溺愛は形を変えて今もなお
「結局コカトリスの光り物は持ち帰れなかったから……僕は……やはり許して貰えないのかな……?デルク」
「デルク……」
「はは、お二人とも何言ってるんですか!一緒に雷落とされたんです、俺たちとっくに親友ですよ!」
「!……私も?」
「勿論!……ほら!」
「ははっ、君ってやつは……!」
レッドコカトリスのひと騒動の後。デルクがちゃっかり見せた三つの光り物――きらりと光る小さな貝殻。レッドコカトリスの巣からくすねたそれに大した価値はない。が。
これが、三人……いや、世界の物語の根幹を変えるものになるとは誰も思っていなかった――。
――――――――――――
七年後、王都「ハルマセフィラ」――。
その中央に位置する名門、王立ケテル学園の武道館では、新二年生同士の白熱した試合が繰り広げられていた。
片方は、学園きっての武闘派、黒髪に燃えるような赤い瞳のシモン伯爵家令息セオドアだ。その立派な体躯から繰り出される迫力満点の剣技を、もう片方の対戦相手――ずいぶん華奢でセオドアより小柄に見える――が華麗にひるがえす。そして。
「――勝負あり!」
攻撃の後の一瞬の隙をついて神速で繰り出されたカウンターが、セオドアの喉元へぴたりと付けられた。
「勝者、オフィーリア=オーヴレイ!」
宣言と共に、大きな歓声が会場を包む。そして。オフィーリアが面を外し一つに結っていた髪を解いた瞬間、一際大きな黄色い歓声が響き渡った。
「オフィーリア様ーー!! 」
「素敵!!」
「今目があったわ!! 死んでもいい!!」
「おーおー、大人気なこって」
「ふふ、アルベル様の婚約者という立場あってこそですわ」
「……分かってねえなあ」
お前の人気だ、お前の。そう言って豪快にセオドアが笑う。それを聞きながら浮かべたオフィーリアの微笑みは、またひとつ会場を沸かせた。
その少し前、王都にあるアーデン公爵家。
こちらでは、婚約者であるオフィーリアの試合を見に行くべくアルベルが支度を進めていた。
「全く。久々の休暇だからってオーヴレイ伯爵と夜通しチェスなんてするから置いてかれるんすよ」
「はは、手厳しいなデルク。まあ本当な訳だが」
「言ってる場合ですか!」
口では憎まれ口を叩きながらも、デルクはせっせとアルベルを手伝っている。手慣れたものだ。
「あ、アレちゃんと付けてます!? 俺らのお守りなんですから忘れず付けて下さいね」
「ああ、勿論。フィーも付けて行ったよ。レッドコカトリスの契り!」
「その言い方恥ずかしいからやめましょうって言ってんですけど!!」
「いいじゃないか、命名者デルクくん」
「〜〜ほら!馬車出しますよ!」
「ああ、頼む」
――――――――――――
「いやあ、今日は冷えたぜ」
「あら、燃えたの間違いではなくて?」
試合後の控室。男女の更衣室に分かれる手前のそこで、セオドアとオフィーリアは会話をしていた。
「お前の髪に俺の剣がかすったろ!?切れたかと思って焦ったの何の」
「何だ、そんな事ですの?」
「何だとは何だ!令嬢の髪はめちゃくちゃ大事なんだぞ!?」
「ふふ、承知の上です」
性別は違えど良きライバル同士の二人だ。会話は自然と弾む。
「お疲れ様。オフィーリア、セオドア」
「アルベル様!」
「アルベル先輩!」
そこへ、頃合いを見計らったようにアルベルが姿を現し笑顔で二人を労った。が、その後一瞬にして美しい翡翠の瞳が鋭さを帯びる。
「ところで、申し訳ないがオフィーリアの髪の毛がどうとかいう話を聞いてしまったのだけれど。そこは、どうなっているのかな?」
「!!」
問われたセオドアは、冷や汗と共に姿勢をびしりと正した。一学年上のアルベルは優しく、公爵家の嫡男だからと地位をひけらかす事もない人格者である事で有名だ。だが、同時に。婚約者オフィーリアを傷つけるものには容赦のない溺愛ぶりもまた有名だった。
それが短くはない付き合いで身に染みているセオドアは、今回の事態の不味さに一瞬で思い至っていた。
(まずい、非常にまずいぞ……返答によってはあのアーデン流剣術でボコボコの後に足腰立たなくなるまでしごかれてもおかしくねえ!!)
いや、すわ廃嫡か!?焦りからそうセオドアが考えを飛躍させた、その時だった。
「いやですわ、アルベル様。私がそんなミスをするとでも?」
笑顔でオフィーリアがアルベルへと言葉を掛けて、頬に触れた。途端、アルベルの瞳が優しく緩む。
「すまない、愚問だったね。セオドア! 悪いが今の問いは聞かなかったことにしておくれ。オフィーリアに叱られてしまう」
「も、勿論!」
(悪い、オフィーリア!)
(いえいえ、こちらこそ)
そんなアイコンタクトの後。仲睦まじく去って行く二人の背中を、セオドアは冷や汗を拭いながら見送るのであった。
――――――――――――
時間は過ぎて、お昼時。
学園の庭にいくつかある屋根付きのテーブルセットのうちの一つに、色とりどりのお弁当が広げられていた。見るからに美味しそうなそれに、周りから視線が集まる。そして、何より。
そこに座るアルベルとオフィーリアを、周りの生徒は羨望の眼差しで見つめていた。
「見て、アルベル様とオフィーリア様よ!いつ見てもお似合いね」
「御二方とも文武両道、容姿端麗……家柄も申し分ないわ。私たちにも優しく接してくださるし」
「あの素敵なお弁当、オフィーリア様がご用意されたのかしら? どれだけ美味なのでしょうね……!」
「…………」
周りのそんな声を背に。オフィーリアは、人知れず笑顔を引き攣らせていた。
(これ、アルベルが作ったんだよね……)
自分はできてまあ並と言ったところの料理の腕前なのだ。こんなレパートリーに富んだお弁当など作れるはずがない。
「どうしたんだい、フィー?試合で疲れてしまったのかな」
「いいえ、ちょっと令嬢に疲れちゃったの。……アル?」
「ああ、いつでもいいよ。どうぞ」
(予想外の状況になっちゃったよなあ…………)
オフィーリアは、アルベルにもたれかかりながら物思いにふける。
(最初は不遇ばっかりで終わってたまるか! ってアルベルを殴ったんだっけ)
それが今ではどうだろう。ゲームでは自分にひどい事をする筈だったであろうアルベルは何処に出しても恥ずかしく無い完璧な令息へと成長し、あろうことか自分はその寵愛を一心に受けている。
今もこうして「令嬢」に疲れてしまったと口調も格好も崩して寄りかかっているわけだが、それを咎めるどころか嬉しそうにアルベルは受け入れていた。オフィーリアはちらり、とアルベルを見る。すると、いつものように優しい眼差しと微笑みがかえってきた。
(…………このままずっと穏やかな日々が続けばいいのに)
オフィーリアは、最近ついそう考えてしまう。しかし。
(これが、本当のヒロインが来るまでのかりそめの時間だったら、どうしよう)
今は、訪れるかもしれない抗いようの無い変化に怯えていた。楽しい生活、仲のいい学友。そして、何より。
(アルベルが、もし、変わってしまったら)
あかねは、ゲームのストーリーを殆ど知らない。しかし。アルベルが、自分が。友達がかつて見せてくれたキャラクターイラストの年頃に差し掛かっているのに気がついていた。
もし、アルベルのちいさなころの一面が、ヒロインとの出会いによってまた顔を出すのなら。この生活が変わってしまったなら。あかねは耐えられない。それほど、あかねはオフィーリアとして穏やかな時間の中で過ごして来た。
「とにかく、ヒロインとはなるべく関わらないようにしないと……」
「何か言ったかい? フィー」
「ううん、……今日もいい日だなって」
「そうか」
何も知らないアルベルの微笑みに笑顔で返し、オフィーリアはそっと目を閉じた。
――――――――――――
(このまま時が止まればいいのに)
自分にもたれかかるオフィーリアの頭を愛おしげに撫でながら、アルベルは考える。こんな愛らしいオフィーリアの姿は、本当なら他の人に見せたくない。がここは学園の庭だ。ささやかな抵抗として、オフィーリアが衆目から少しでも隠れるようアルベルは自分の体を傾けた。
――アルベルは、オフィーリアが自分にだけ見せてくれる無防備な一面がたまらなく好きだった。
最初は子供の頃の、ある日。花畑へ遊びに行った時だった。
「……」
「オフィーリア?」
傍にいるオフィーリアの元気がない。それに気がついたアルベルは、目線を少し下げてオフィーリアに問いかけた。
「……アルベル、さま」
「何でも話しておくれ。君に元気がないと僕の心も悲しんでしまうよ」
アルベルがそう言うと、オフィーリアは悲しげに微笑む。
「変な事を、言います。聞き流してくださって結構ですわ」
そこからアルベルは、ひたすらにオフィーリアの話を聞いた。ほんとうの名前はあかねで、こことは違う世界の人間で。令嬢なんかでもなくて。今の生活も好きになって来たのだけれど、時折とても昔が恋しく、さびしくなるのだと。そう、オフィーリアは言った。
にわかには信じがたい話だ、とアルベルは思った。が。きっとこれがオフィーリアの心のやわらかい部分なのだとも、思ったのだ。
「オフィーリア……あかね。信じるよ。君の話」
「ほんとう?」
「君の元いた所にはなれないけれど。僕の前では、ありのままの君を見せておくれ」
「……うん!」
それからオフィーリアは、少しずつ。アルベルの前でだけ「令嬢」ではない部分を見せてくれるようになった。砕けた口調、甘えたような仕草、いたずらっぽい視線。「オフィーリアらしくない」その全てが、アルベルの心を掴んで離さなかった。
(このまま、閉じ込めてしまいたい)
すこし、アルベルは思う。でも。オフィーリア……あかねの、陽の光の下で輝く笑顔を失いたくない。そんな葛藤を人知れず抱きながら、今日もアルベルはオフィーリアの髪をすくのだった。
――――――――――――
「ここが、ケテル学園!――私が主役になれる場所!」
穏やかな日常に、確かな変化が訪れる事を。二人も、誰も。まだ知らない。




