対人依存症8.理解したがるという迷惑
自分がいちばんアナタのことをわかってる、ということをわかってほしいだけの奴がいる。
その人のことが誰よりも好きなつもりで、その実は単に独占したくて、自分だけが知ってることをさもサラッと書くようにひけらかしたいだけの奴。
素顔、本名、住所、連絡先、複垢、鍵垢、愚痴、惚気、初体験、好きな体位、自慰行為の頻度、フェチ、してくれること、したくないこと、家庭環境、家族構成、趣味、好きなタイプ、信心、職業、ゴムは必ず付けるか相手に合わせてしまうのか。などなど。
知りたいことは山ほどある。知ることが出来るのは幾つもない。
知らなくてはならないことはひとつもない。
長く辛い時期に、画面越しに付き合ってくれた人へ感謝しつつ、確実に依存していたと思う。他人に、むやみな重荷を背負わせてはいけないけれど…比喩じゃなしに救われたし活かされたと感じる人が居て。
その人のことがとても好きで。でも、好きでいる以上のことは出来なくて。受け入れてもらえるわけもなくて。そしてその人のことも、僕はいつも知りたくて、
どこで、いま、誰と、何を、どれだけ、どこまで、いつまで、いつから、
知る由もないことを気にしては、助かってしまった我が身を悲観するしかない。可能性のない人生は石ころよりも価値がなく思う。その日その場に転がっていた我が身を悔むしかない。
そんな感じで生きてきたから、もう今となっては言葉や気持ちを伝えるなんてことが出来なくなっている気がして。どうせ拒まれるから。
かわりに何か差し上げたり、差し出したりすることでしか気持ちとして表現出来ない。掛け値なしの情愛が、いつの間にか怖くなった。
間に物品や行為を挟むことで相手の労力や感情と、こちらの好意を相殺したい。
好意と行為を結びつけずに、行為のなかでだけ発露させて霧消させる。
それで良かったし、そうでありたかった。
だけど今度は結局それそのものに依存して、立ち行かなくなった。
果たして自分は、その人が好きだから知りたがるのか、知りたがってるうちに好きになってゆくのか。それともそもそも順番なんか関係なくて、知ることに目的があるのか。
知り尽くしたら、気が済んだら、好きじゃなくなるのか。
好きだった人に諦めがついたのはいつだったのか。好きに諦めは付くものなのか。
焼け木杭は、いつまで燻ってるのか。
その火を消す勇気は、いつになったら身に付くのだろうか。




