第一章 それぞれの一日②
「次の宰相を吟味するための兼務です。仕方ありません」
宰相の裏金問題が三代に渡って続いたため、没収という形になった。オルトロスは王子なので王権が優先され、宰相としての発言も〝王権〟として扱われてしまうのである。オルトロスは、優者な人材がいればすぐにでも宰相の地位を渡すと言っているのだが、議員たちもオルトロスの目に加え、足の引っ張り合いがあって、なかなか優秀な人材は現れない。
「それで、死体はどうなった?」
「第一発見者の討伐隊が回収したそうです」
二人の会話を黙って聞いていたミーファディルは顔が引きつり冷や汗を垂らした。一応、平然を装って訊いてみる。
「あのじいさんって元法務副大臣のヴァウカーダのことですか」
「そうだ。まさかミーファ、昨晩、会ったりしていないだろうな」
「いえ」
ミーファディルは力いっぱいに脇を閉め、静かに食べる。
(や、やっぱりルマーダがやったんだわ。あの『目を閉じてて』の時。間違いないわ。もしバレて取り調べを受けたら、アタシのことも喋っちゃうかもしれない)
オルトロスはエポニーヌを見る。
「ヴァウカーダには一定の支持層がいる。公式見解では、歓楽街で飲んでいた一般人が廃墟に迷い込んでノクーヴェにやられた、という形にする。ヴァウカーダの死はあとでこちらから発表するので伏せておいてくれ。特に女狐には注意しろ」
「はい」
(いつもの病死扱いね。そのあいだにこっそり犯人探しをするのがお兄さまのやり方……)
「あのお兄さま、犯人探しをするならアタシがやります。指揮権をください」
オルトロスとエポニーヌが瞬きを繰り返して驚いてしまった。ミーファディルは怪しまれたと思い、肝を冷やした。
「そこまでする必要はない。いつも通り討伐隊に巡回させればいい。それとも、昨日遊んでいた証拠でも消し去りたいのかな」
「本は所定の位置に戻しました。心配いりません」
「国のために働きたいと……。ミーファさま、さすがです」
ミーファディルに皮肉を言いたかったオルトロスだが、エポニーヌに続けられ、軽く溜め息を吐いた。
「エポニーヌ、朝からご苦労だった。君にはいつも感謝している」
一瞬だけ僅かに頬を赤く染めたエポニーヌが、キリッと顔を引き締め、「それでは、失礼いたします」と言って出ていった。
(本当はイチャイチャしたいくせに。アタシはあの人をお義姉さんなんて呼ばないから)
「ミーファディルッ」
「は、はい」
「明日の演説で、実質的な戦争の終結と孤児の番号制度、以外に、ノクーヴェを徹底的に非難しろ。奴らは腐りきった、人の心さえ捨てた悪魔だ、全員を完全に抹殺してこそ平和が紡げるのだ、と」
ミーファディルは慌てて振り向くと、背後にいた若い侍女が微笑んでタブレットを見せた。先ほどの言葉がメモされており、ミーファディル宛に送信された。
ミーファディルは体をまさぐり、ガッカリする。端末を忘れたようだ。
「その、孤児を番号で呼ぶというのは、アタシ、納得できないといか」
「国の施設を拒む彼らに、どこまで人件費をかければいいと思う。居場所と数さえ把握できればじゅうぶんだ。在庫管理と一緒だ。無駄は省いた方がいい」
オルトロスは席を立った。通路で待っていた別の侍女が近づいていく。
「王さまがお目覚めです」
「そうか。すぐ行く」
オルトロスの姿が見えなくなると、若い侍女がミーファディルの横にきた。ミーファディルの汚れた口を拭うと、心配そうにオルトロスの行方を眺めた。
「毎日毎日熱心ですね。王妃さまが死んでから寝たきり状態と聞きますが」
ミーファディルは、子ども扱いしないで。口ぐらい自分で拭くわ、と不満を口にして腕を組んだ。
「新人のあなたには忠告しておく。誰も、踏み込まれたくない秘密があるの。この件には一切触れないで。露呈すれば、代償は命よ」
侍女は青ざめ、慌てて話題を変える。
「そ、その、ノクーヴェって、どうしてこの国に襲ってくるのでしょうか? 元は民主国家で人間が住んでいたと習いましたが」
ミーファディルは、パンをちぎって食べると、
「同じ大統領が四十年も務めたライエール共和国。実質的な独裁国家。突然現れた蝶の化け物が、大統領府を占領し権力を掌握。共和国から帝国へ名前を変え、世界征服を目論み、南に侵攻した。あなた、これは小等部で習うことよ。それとも同時期に習うアウス・エーヴィス物語に夢中で覚えてないのかしら」
「も、申し訳ありません。その、彼らにも心があるのではと思い……」
ミーファディルはフォークを置いた。
「彼らに人の心なんて無い。姿を見たことがあるでしょ。あの黒光りする目、気持ち悪い触手のような長い舌、蝶の化け物よ。しかも腕を剣に変えられるのよ。体は頑丈だし、ピストルは弾かれるし、悪魔よ悪魔。あんな奴らの中に人に優しいノクーヴェでもいたらアタシがノクーヴェになってあげるわ。いい? アタシたちの最大の目的は、ノクーヴェを滅ぼすこと」
「でも彼らのおかげで、王家の権力が復活してきたじゃないですか」
ミーファディルは強烈に侍女を睨んだ。
「ふざけた言い方しないで。議会の承認を待って軍を動かして、どれだけの国民が死んだと思っているの? お父さまもお兄さまも、迅速に行動して国民の不安を取り除いただけ。数年前に完成した国境の防衛システムだって盤石だわ」
防衛システムとは、ライエール帝国との国境に沿って作られたもので、東の山脈を破壊して作った断崖絶壁、西の河川改造をした人工運河が固めている。中央は、八十メートルの灯台が建っていて荒野の続く大地を監視し、さらには高さ三メートルの壁が、東の断崖絶壁、西の人工運河まで続いている。ノクーヴェが東西のどちらかを越えるには消耗戦を強いられ、中央を突破すると、大規模な軍、特に対ノクーヴェ用の剣、フルクスソードを所持する討伐隊が待ち構えており一網打尽となる仕組みで、そのすべてをひと括りにして防衛システムと呼んでいる。
「は、はい。あ、でも防衛システムの手前には大きな荒野がありますよね。それを乗り越えてやってくるんですよね」
ノクーヴェの住むライエール帝国とフェングニス王国のあいだには、大陸を分断するように荒れた大地が広がっている。これは約四〇〇年も前の戦争が原因だった。位置的にはすぐにでも自然が回復しそうな所だが、戦争当時に使われた兵器、その後の兵器実験施設への転用、領土問題による北方の小国同士の戦争が発生し、死の大地となってしまった。
「今は、少しずつ緑が回復しているわ。そういう所に隠れながら、距離を縮めてくるのよ」
「そ、そうですね。入口で待ってます。ごゆっくり」
侍女が出ていくと、大食堂に一人になったミーファディルは笑顔になり、食器の音を立てて豪快に残りの朝食をかきこんだ。
オルトロス王子のほうは、エレベーターで城の最上階にきた。飾り気のない黄土色のレンガで造られた通路を歩いていると、女性が腕を組んで壁に寄り掛かっていた。
「ジョルヴェリーナ報道局長、ここで何をしている」
スーツ姿で、目が切れ長で、凛々しい顔立ちの女性が顔だけ向けてきた。金髪で、コバルトブルーの瞳、化粧は薄く、見た目の年齢は二十代後半とも感じられるが、実年齢は三十五歳。名はジョルヴェリーナ・ミッデンヴォール。親しい間柄にはジョルヴェで通っている。
「もちろん王さまの現状を把握し、報道するためです」
オルトロスはジョルヴェリーナの横で止まり、顔を向けずに答える。
「前にも注意したはずだ。越権行為だぞ」
「あなたが私をナーバリ社から引き抜いたのは、真実を報道する姿に大いに共感したからでは?」
「相変わらずの減らず口だな。もう戻れ。父に変わりはない。ノクーヴェに関する報告は一報を入れる。それとも父子が朝の挨拶を交わすのがそんなに楽しみか?」
「ええ。言葉の節々に隠れた情報を含んでいる話し方が、まるで宝石のようにとっても輝いています」
ジョルヴェリーナとオルトロスは互いに睨み続けたが、まもなくして兵士がやってくると、オルトロスが顎をしゃくり、ジョルヴェリーナを丁重に連れだした。
(あの女狐め)
オルトロスは進んでいき、突き当りを右に曲がると、見張りの兵士がいる扉の前にきた。敬礼する兵士に頷くと扉を開ける。
そこは六帖ほどの部屋で、キッチン、シャワールーム、暖炉、テーブルにテレビがあり、窓際のベッドには、白い髭で顔が覆われた小柄な老人が目を閉じて横になっていた。
オルトロスは横歩きで入っていく。
「父上、ワタシでございます」
「オルトか。例の物は見つかったのか」
老人、ニヒト・ソブル・アルトゥーゼ国王は、目を開けずに答えた。
「いいえ。ですが、今月初めに逃亡していたノクーヴェの第八皇子を討ち取り、皇族はすべて殲滅いたしました。ライエールの帝都を我が手中に治め、暫定政権を利用しながら今後は掃討作戦をもって、奴らを一匹残らず殲滅し、口を封じてみせます」
「お前には尻拭いさせるようだが、先代の築き上げた礎だ、決して露呈してはならん。もしもの場合は、全世界を武力で制圧しなければならないことになる」
「承知しております」
「最近の政治家や有識者、経済界の人たちはどうだ?」
「ノクーヴェとの戦争が始まってからの統計では、今年に入って、犯罪や汚職の件数は過去最高を記録しています。戦争は終結したようなものですから、また緩みが出たのかと」
「そうか。ワシの命も、もうすぐ果てようとしている。ノクーヴェのあとに関しては、すべてお前に託そう」
「お任せください。ワタシの代で、必ずや成し遂げてみせます」
「頼む」
「母上にも良き報告ができるよう、善処します」
ニヒト国王は天井を見上げた。
「花壇の花を手向けてやってくれ。あれを見るのが好きだったからな」
「承知しました」
「そういえば、ギャンダルはどうしている」
「現在、討伐隊の東部方面司令官を任せています」
ニヒト国王は、口元に安らかな笑みを作った。
オルトロスは敬礼をして部屋を出た。通路を歩いてエレベーターの前に来たが、下に向かっている最中だったので階段を使うことにした。
踊り場で窓の外を眺める。
「ふう。あのような放蕩息子が義兄とは。呆れる」
カラスが目の前を横切り、急に滑空した。
森の中で、クリーム色の髪の少女、セルマが驚愕していた。視線の先には山のように黒い物体が動いていた。
「あの化け物は、いったいなんだ」




