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静かな寝息を立てて上下する褐色の肌を見ながら闇タバコを放り投げた。
赤い火がくるくると回って遠ざかる。落ちていくそれは追いつけないテールランプみたいだった。
テーブルに転がった鍵を拾う。塗装が剥がれ、錆が浮きそうな小さい鍵。
「どこ行くの」
後ろから女が眠そうな声で訊く。
「タバコを買ってくる」
おれはブーツのジッパーを上げながら答えた。
「タバコの後は?」
「薄いコーヒーだ」
「それが済んだら?」
どうする気なのか、おれ自身も分からない。だから答えずに部屋を出た。
屋上に停めたフロートバイクはさっそくシートが裂かれていた。
そのシートに跨りキーを差し込む。メーターが針を振り、各種ランプが点灯する。デバイスの起動音が小さく鳴る。
キックスタートが決まると、不安定なアイドリングでフロートバイクが浮き上がる。
「怒ってるみたいだよな、おまえ」
フロートバイクが返事の代わりにジジイの亡霊みたいな煙を吐き出す。
おれはその煙に笑い、マスクとゴーグルをしてアクセルを捻った。
古びた電源ケーブルに繋がれたジェイムスン型の祖父が「おい、今月分だ」と言って(言うのか?少なくとも喉は使っていない)おれの端末に今月分の家賃と電気料金を振り込んできた。
肉体を捨てた祖父は泣けなしの年金を運用して、おれの部屋の仏壇ほどのスペースに居座る代わりに家賃と電気代を支払っている。
おれは端末を見ながら振り込みを確認した。
「足りるか?」
ジェイムスン型祖父のスピーカーから出た音。または波形。
実際の祖父がどんな声をしていたかもう覚えていない。たがクソ野郎だった記憶だけはある。
その声を再現したらしい音響機器は古くなり、音が割れたりガサついたりしている。そろそろそっちも交換時だろう。
「あぁ、足りてるよ」
「アレは探してくれているのか?」
アレとはバッテリーの事だ。祖父の背面にあるやや膨らんだバッテリーはもうかなりの型落ちで、中古市場にも球数が少ない。
「なんとか見つけてくれ、アレが無いとおれは外に出られん」
そうだね、と相槌を打ってブーツのジッパーを上げた。
不法投棄と縦列駐車でほとんど機能していない通りを渡り、屋台のババァから闇タバコと配給カスの薄いコーヒーを買った。
「相変わらず薄いな」
ひと口すすったそれは紅茶よりはマシな色だ。
ババァがネルをひっくり返して笑う。
「なに言ってんだい、まだファーストドリップだよ」
「ガラで淹れてからお湯で割ってんの知ってんだよ」
ババァはゲラゲラ笑いながら釣りを多めに寄越す。「とっときな」と言っておれは余剰分を返す。
形式美だ。そうでもしないとおれたちは生きている事を信じられない。
薄いコーヒーと煙草で脳みそに朝を叩き込んだら、ようやく今日が始まる。
不法移民と無戸籍アンカーキッズたちの段ボール九龍城をかすめて走る国籍の曖昧なトラックに轢かれないように、身体を斜にして歩く。
先週ここで轢かれた死体は何度も轢かれて紙のように薄くなっていた。そうはなりたくないが可能性だけなら誰にでもある。
安全ブーツの爪先が何度かタイヤに触れる。
そう言うことだ。
ここらもそろそろ野焼きが入るだろう。少し広くなって、だがまた半年もすれば元通りだ。
まるで新陳代謝だ。




