ヒロインと嵐の予感
場所は変わって、現世。突然の事故から数日のこちらでは、芹沢あかねの葬儀が極めて小規模な会場で行わていれた。が、参列する友人や教師が後をたたず、会場では別室から椅子を借りての対応が行われていたのだった。
「あかね! あかね……! こんなのって無いよ!」
「芹沢さん、どうして……!」
部活のメンバーと顧問が泣き崩れる。主将の手には、妹に靴を取られた事を知った部員有志がこっそりお金を出し合って買った真新しい靴。明日渡そう、喜んでくれるかな。いつも誰よりも早く来ているあかねをこれを持って待機してびっくりさせるんだ。部員たちでそんなことを言っていたばかりだったのに。
「天国でも、あかねらしく走っていて」
「だいすき……!」
泣きながら、顧問に支えられながら。主将が靴を棺に入れようとする。と、それを止める手があった。
「何してるんですか? 死人にそんなの無駄でしょう、主将。私に形見としてくださいよ。使って差し上げます」
「芹沢、あやね……!!」
陸上部の主将は、ぎろりとあかねの妹、あやねを睨み上げる。同じ部の部長として。あやねにも仲間として接してきていた主将だったが、あんまりな言葉にまなじりが吊り上がった。
「大体、何なのよこれ。お姉ちゃん一人居なくなったくらいでくだらない」
あやねは、葬儀場の様子をみて見下したように吐き捨てる。それに激昂したのは、主将だけではなかった。
「あなたの言動、今回ばかりは目に余ります。あかねさんに謝罪なさい!」
「ひどいよ、ひどい……! そんな言い方!」
「こんなのがあかねの妹なんて信じたく無い!」
先生が、級友が、部活のメンバーが。皆口々に抗議する。それに不快そうにあやねが眉を寄せた瞬間、あかねとあやねの母親が声を上げた。
「あかねなんかのことであやねちゃんを悲しませるなんて。出ていきなさいよ、悪魔! 人間のクズ!」
「……!!」
異様な言葉に、この騒動に我関せずだった親族たちも流石に固まる。静寂を破ったのは、あかねとあやねの祖母だった。
「クズはお前だ、馬鹿娘!!」
「何ですってえ!?」
「ここはあかねちゃんのことを悼む場だ。乱してるのはお前とあやねだよ!! 出ていくのは場にそぐわない馬鹿のほうだろう!!」
私が、勘当なんてしていなければ。今までどんな思いで生きていたんだろう。あかねちゃん、ごめんね。ごめんね……。一喝の後そう泣き崩れた祖母に、自分の味方を母以外しない状況に。あやねは内心唾を吐き捨てた。
(何よみんなして! ここは姉を亡くしたかわいそうな私を慰めるべき場所でしょ!? 何で、何でいつもお姉ちゃんばっかり!)
家でのあやねは、お姫様そのものだった。母の愛をひとりじめして、姉とは大違いの整った愛らしい容姿を持って、何でも優先されて。だが。家の外で「主役」なのは、人の中心にいたのは。「お姫様」は。あやねから見ていつも姉だった。
(私の方がかわいいのに。私の方が優れているのに!)
なのに、どうだろう。今の自分に注がれている視線は、声は。それもこれも、全部。お姉ちゃんのせい。お姉ちゃんの「お姫様」を自分のものにするために。同じ環境に行ってぶんどってやるために。勉強も、何でも努力して奪い取って。なのに、これだ。だから今までの事も、これからの事も。全部、全部全部全部全部全部。
「全部おねえちゃんが悪いんだ!!」
そう言って会場を飛び出したあやねは、すぐ前の信号が赤であることに気が付かなかった――。
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「……あ、れ?」
世界が回って、暗くなって。私どうしたんだっけ。考えながら、あやねは起き上がる。ベッドの上にいたようだ。
「私、お姉ちゃんの葬儀を飛び出したはずじゃ……?」
不思議に思いながら、正面を見る。すると。目の前の控えめな大きさの鏡に、見慣れた……しかし自分のものでは無い顔が写っていた。
「ダイヴ・イン・ザ・ハートの……アイリス=ラザフォード!?」
「ダイヴ・イン・ザ・ハート」は、あやねが熱中した乙女ゲームだった。その主人公が、アイリス=ラザフォード。攻略キャラクターと交流したり、物語の中でアイリスだけが持つ固有魔法「ダイヴ」を使って攻略対象の心へ潜り、距離を縮めていくゲームで。
オフィーリア=オーヴレイは、そのゲームの脇役だった。あやねは、期せずしてあかねと同じ世界に、主役として。降り立ったのであった――。
――――――――――――
「私がアイリスなら。今度こそ私が、私だけが主役だわ!」
あやね――アイリスは、夢見心地で歩みを進める。今日は学園の入学式。物語のはじまりの日だ。学園の名だたる令息はすべて自分のもの。攻略対象。選んであげる対象。まさに「お姫様」な状況に、死んだにも関わらずあやねは恍惚としていた。
(あっちの世界は私に似合わなかったのよ、きっとそう! あんなクソみたいな世界忘れて。私はここで、今度こそ主人公になるの!)
だから地獄で指を咥えて見ていて、お姉ちゃん。ここにもういないだろう姉に、あやねは勝利の笑みを浮かべる。
アイリスは貴族が通うケテル学園に入学が認められた、初めての庶民。特別な存在。攻略対象とその他大勢みんなの、「お姫様」になる。あやねは喜び勇んで、学園への第一歩を踏み出した。
――――――――――――
「? う、寒気が……」
「オフィーリア!? 具合が悪いなら横になるかい? それか白湯ならすぐに用意できるよ」
「いいえ、大丈夫ですわ。ありがとうございます……アルベル様」
(何だったんだろう? 今の感じ……)
新一年生を迎える準備に忙しくしていたある日。オフィーリアは、言いようのない不快な寒気に襲われた。――あやねの転生した日である、というのは本人の知らないところではあるが――不可解な不安に駆られて顔を青くするオフィーリアを、共に準備をしていたメンバーが心配そうに覗き込む。
「おい、どうした? 女傑のお前らしくも無い」
「そう言ったことを淑女に言うからお前はデリカシーが無いと言うんだ。オフィーリア、平気か?」
「あんたもいつも大概だけどね? イザーク。オフィーリア、保健室なら私が連れていくわよ?」
オフィーリアと同じ二年生の、セオドア、イザーク、イザベラ。セオドアは根っからの武闘派で、知を重んずるイザークといつも仲良く喧嘩ばかりしているが、今は流石に喧嘩の火も大きくならない。この二人と、貴族の女性には珍しく姉御肌の快活なイザベラとオフィーリアとを合わせた四人が、新一年生歓迎行事での二年生の中心的なメンバーとなっていた。
「ふふ、本当に大丈夫ですわ。ありがとう」
「オフィーリア、無理は禁物だからね」
なお心配そうなイザベラが、ウェーブのかかった青い髪を揺らしてオフィーリアの顔を覗き込む。後ろの男子二人もまだまだ心配している面持ちだ。
(こんなに心配してくれる人がいるなんて、幸せ者だよね。……)
しかし。今回の新入生に今回の悪寒を裏付けるような話があること、それで最近眠れていないことを、オフィーリアは打ち明けられずにいた。何故なら。
(みんなとの関係が変わるようなヒロインが来るの、それが心配で……なんて言えっこないよ)
そんな思いを、抱いていたからだった。
――――――――――――
今回入学してくる新入生の中に、ただひとり庶民がいる。その話は、一部ですでに注目され始めていた。オフィーリアは、それが恐らくゲームの本当のヒロインであるとあたりをつけていた。
アイリス=ラザフォードはみんなに好かれるひたむきで純真無垢な女の子。そう友人が言っていたのをオフィーリアは思い出す。作業が終わり皆と一旦別れた人気のない廊下で、オフィーリアはそっとため息を吐いた。
「……」
おのずと、表情が暗くなる。これではいけないと口角を上げようとしたところで、とん、と肩に軽い衝撃を感じてオフィーリアは振り返った。すると。
「……フィー」
「アル?」
美しい翡翠の瞳と視線が交わった。
「アル……どうしたの?」
「……」
オフィーリアは、予期せぬアルベルとの遭遇に急いで笑顔を作る。すると、アルベルの顔が悲しそうに歪んだ。
「フィー、みんなに言えない悩みがあるんだろう。……それは、私にも打ち明けられない?」
「!」
アルベルのその顔は、オフィーリアの心を少なからず抉る。信頼されないことへの、悲しみ。それはオフィーリアにも良くわかるものだった。
(どうしよう、アルベルに悲しそうな顔をさせてしまうなんて)
自分の不安は自分勝手なもので、それこそヒロインにとっても迷惑だろうもの。そう思って表に出さずにいるつもりだったオフィーリアの決意が、アルベルの表情で揺らぐ。
「あかね」
「アル……」
駄目押しのように、あかね、と呼ばれて抱きしめられて。あかねの心は、すでに陥落したも同然だった。
――――――――――――
アルベルの腕の中。あたたかなそこで震える手を握りしめて、オフィーリアは深呼吸する。優しい眼差しで待つアルベルの顔を見たオフィーリアは、意を決して話し始めた。
「……本当の、主人公がくるの」
「?」
アルベルは、予期せぬ言葉に目を丸くする。しかし、これがあかねの心のやわらかい部分に関することだと察してすぐに口を閉じ頷いた。そして、オフィーリアの震える手にそっと自分の手を絡ませる。すると、ややあってオフィーリアが再び口を開いた。
「その子はきっといい子で、みんな大好きになる。……あなたも例外じゃ無いかもしれない」
「そんな事……!」
言いかけて、アルベルは慌てて再び口をつぐむ。――あかねの表情が、あまりにも悲しそうだったからだ。
「アル、私はあなたを信じてる。でも怖いの。あなたがその子と出会って私を愛さなくなることが、変わってしまうかもしれないことが」
「…………」
「だから、その子とは関わらないようにすればいいと思ってた。それで大丈夫だって言い聞かせてた。でも、……どうしてもこわいの」
――これは、あかねの嘘偽りのない本心だった。
オフィーリア以外を好きになる。
それは、アルベルにとって世界が滅びるよりもあり得ない事だ。それを伝えたくて、アルベルの腕に自然と力がこもる。アルベルの力に驚いたのか、オフィーリアは身じろいだ。
(ああ、こんなに泣いて……。……)
自分を暗闇から救ってくれて、愛を教えてくれたただ一人の女性。何よりも大切な――それこそ世界すら天秤にかけるに値しない――オフィーリアが、自分の気持ちが離れることを恐れている。声を震わせている。その事実はアルベルにオフィーリアへの更なる愛情と共に、喜びをももたらしていた。
愛しい女性が、自分から愛されなくなるのは嫌だと泣いているのだ。それを愛おしく思わないものなど、存在するだろうか。
「きゃっ!?」
「あかね……あかね、僕のフィー」
アルベルが、愛おしそうにオフィーリアを呼ぶ。その空気感に、泣くのも忘れてオフィーリアは赤面した。
「愛らしい僕のフィー、君以外を愛することなどあるものか。万一そんなことがあってしまえば、それはもう私の望む私では無い。その時は君が殺しておくれ」
「ア、ル……んうっ」
言葉と同時に、唇が重なる。
「……絶対に。離すものか」
(…………たべられちゃいそう)
それも、悪くないかも知れない。そう目を閉じたオフィーリアに、アルベルはうっそりと微笑んだ。




