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華麗なるアッパーから始まる溺愛

「僕が愛してやるんだ、喜びなよ?」


 そう言って子どもらしからぬ美しい顔に笑みを浮かべ、公爵令息――アルベルが顔合わせに来た婚約者オフィーリアに向けて拳を振り上げる。

 娘の名を叫ぶオフィーリアの父。ざわめく使用人。そして響く、鈍い殴打の音……だが。薔薇色のいたいけな頬に拳がめり込んだと思われた、次の瞬間。


 引っ込み思案な筈の令嬢オフィーリアが、アルベルへ光の速さで見事なアッパーカットを決めていた。


「こちらがやられっぱなしだと思ったら大間違いですわ、アルベル様!」






 ――時間は数日前に遡る。


 亜麻色の短い髪を揺らし、イヤホンから流れる音楽に合わせて歩道をランニングする活発そうな少女――芹沢あかねは、妹に奪われた部活用の靴の代わりに取り急ぎ買ったシューズの履き心地に少しの不満を抱いていた。


「お姉ちゃん、私も陸上部に入るの。その靴、いいとこのでしょ? 欲しいな」

「お姉ちゃんでしょ、譲りなさい」


 そんないつものやり取り――にしては一方的なそれで失った靴。これで何度目だろう。


(バイト代、吹っ飛んだ靴だったんだけどな)


 母は、あかねが嫌いだ。

 妹と違って「女の子らしく」ないからか、あかねが蒸発した父親似だからか。まあそんなことは今更どうでもいい。


「高校卒業したら就職して、お金貯めて。言いたいこと全部言い切って縁切って。やりたい事いっぱい制覇するんだから!」


 家族にはちょっと恵まれなかったかもしれないけれど。支えてくれる友人たちもいるし、打ち込めるものもある。そう自分を鼓舞してあかねは足を動かすテンポを上げた。と、その時。


「あ!?」


 目に入ったのは、轢かれそうな猫。


「――駄目!!」


 叫んで飛び出したあかねの体は、宙を舞った。






「――リア」

「?」

「オフィーリア!」


 男性の声に、あかねの意識が浮上する。


「勉強中に上の空なんて、フィーらしくないね。何かあったのかい!?」


 ぼんやりした視界の先に、わたわたと心配そうにする、グレージュの髪に黄金の瞳の身なりが整った男性が映った。


「おとう、さま?」


 瞬間、「あかね」の脳内に「オフィーリア」の膨大な記憶が流れ込む。


 早逝した母の分まで愛を注いでくれた優しく聡明な父。引っ込み思案で、恥ずかしがり屋で、人見知りな自分を案じて暇を見つけては自分の好みそうな所へ連れて行ってくれて。今もこうして忙しい合間を縫って勉強を――。


 (引っ込み思案? オフィーリア? 私が!?)


 一体、何がどうなって。

 混乱するあかねは、視線を巡らせる。と、大きな姿見に視線を奪われた。


 (誰これ!?)


 映るのは、「父」譲りのグレージュの長髪に、「母」に似たアメジストの瞳の愛らしい少女。


「オフィーリア……あっ!?」


 自分の姿に混乱したあかねだったが、記憶の片隅にあったビジュアルと姿見の少女がかちりと音を立てて合致した。


(不遇令嬢オフィーリア=オーヴレイ!?)





――――――――――――



 

「この展開! 最高にスカッとするの!」

「へえ!」


 いつかの、休憩時間。仲のいい友達の一人が乙女ゲームについて熱く語ってくれた。


「こいつ、公爵令息アルベル! ビジュはいいんだけど性格最悪でさ、目を付けた主人公殴るわ言葉責めするわ攫うわ監禁するわで大ピンチ! そこにルートに入ったキャラが来てざまぁ出来るって訳」

「るーと? ざまぁ?」

「要するに……クズがしっぺ返しを受けるというか因果応報というか」

「なるほど」


 よく分からないが、最低男をやっつけて仲が深まるゲームらしい。そんな話にうんうんと頷きながら耳を傾けていると、友人は他の画像をばばーん! と言わんばかりに開く。

 

「こーんな可愛い婚約者もいるのにさ! 本当最低男!」

「わあ、可愛いね」

「この子……オフィーリアも可哀想で報われなくて……」

 

 この子もビジュがすごく刺さるんだけど半モブでグッズすらない!! そうヒートアップする友人にちょっと苦笑いをこぼしつつ。何となく見た「不遇令嬢オフィーリア」は、薄幸そうな笑みを浮かべていた。




――――――――――――






「オフィーリア……私が……」

「フィー? 本当にどうかしたのかい? や、やっぱり婚約者との顔合わせが不安だとか」

「婚約者!?」

「わっ。そ、そうだよ。アーデン公爵の御子息、アルベル様だ。とても見目麗しいと聞くけれど……」


 それ以外の情報は何も入ってこないし、不安だよね。そう「父」がオフィーリアを抱き寄せる。が。「あかね」はそれどころでは無かった。


(私どうなっちゃったの!? そうだ、猫を助けようとして)


 混乱し続けるあかねの視界の端。あの猫が通り過ぎた、気がした。





 


「困った……」


「あかね」はオフィーリアの部屋でひとり呟く。あの後父には大丈夫と答えて何とか取り繕ってはみたが。「あかね」としての人生はもう終わったも同然。


(やりたいこと、一つもできなかったな)


 家を出たらやりたかった夢。自由になって、慕ってくれた友人に恩返しして。他にもいっぱい。描いていたものは全て不可能になった。その事実にあかねは気がついてしまった。しかも。


「よりによってずっと不遇ってわかってる人間になっちゃうなんて。どうしろって言うの!?」


 婚約者はヤバい男で、もう顔合わせも決まってしまっている。逃げられない。


(私としては逃げたいけど)


 父を慕う「オフィーリア」としての感情が、それを許さない。


「…………」


 しばらくの沈黙。の後、静かな部屋にオフィーリアが自分の頬を叩くぱちんという音が響く。


「ええい、こんなの私らしく無い! 終わったことは仕方ない。でしょ。どうせずっと不遇なら、不遇なりに刃向かってやろうじゃないの。それが私の筈よ、あかね!」





――――――――――――



 

 そして、現在に至る。のだが。


(やりすぎちゃったかな……?)


 婚約者だと紹介された令嬢を殴った公爵令息に固まっていたまわりの大人たちが仲裁に入るより、早く。アルベルは目を輝かせて起き上がった。


「君も、君も僕を愛してくれるんだね……! ああ、素晴らしいよ!」

「はあ!?」





 

――――――――――――



 

 (ええと……私は殴り返した、んだよね? それが何で愛? わ、わけが分からない…………)


 殴り合いという衝撃的な顔の合わせ方をしたアルベルと引き離されて、別室。今にも気絶しそうな顔色の父が、オフィーリアへと駆け寄った。


「すまない、すまないオフィーリア! やはり私の地位などどうでもいいから断れば良かった!」

「お父様」


 そうだ、これは伯爵ながら有能なオフィーリアの父にもたらされたまたとない破格の縁談であった。オフィーリアは思い至って顔色を青くする。


「私こそ申し訳ございません、お父様! お父様の顔に泥を塗るようなことを……!」


 やられっぱなしは性に合わないし、現世での知識が正しければ相手はクズ。どうせひどい扱いをされるなら一矢報いてやると勢い付いたはいいが、冷静に考えれば自分のした事はとんでもないものだ。もっと穏やかにいくべきだった。


「どうしよう、お父様に何か処分が下されたら!」


 オフィーリアの記憶の中の父は、母を恋しがるオフィーリアに常に寄り添い、歩調を合わせ、笑顔を向ける優しいひとだ。そんな父が、もし厳しい処罰を受けたら。


 異世界に来て周囲の人や環境への感情がオフィーリアと一体になっているあかねは現世でしばらく流していなかった涙をこぼす。すると、アルベルに殴られたオフィーリアの頬を優しく冷やしながら父は微笑んだ。


「フィーが悲しむよりひどい処罰などあるものか。笑っておくれ、愛しい子。今日フィーのした事を私は責めたりなんかしないよ。気の済むようにしておくれ」

「で、でも」

「君がまず私のわがままに付き合ってくれたのだから。後始末くらいは私にさせて欲しいんだ」

「お父様……」






  所変わって、オフィーリアと引き離されたアルベルの自室。自分を見て顔を強張らせる使用人と無関心な父の間を縫って戻ってきていたアルベルは、恍惚とした表情で呟いた。


「ああ、こんなに愛してくれたのは母上以外初めてだ。オフィーリア、いや、僕のフィー……」


 アルベルの居室にある、亡き母の大きな肖像画。それにうっとりと手を這わせ頬を寄せて、アルベルは微笑む。


「愛しているよ……」

 

 肖像画の中で神経質そうな顔を覗かせる母との「思い出」に浸りながら、アルベルは母に似た銀髪と同じ色が縁取る翡翠の瞳をさらに細めた。






――――――――――――



 

(どうしよう)


 衝撃の顔合わせから一夜。三行半を突きつけられると思っていたオフィーリアの元に届いたのは、まさかの「すぐにでもまた会いたい」というアルベルからの手紙だった。


(お父様の言葉に甘えて好きにする? 昨日のことを謝罪する?)


 オフィーリアは、思案する。「元の」オフィーリアであれば、――まず前提としてアッパーカットなどしなかったであろうが。こんな状況だとどうしただろうか。


(きっと彼女ならお詫びをするよね)


 そうあかね――オフィーリアが結論付けた、その時。せわしないノックと共に部屋のドアが開いた。


「僕のフィー! 愛しに来たよ!」

「きゃあ!?」


 顔面蒼白のオフィーリアの父をバックに現れた人物は、上気した頬と満面の笑みをオフィーリアの瞳に焼きつけながら拳を振りかぶる。が。


「チェスト!?」


 オフィーリアの華麗なカウンターキックで、向かいのドアへと吹っ飛んだ。


「アルベル様ー!!」

(や、やっちゃった!?)






 すごい音と共に吹っ飛んだアルベルを、使用人が悲鳴と共に見る。我に帰ったオフィーリアは、またしても手を出してしまった事に顔を青くした。


「も、申し訳」

「フィー! ありがとう!」

「え」


  だが、オフィーリアの謝罪より早く飛び起きたアルベルが、満面の笑みでオフィーリアの言葉を遮った。


「こんな強い愛、初めてだ! 決めたよ、絶対に君と結婚する!」

「はああ!?」

 

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