第二章 アウス・エーヴィスを目指して⑥
同日、同時刻、小さい月だけが雲に隠れた夜。大陸北東部、ライエール帝国。
壊れた石造りの街並みが広がる、明かりの少ない首都中央部。
その中心部、二枚の昆虫の羽根が描かれた国旗が立つ、横に広い旧議会議事堂がある。それは現宰相府であった。
その宰相府、国務大臣室から会話が聞こえてくる。
「結局のところ、我々帝国は崩壊、ノクーヴェは全滅ですか」
落ち着いた女性の声だ。
室内の大臣席には、人間となんら変わらぬ妙齢の女性が座っている。黒髪のロングで顔立ちは端整、お淑やかという言葉が非常によく似合う人である。名をフローラ・フォン・ヴァルシュタインと言って、東部の海沿いに土地を持っていた古くからの名家である。
ヴァルシュタイン家は元貴族でこの大陸に古くから存在し、身分制度時代、産業革命時代に伯爵の地位を維持し続けていた。民主共和制時代になって貴族という地位と領地を国に没収されたが、新政府との裏取引を成功させ、民間出身の閣僚という立場に就いた。その後も揺るがない地盤を築き、独裁大統領時代には国防長官となり国を引き締め、ノクーヴェが登場すると、情勢を見極め、言葉巧みに双方を誘導し、議会議事堂を無血開城させ、国をノクーヴェに譲った。
話術、手腕は一定の評価を得つつも、日和見主義で佞臣である、と言われるようになり、今回もフローラの父がオルトロスと取引した。帝城を解放し焼き払い、ノクーヴェ皇帝に自害を迫り、逃げた残りの皇族をノクーヴェ討伐隊と連携して殲滅し、現在の地位を得た。
だが、オルトロスは、日和見主義はふたたび裏切るとしてフローラの父を殺害し、辺境に隠れていた何も知らぬ娘、フローラを二十歳という若さで暫定政権トップ、国務大臣兼宰相という立場に就かせた。
「どうされます、お嬢さま」
向かい側に立つ男性は、スーツを着た秘書官、というよりはボディーガードという言葉の方が合っている、体躯のよい、強面で額に皺の寄った、短い白髪の老人である。
「分かっていたことです。表向きは媚び諂いますが、心まで捧げるつもりはありません。オルトロスはいつか始末します。我々は好きでノクーヴェになったわけではありません。戦いたいノクーヴェと、そうでないノクーヴェが存在しているというのに、見た目だけで判断して、許せるわけがありません」
フローラは顔に怒りを表さず、淡々と言った。
「やはり一刻も早く取引材料を探しだして、共存、内政自治権の確保をせねばなりませんな」
「皇族を討伐し、いっときとはいえ忠誠は誓った。それとも、見抜かれている、ということでしょうか」
「あのお二人の偽装死体は完璧です。おまけに崖へと転落させましたので調べようがありません。この秘密は絶対に守られます」
「…………」
フローラは視線を逸らして下を向く。下唇を噛む姿には、過去という言葉を孕んでいた。
「お嬢さま、皇族の討伐は、首都に住むノクーヴェを襲わない条件として受け入れたものです。忠誠を誓っても次の条件が出てきます。我々にとってフルクスソードは弱点です。小さな傷ひとつ許されません。必ず、無理難題か滅亡かの要求を突き付けられます」
「では、どうしたらいいと思うのです?」
「例の物です」
「シュルスに頼んだ件、ですか」
「はい。アイタスの歓楽街に入り込んで捜索を続けていますが、我々も捜索の範囲を広げ、フェングニス王家より先に見つけることです」
「分かりました。密かに依頼しましょう」
「それと、国境の村が壊滅した件はどうなさいますか。噂が本当なら……」
「一応の捜索だけしなさい」
「はい」
秘書官が去っていくとフローラは、窓に向かい、星の瞬く夜空を眺めた。
「私も、何も知らないほうが幸せでした」
* * *
数日後。六月十一日、フォースタスクデー。もうすぐ日付が変わろうとする夜の十一時。
そこは窓の無いどこかの研究施設。民家のひと部屋がすっぽり収まりそうな巨大な水槽が二つあり、そこに黄色の濁った液体が入っていた。
施設の隅で、緑の作業着を着た、紫の髪の、猫背になっている白縁眼鏡の老人が、オルトロスと会話をしている。
「グナタス教授、新しいブリューが完成したと聞いたが」
老人、グナタス教授が、黄色い液体の入った試験管をオルトロスに見せた。
「こちらでございます。殿下。今度こそ、ご期待に添える結果になるかと」
「人々はあまりノクーヴェを恐れなくなったからな」
試験管に触れようとしたオルトロスだが、端末が鳴り、チェックする。近衛隊長エポニーヌからだ。
〈ギャンダル殿下をお連れしました〉
「教授、またあとで顔を出す」
オルトロスは研究室を出ると、煙のように姿を消した。
その後、オルトロスは一分足らずでエパルノーマ城の三階、西側、奥から三番目の部屋にやってきた。入口には『国王 執務室』と書かれている。オルトロスは小さく溜め息を吐いて中に入った――直後、鼻をすぼめて苦い表情を浮かべた。室内が煙で濁っている。
「おお、我が愛しの弟よ」
左側にあるソファーに、茶髪でおかっぱ頭の髪を掻き上げるギャンダルが座っていた。タバコを吸い、足を組み、その部屋の主人のような横柄さが溢れかえっていた。
右の隅で立っていたエポニーヌが二人に頭を下げて出ていく。
オルトロスはギャンダルの顔を見ずに奥にある机、その後ろにある窓に向かい、夜景を数秒眺めて窓を開ける。何も言わず机に戻り、腰を下ろすと、孤児管理計画と書かれた書類を取り出した。
「ギャンダル、この前の件、証拠が集まった。お前の処分を伝える」
「おいおい。お兄さまにお前はないだろう。小さい頃はよく遊んでやったのを忘れたのか」
自分に向かってくる煙を書類で仰ぐと、表情を見せないよう反対を向いて固まる。数秒後、オルトロスは書類を眺めながら答える。
「いいや。だからここに呼び寄せた。寛大な処置をする」
「たかが民間人への暴力だろ。また誤魔化せよ。国が今、一つに纏まろうとしているんだ。小さな火種には蓋をして消えるのを待つのが正確なんだぜ」
ミーファディルの演説後、犯罪件数は急激に減った。国民は、王家に絶対的権力を与え、一丸となってノクーヴェと戦い、善政を敷いてもらおう、と士気が高まりデモが各地で行われている。
「勘違いするなよ。謀反の企てだ」
ギャンダルが歯茎を見せて怒り、オルトロスの前にきた。
「なんだと。ふざけるな」
タバコが机に落ち、ギャンダルが拾おうとしたが、オルトロスはコップの水をかけて水浸しにした。
「その民間人を襲ったナイフに疑問があってな。調べたところヴァウカーダが会長を務める刃物店で作った物だった。それもヴァウカーダの許可がなければ作らないもの。どういう理屈か調べていたところ、このような文章が出てきた」
オルトロスは懐から一枚の手紙を取りだした。
ギャンダルは奪うように取って読む。
〈現在の王家は腐っている。あの若者では無理だ。新しい政治を行うにはギャンダルさまに実権を握ってもらう必要がある。まず、演説後のミーファを人質に取り、ギャンダルさまがそれを救うことで地位を上げてもらう〉
焦りと怒りにまみれたギャンダルは手紙を机に叩き付けた。文章はすべて活字だった。
「こ、こんな、でっち上げな文章なんか誰が信じるかッ。だいたいな、こういうのは手書きなんだよ。ヴァウカーダはどうしている。アイツを呼べ」
「爺さんは死んだ」
「何?」
オルトロスはギャンダルを睨み付ける。
「それも謀反の企てがバレて自殺した。遺書にはギャンダル一派を見逃してほしいとあった」
「ふ、ふざけやがって」
「寛大な処置をすると言っているだろう」
ギャンダルはオルトロスを指さして怒った。
「騙されないぞ。そんなでっち上げ。証拠を掴んでキサマの嘘を暴いてやる」
数秒間、睨み合いをし、オルトロスは扉を見る。
「ジョルヴェリーナ局長。入りなさい」




