暴力の理由と愛について
「フィー! こちらを向いておくれよ!」
「でしたら殴りかかるのをやめて下さいませ!」
「ぐっ!? いい愛だね!」
「グズでしょうがない僕のフィー、この気持ちは苛立ちかな?」
「でしたら私に近寄らない方がよろしいのでは?」
「それは嫌だよ!」
「このまま君を閉じ込めよう、さあおいで!」
「嫌ですけれど!?」
アルベルに見初められて? からのオフィーリアの日々は、大変の一言に尽きた。
アルベルの言動に、お付きの使用人たちは怯えたように目を背けるばかり。アルベルの父親も彼に全く関心が無いのか放置のまま。そんな状況を気にも留めず、笑顔のアルベルはまるでそれが好意の現れとして当然と言わんばかりに笑顔でオフィーリアに拳を振り上げ、オフィーリアをそしり、手中に収めようとした。
それにオフィーリアがつい反撃し、反論し、反発すればする程アルベルは喜ぶのだ。もう訳がわからない。
アルベル来襲の度に目を白黒させ仲裁してオフィーリアをケアするオフィーリアの父も、すっかり参ってしまっている。
「オフィーリア、やはり私が正式に断ろうか」
「駄目です、お父様!」
(とは言え、お父様ももう限界だよね)
アルベルの言動は現世で聞いていた通りクズ。天使の見た目で人を嬉々として傷つけにくるカス。なのだが。何かが引っ掛かるオフィーリアは、父の立場も考えて婚約破棄の為に動きたがる父に待ったをかけていた。
(このまま野放しにするのも気が進まないし。せめて愛? だとか言ってる異常な暴力の原因……根っこが分かれば)
拳を振り上げ、相手を傷つける時のアルベルは、いつも笑顔だ。そこに微塵の憎悪も負の感情もないように見える。
(そういう異常性がもともと有るの? それとも? ……まさか!)
何か、理由がある? オフィーリアが考えつく理由の中。もし正解が「あれ」ならば。思案するオフィーリアの手に、優しい手が重なった。
「……何か、考えがあるんだね」
「確かめたいことがあるのです。お父様、アルベル様の元へ出向いても?」
「ああ。勿論だとも。……正直彼の元へ送るのは不安だけれど。いつでも、フィーを応援しているよ。行っておいで。私は必ずそばに居るから」
「はい! お父様」
――――――――――――
「嬉しいよ! まさか君から来てくれるなんてね」
「ごきげんよう、アルベル様」
予期せぬオフィーリアの来訪に、アルベルの顔がぱっと華やぐ。ここだけ見れば、非常に愛らしいやりとりである。が。
「さあ僕のフィー、愛してあげよう!」
にこやかな表情のまま、アルベルは拳を振り上げる。それをにこりといなすと、オフィーリアはアルベルの耳元で囁いた。
「愛もいいですけれど。今日はたくさんお話をしたいですわ。よろしくて? アルベル様」
オフィーリアの言葉を聞いたアルベルの瞳に、狂気的な光がまたひとつ灯った。
――――――――――――
「さあ僕のフィー、何を話す? 今日もグズな君のことかい?」
アルベルがにこやかに入室を促しながら問う。それに臆することなく、オフィーリアはあくまで自然に切り出した。
「アルベル様、単刀直入に聞きます。アルベル様の愛……それはどなたかから教わりましたの?」
「? ああ、もちろん。君もそうだろう?」
会話を開始して早々。アルベルの言葉に、オフィーリアは確信する。アルベルは元々おかしいのでは無い。正しい愛し方を知らない……すなわち「愛」を間違った方法で学んでいるのだ。オフィーリアの推測が正しければ、その根幹は――。
「僕はこうして母上から沢山愛を貰ったんだ! 親がくれる物は愛に違いない。そうだろう?」
――近しい人からの、虐待。
オフィーリアからの問いかけを皮切りに、アルベルは饒舌に喋り出した。髪の毛を掴まれ、引き摺り回された。駆け寄ったら、頬を殴られた。話しかければオフィーリアが耳を塞ぎたくなるような暴言の数々を浴びせられた。食事を地面に落とされ、踏みつけられて口に入れられた。
話すアルベルの表情は恍惚としていて、もはや狂気じみている。が。そんな彼を見たオフィーリアに湧き出てきたのは、憐憫の情だった。
(これを言えばアルベルは暴れ回るかもしれない。オフィーリアがもっと酷い扱いを受けるようになるかも知れない。でも)
はっきり言わないのは性に合わないし、彼のためにもならない。そう結論付けたオフィーリアは、重い口を開いた。
「アルベル様。違いますわ。貴方の言うそれは、愛じゃない」
「――は?」
――――――――――――
――母は、美しいひとだった。
アルベルの記憶の中の母親は、いつも暗い顔をしていて。アルベルが近寄ると、いつも顔を歪ませた。
「来ないで。忌まわしい」
忌まわしい?きっと愛する人に言う言葉なんだね!
「グズな子。本当頭がおめでたくて羨ましいわ。ああ、苛々する……」
これもきっと愛だ。振り上げられる拳だって、与えられる痛みだって。辛さだって。きっと全部、母上の愛だ。
「お前さえいなければ」
違う。
「お前など」
違う違う違う。
「愛しているものか」
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。
これは愛だ。愛なんだ。
――――――――――――
「…………がう」
「アルベル様」
「違う。違う違う違う違う――違う!!」
まるで呪いのようにそう言うと、アルベルは美しい銀糸を掻きむしる。
「だって、……だって!」
「…………」
「これが愛じゃないなら――」
「…………」
「僕は母上からも、君からも、誰からも――愛されていない事になるじゃないか!!」
だから、ちがう。美しい少年がまるで幼子のようにそう泣きじゃくる様は、常であれば大人の同情を誘っただろう。だがきっと、彼がしてきた行いのせいで、すぐ傍に控えているはずの使用人はひとりも出てこない。
それが自分に突きつけられた「答え」のような気がして、アルベルはちいさく震えた。
――本当は、きっと心の奥底でわかっていた。でも後には引けなくて。そうしなければ、自分の全てが否定されてしまう気がして。間違った愛を真実と信じ込んで貫いてきた。だが。今は。
こわくて、オフィーリアの顔を見ることができない。
愛ではない、間違っていると断じられた行為を、自分はオフィーリアにたくさん行ってきたのだ。「愛して」くれるわけがない。オフィーリアのあれも、愛じゃ、なかった。
こわい。世界がくらい。くらくて、つめたい。
アルベルは、縮こまる。そこに触れようとした手を、彼は思わず振り解いた。
「さわるな! ……あっ」
動いた反動で、オフィーリアと目が合う。表情が、読めない。再び伸びる手に、アルベルはぎゅっと目を瞑った。
(殴られる――!?)
愛ではないと言われてしまってからのそれは、存外恐ろしい。アルベルは体を震わせた。が。覚悟した痛みは一向に来ない。
「……?」
代わりに、オフィーリアの指が優しく頬に触れた。アルベルがおそるおそる顔を上げると、今度ははっきりと穏やかな笑みを浮かべたオフィーリアと目が合った。そのやさしい指先に、アルベルの体から少しずつ力が抜けていく。そして。
「今は思いっきり泣きましょう、アルベル様。そのあとで。私と愛について一緒に知っていきませんか? ゆっくりで、いいんです」
「――あ、」
「アルベル様」
「う、あ……ああああああああ――!!」
大粒の涙と共に溢れ出す、なにか。今のアルベルには、この感情の名前がわからない。でも。オフィーリアから感じる初めてのあたたかな「なにか」に、アルベルは縋り付いて泣いた。
「……みっともない所を、見せてしまったね」
「いいえ、アルベル様」
「――ありがとう」
憑き物が落ちたように、アルベルが笑う。その表情に今までのような狂気はない。
(とにかく、丸く収まって良かった)
オフィーリアの行動は正直賭けだった。その賭けに、オフィーリアは勝ったのだ。しかし、あかねは考える。
(でも流石に、愛を教えるとまでは言えなかったな)
自分だって、家族の愛には疎い。が。現世には自分が宝物を妹に取られると泣いて悔しがって母に抗議してくれた友達が居たし、悩みに寄り添ってくれる先生もいた。その人たちにもらった分なら、きっとアルベルとも分け合える。
(――それに、オフィーリアにはお父様もいるもの。皆から貰った愛し方をアルベルとも一緒に見つけられたら。きっと、アルベルもちゃんと人を愛せるようになるよね)
アルベルが人を愛して――それがオフィーリアでなくとも――幸せになれば。あかねは、不思議とそんな気持ちになっていた。
そうして初めて穏やかな時間を過ごした二人が、部屋のドアを開ける。すると、顔中を涙で濡らしたオフィーリアの父が、両手を広げて待っていた。
「オフィーリア、アルベル様……!! すまない、ぜんぶ、きいて……ううううーっ」
「お父様!」
「御父上!?」
言うが早いか、オフィーリアとアルベルは父の腕の中だ。優しい父が話を聞いていてもたっても居られなくなったと理解が及んだオフィーリアと、混乱するアルベル。二人はオフィーリアの父の大きな腕にすっぽりと包まれて、顔を見合わせた。
「アルベル様、貴方にはオフィーリアと私もおりますよ! うう、オフィーリア……いつの間にこんなに立派に……うううー……」
「もう、お父様ったら泣き虫さんですわね。ね? アルベル様」
「……うん」
そう言って、アルベルが少しくすぐったそうに笑う。それを見たオフィーリアの父がさらに泣き出して、二人はどうどうと宥めるのであった。




