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『蝶は灰国に沈む』 終戦奇譚——二人で一人の旅路  作者: 紅音・フィオ・カワハギ


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第一章 それぞれの一日③

「行ってはダメだ」

 老人の声だ。隣に立っているが、顔は靄に包まれていて分からない。

「あそこには子どもたちがいるんだ。私が救ってやる」

 セルマは走っていく。

 そこは村だった。幼い子どもたちの死体が転がっている。その先には、

「レヴニールっ」

「お姉ちゃん」

 地面に横たわるクリーム色の髪をした幼い男の子が必死に手を伸ばしている。

「レヴニール、どこに行ってたんだよ。お姉ちゃん、すごく心配したんだよ」

「王子、実験。コアが――」

 レヴニールという男の子が泥のように溶け始めた。

「うわっ」

 セルマは勢いよく起きた。額から冷や汗が流れ落ちた。そこは壊れた教会の寝室、正確には袖廊に当たる部分で倒壊によってできた空間に、簡単な扉を付けて布団を持ち込んだだけの場所だった。

(やけにリアルな夢だった。この子たちと寝たせいかな)

 両隣には子どもたちがいる。セルマは子どもたちに布団をかけ直してあげた。

 昨晩のことだ。ミディが帰ったあと、セルマも帰ろうとすると腕を掴まれた。「お兄さん、一緒に、寝て、ほしい、です」そう迫られ、子どもたちの、まだ恐怖の残る顔を心配して、セルマは面倒を見ることにしたのだ。自分を男と偽って。

 男の子たちはともに九歳で、いま、右に寝ている、赤いシャツの男の子がマク。セルマと同じややつり目をしていてこげ茶色の短い髪をしている。左に寝ているのは、紺色のシャツを着た男の子でフュド。たれ目をしていてサックスブルーのミディアムヘアである。昨晩、セルマが帰ろうとしたとき、腕を掴んだ男の子である。

 セルマは顔を上げる。倒壊した隙間から青空が見えている。

 ――早く、アウス・エーヴィスを探さなきゃ。

(あ、おはよう。セルマ。おお。やっぱり帽子はないほうがいいね)

 慌てて頭を触り、驚愕して目を大きく開くとキョロキョロと首を動かした。帽子は後ろにあった。

(よかった)

 落ちていた紐を帽子に結び付け、髪の毛を結い上げて帽子を被り、帽子に結び付けた紐を顎で縛った。

(ねえ、正直に話したら?)

(これは大切な――ん、レインよ、昨日の威勢はないのか? 私は憎きノクーヴェだぞ? ふっ、口では感情を持つ生物はなどとほざいているが、思わず本音が出たのか?)

(ノクーヴェの女。ほら、その孤児たちを殺して快楽を味わいなよ)

 ――お姉ちゃん、みんなを守って。同じ思いをさせないであげて。

 子どもたちを見るやいなや、幼い男の子、レヴニールの顔が脳裏に浮かんだ。

(そんなことできるか)

 セルマは微笑んで子どもたちの頭を撫でた。

(ふううん、へえええ。子どもたちにだけ、優しい顔をするんだねぇ。子どもなんて役に立たないうるさいだけの存在なのに)

(何が言いたい。……まあいい。それよりこの子らは昨日のパンしか食べていない。辺りには備蓄もないし、飯はどうしたらいいと思う?)

 ぐぅうう。セルマの腹も鳴った。頬だけ赤くし、中指を曲げて唇で軽く挟む。

(ごはん? そうだなぁ。街に出て十人殺したら教えてあげる。セルマはノクーヴェ。ほら、早く子どもたちのために行動を起こして。そしたら朝食の場所を教えてあげる。さ、早く、十人殺して)

 明るく乾いた声に、セルマは蔑むような目で自分の胸を見た。

(お前、イカれきってるな)

(え、できないの? ああ、そうか。本当はボクと同じで子どもたちが嫌いなんだ。街に出て十人殺すこともできないノクーヴェ。そんなの聞いたことがない)

(戦争を始めたのは一部だ。全員が戦いたいなどと、大間違いだ)

(昨日、楽しそうに戦ったじゃん。仕方なくやったなんて言い訳するつもり?)

(確かに極悪人の大人を殴ることほど楽しいのはないが、その先をするつもりはない。お前を追っていた相手は勝手に落ちた。もう一人も、海ではないが川を狙って投げた)

(そっちじゃない)

(はぁ? それこそ私じゃない)

 ノクーヴェの姿でヴァウカーダの首を持ち上げ、襲おうとした直後、二人の部下が恐怖に狂気し、そこらの物を投げつけてきた。その一部がヴァウカーダの後頭部を直撃した。主人を殺してしまった部下たちはさらに狂気し、どちらも、片方を生贄にして逃げようとし、片方は角に頭をぶつけられ、片方は脆くなっていた柱が頭に落ちてきて死んだ。

(と、ともかく、君はいつか大きな代償を払うことになる)

(ふん。私は子どもたちを助けるために力を使ったんだ。今後も同じだ。むやみには使わないが、困った子どもたちのためなら戦ってやる。それで代償を払うことになっても惜しくはない)

(あっそ。じゃあ、優しいノクーヴェのセルマちゃん。この時間なら西通りに行くといいよ。そこにボランティアがくる)

 赤いシャツの男の子、マクが起きた。

「あ、おはよう、お兄ちゃん」

「おはよ。よく眠れたか?」

 マクはうとうとしながら頷く。

(やはり新鮮だな。お兄ちゃん、かぁ)

(え、自分で〝ちゃん〟付けさせて酔っているの?)

(お兄さんもお兄ちゃんも、さほど変わらない)

(どういう思考なの。そもそもどうして誤解を解かなかったの)

(みんなが勝手に誤解した)

(違うでしょ。最初から性別隠してたじゃん。あ、実はセルマって、何かに憧れてマネしちゃう系? ボクが知っている物語にも男装する設定はたくさんあってその中でも君のように黒いジャージで全身を包んだ――)

(うるさい。黙れレイン)

 もう一人の、サックスブルーの男の子、フュドが起きる。朝の挨拶を交わすと外の明かりを眺めて呟く。

「ミディさん、レイン、捕まえた、かな」

「おれたちで捕まえようぜ。そしたら、他のみんなにも美味しいものをいっぱい食べさせられる」

「ん? レインはどんなやつなんだ。狂喜な……怖い殺人鬼で、懸賞金でも懸けられているのか」

「たまに姿を現す風来坊さ。最近の独りもんだと思ったけど、どうやらすごい秘密があってすごいお金になるんだって。歓楽街のゴロツキたちが言ってた」

 マクの目は輝いていた。

(レイン、教えろ)

(やああだ! 黙れって言ったの、だああれええ?)

 ムッとした表情が出そうだったが、二人の顔を見て、抑える。

「どんな秘密なんだ?」

「さあ。この前、一日だけ、見た。あとから、レインだと、分かった」

 フュドが答えた。

「そうなのか。ところで、君たちはどうして国の世話にならないんだ? 焼きたてのパンが毎日食べられたり、ふかふかのベッドで寝られたりするんだぞ」

 二人は顔を見合わせた。少し青ざめた様子だった。フュドは俯き、マクも視線を落として答える。

「施設は悪魔のターゲットなんだ。まだ、売り飛ばされたほうがマシ」

(悪魔って)

(ノクーヴェのことでしょ? セルマさ、感情を抑えても無駄だよ? 施設にいっぱい子どもたちがいたら、殺したくてウズウズするんでしょ?)

(よくも平気でそんなことを言えたな。悪魔はお前だ。マジでぶっ殺すぞ)

 セルマは腕を組んで天井を見上げた。

「悪魔はアウス・エーヴィスにやっつけてもらうしかないな」

「お兄ちゃん、子ども扱いはしないでよ」

「そんなこと、言ったら、ダメ。お兄ちゃん、慰めてくれる。昨晩は、ありがと」

 マクは不満そうであり、フュドは少し嘲笑を含んでいた。

(子どもにまでバカにされるセルマ。くくくくく)

(好きに言えばいい。子どもは表情が豊かなほうがいいからな)

「食べ物を持ってくるよ」

 セルマは柔らかい笑顔を見せて、外に出た。

(ねえ、アウス・エーヴィスなら、さっきいたよね?)

(まさか、主祭壇の銅像のことを言うんじゃないだろうな。それとも、あの翼の生えた髭老人の銅像を本気でアウス・エーヴィスと思っているのか)

(……でも、どこの教会もアウス・エーヴィスだと思って崇めてる。アウス・エーヴィスはこの世界にはいないんだよ)

 先ほどの挑発的な口調とは違って、ややトーンが落ちている。

(ふん。お前は大人と同じだ。私は騙されない)

 セルマは歩きだす。

 青空と小鳥たちのさえずりが、この瓦礫の山には非常に不釣り合いで、虚しさだけが込み上げてくる。雑草を踏み均しただけの道を過ぎると、夜とは違う光景が目に入る。あちこちでマクやフュドと同い年くらいの子どもたちが声をかけながら瓦礫を拾って見比べたり、小さな隙間に入ったりしていた。

(元気に遊んでいる姿を見ると少し心が和むな)

(残念だけどあれは仕事だよ)

(命令するやつがいるのか)

(いや、いないけど、例えば鉄くずでも集めればお金になるでしょ。食べていくためにああやって探すわけ。瓦礫は子どもたちにとって宝の山なんだよ。まあ、稼げても一日で五〇〇ミラルくらいだけど)

(五〇〇ミラ……。一番安い食パンの八枚切りが五袋くらいか。何か、助けてやりたいが……)

 疑問が溢れる。八年前に廃墟になったとすると、彼らは施設から逃げだした孤児なのか。施設の悪魔とはなんなのか。復興工事はいつやるのか。金になる瓦礫がまだあるのなら目のくらんだ業者が来たりしないのか。考えれば考えるほど不思議になってくるが今はマクとフュドに食べ物を用意せねば、と先を急いだ。

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