていくのを見ているしか出来ないんだ。
腹が立つというか、苦労して書いた小説が面白くない私が悪いので、情けないというか。労せずして仕上げたAI小説も、艱難辛苦の末に書き上げた人力小説も土俵が同じなら評価も同じ。面白いか、否か。それだけだ。
それだけに、忸怩たる思いだ。
これを閲覧してリポストまでした人は、きっと私の小説なんか1行も、2秒も読んだことがないはずだ。贈ったものの良くて本棚やどこぞに置きっぱなし、悪ければとうに忘れられて未開封のまま夢の島だ。
もっと悪ければ来たそばから顔をしかめながらそむけてゴミ箱にシュートだったかもしれない。
そうじゃなきゃAI小説なんか面白がるわけなかろう。
まあ自分を思い上がるのもこんなもんにするか。
きっともっと事実は簡単で、ふと回ってきて、ふーん、とボタンを押すまでのこと。私の小説どころか存在も認識の外だったはずだ。
他人の行動は常に自分だけを念頭に置いてない。そう思わなければ、誰に対しても妙な期待をしてしまうものだ。
事程左様に、何しろ何をしてても面白くないし、普段なら面白がれることや余裕をもって構えて居られることにも神経を逆なでされて浪費している。替えのニューロンが幾らあっても足りっこない。
それでも普通に仕事して、お客さんの前でニコニコしたり会社でヘラヘラしている自分がいちばん嫌いだ。
昔から短気なくせに小心者で、弱い犬ほどキャンキャンキャキャンというやつだった。
口より先に手が出るタイプで、何しろキーっとなると抑えが利かなかった。ので、よくケンカもしたし友達も失くした。
それじゃいけないというので少林寺拳法を始めたのだ。ホントは空手が良かったのだが、母ミワコの「お前なんかがカラテ習ったってロクなことにならない」という英断があったおかげだ。知人に少林寺の有段者が居て、その人を頼った。
おかげで多少マシになったものの、今でも気が短いのは変わらないし、子供の頃から損ばかりしている(坊っちゃん?)。
で、機嫌が悪いとモノに当たる悪癖もあった。トラックのドアパネルがバカっと落ちるぐらい強くドアを閉めたり、台車や扇風機を蹴り飛ばして壊したり、人の見えないところでは今でも結構やっている…もちろん都度それを反省するのだが、こう、昔みたく怒鳴ったり暴れたりするのを抑えているのに精いっぱいなときもあるのだ。
コノヤロー!
っと目の前で怒鳴ってやれたら、どんなに楽か。どんなに気分いいか。
でも、その後どんなに気まずくて、どんなに申し訳なくて、どんなに迷惑をかけるか…とか思うと、何も出来なくなる。この場合それでいいのだが、頭でわかっていても煮えくり返ったハラワタは中々ふーふーしても冷めてくれない。
そうこうしているうちに一日が終わって、イライラするのにも疲れて家に帰るとグッタリしてしまう。何も出来ずに夜が過ぎてゆく。
朝に負けんなよ、何も答えが出てないじゃないか。
そんなフレーズもあったかな。
また暗いうちから律儀に目が覚める。
のそのそ身支度をする。
機嫌が直る間もないくらい、自分で自分に振り回されて、そして自分で自分を引きずりながら重たい足取りで今日も生きてる。
明けない夜も、やまない雨も無くていい。
どっちでもいいから仰向けで眠りたい。




