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『蝶は灰国に沈む』 終戦奇譚——二人で一人の旅路  作者: 紅音・フィオ・カワハギ


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第一部 序章 レインとノクーヴェ

 雨が激しく降り、雷鳴が轟く夜。

 ハーフ・ティンバーの建物が広がる都会。仄明るい暖色系の街灯は、湿度の影響でぼやけて拡散し、ろうそくのように辺りを照らしている。

 直後、ピシャンッと稲光がどこかに落ちて、街全体が真っ暗になった。行き交う車の明かりだけが不気味に街を照らす。

 街の北側、入り組んだ路地裏に黒い物体が着地した。

 それは頭部が丸みを帯びた物体で、足元に向かって扇状に広がり裾がゆらゆらと揺れている。真っ黒い幽霊とでも言えば一番ふさわしいのかもしれない。

 その黒い物体はほとんど何も見えない暗闇のなか、周囲を見回すように体を一回転させたあと、人のように走りだしてメインストリートに出た。そこは車が水しぶきを上げて往来している。

 黒い物体は、車に合わせて走りだして追い抜く。

 まもなくして辺りに街明かりが戻ってくると黒い物体は隠れるように路地裏に曲がった。走るスピードを人並みに緩め、細い道を進んでいくと石畳の通りに出た。ちょうど角の建物だけ突きだした屋根があり、そこで雨宿りする。

 激しい雨が急速にやんできて、街明かりが黒い物体の正体を晒す。

 それは黒いゴミ袋を被った二足歩行の何かであった。まだ不気味だが、ゴミ袋が持ち上がって、華奢な手が現れ、伸ばして雨の様子を確認する。小雨で軽く濡れる程度だと分かると、ゴミ袋を脱いだ。

「ふう」

 ようやく姿が現れる。土に汚れた真っ黒の運動靴に、建設現場の人が穿いていそうな裾がぶかぶかの黒いズボン。上は首までファスナーをしめた無地の黒い長袖ジャージ姿で、頭には黒い帽子を被っていて髪型が隠されており、黒さに変わりはなかった。

 その分、顔が目立った。

 ややつり目で瞳が赤く、肌は白い。目も鼻も非常によく整っている。ただ、性別の判断は難しかった。カッコいい女子、または、可愛い男子と言われても納得できるほどだ。背格好からすれば十代半ばといったあたりだろう。

 まだ遠くで雷鳴が聞える。黒い格好の人は近くのゴミ箱にゴミ袋を捨てて雨宿りに戻る。足元に視線を落とす。

(そういえば、あの日も雨だった……。待っていろ。必ず生き返らせてやる)

 目を細め、過去を思い返す。

 ――オイラ、死んじゃうみたい。

 どこかの森の中、先ほどの天気と同じ雨。

 地面に横たわるクリーム色の髪をした幼い男の子が手を伸ばしてくる。

 ――こんなのは神さまのいたずらか何かだ。待っててくれ。必ずアウス・エーヴィスに会って、助けを求めるから。

 男の子は、安らかな顔をして目を閉じる。握った手は徐々に冷たくなっていった。

 雷鳴が響いた。

 黒い格好の人は、記憶を振り払おうと目を強く閉じて小刻みに首を振った。

(どうして。どうしてあんなことになったんだ!? どうしてッ)

「どうしてこんな所にいるの」

 黒い格好の人は驚いて目を見開き、体を震わせ身構えた。が、目の前の人物を見るなり、肩の力が抜け、顔も冷静になっていく。

 目の前にいるのは同じ身長の、銀髪とインナーカラーが赤い、やや長めの髪をした、華奢でたれ目の、可愛げのある顔立ちをした少年だった。これで猫耳でも生えていたら頭がくしゃくしゃになるまで撫でたくなるほどだ。一方でその顔立ちを台無しにするほど身なりは悪く、ねずみ色のズボンの膝には継ぎ当てがされており、緑色のシャツは色落ちし裾が破れてぼろぼろ、おまけにずぶ濡れで水がぽたぽたと落ちている。灰色の、何かの欠片のようなペンダントをしている。

 黒い格好の人は、蔑むような目で少年を見る。

「お前は、雨も滴るいい男、とでも言ってもらいたいのか」

「うん。あ、ち、違うよ。そ、それより部屋に戻ったら?」

 少年は頬を赤らめていた。

 黒い格好の人は首を傾げて辺りを見回す。向かい側はすべてホテルが建ち並んでいる。宿場町のようだ。歩く人は見かけなかったが、ホテルから青い軍服の二名が出てきて「こんな時に仕事かよ」と文句を言いながら路地裏に消えていった。

「この街に来たばかりだ。それにお金もない」

 少年は目を閉じ、腕を組んで五秒ほど悩むと、何かに閃いて目を見開きニコッと笑う。

「それなら大丈夫。この中、へっくしゅん。ああ、早く夏にならないかなぁ。に入ろう」

 訝しげに少年を見た黒い格好の人だが、少年に腕を引かれて目の前の建物に入る。黒い格好の人は見ていなかったが、入口の看板に『パラシド』と書いてありコーヒーカップのマークがあった。

 店内は縦に長く、右の壁側がカウンター席、左のアーチ状の窓に沿ってテーブル席が奥まで続いている。雰囲気は、電球の優しく包み込むような明かりと、木造の気取らないテーブルやイスなどの家具、わき役として適格に配置された観葉植物、そして微かに漂う紅茶の匂いが安穏という世界観を演出していた。現在、客はいない。

「どういうつもりだ。お前が金を払うのか? 何が狙いだ。そうやって懐柔しても無駄だ」

 黒い格好の人は袖をまくって、少年の胸元を掴んだ。

「そ、そんな怪獣みたいに怒らないでよ。ボク、悪いことなんか企んでないよ」

 騒ぎ立てたせいでカウンターにいた店主が気づいてやってきた。厚化粧のせいで見た目は中年。ふくよかで、やや強面。三角巾とエプロンがその雰囲気を和らげている。

店主は少年を見るなり眉をつり上げた。

「レインっ、あんた、どこをほっついていたんだい。まったく」

 少年、レインは、胸元にある黒い格好の人の手を、両手で優しく包んで下ろした。

「時計の針はまだ八時。それよりラーガさん、お金貸して。二千ミラルでいいから」

 店主、ラーガ・ペトラヘスは壁の時計を見る。九時だ。ラーガは歯ぎしりして怒りを表すとテーブル席にあるメニュー表を掴んで投げつけようとしたが、大きな溜め息を吐いて静かにメニュー表を戻した。

「いきなり顔を出して金かい。どんどん悪い道に進むね。ダメだよ。あんたがここで働くって約束をしない限りね」

「やあだ。ボクは誰にも見つかりたくないし、ここに来るまではちゃんとした道を、いい道を歩いてきた」

「はぁ。困った子ね。で、その子は? まさか歓楽街に紹介しようってんじゃないだろうね」

黒い格好の人はレインを睨んだ。

レインは軽く笑い両手を広げて答える。

「無理だよ。お金にならなさそうだし。そこで雨宿りしてたから中に入れただけ」

「ホントかしら」

 言い終えた直後に、黒い格好の人の腹部からグウゥウきゅるるるゥと、助けを求める悲鳴が鳴った。

「そうそう、この人、お金もないんだって」

 ラーガの厳しい表情が緩むと、黒い格好の人を見て呆れながらも微笑む。

「どこでもいいから座って」

 すると一目散にレインがカウンター席に座った。

「あんたじゃないよ。そこの子。で、レイン。どうせあんたはまたどっかに消えるんだろうから、一つお願い。ミディを探して。さすがに帰りが遅いんで連絡がきちゃったの。もしもの事があったら知らせてくれればいいから」

「やあああだ。あのお転婆は怒られたほうかいいんだっ」

 ラーガはカウンターに戻り、何かを探しながら話す。

「バカなこと言ってないで、様子を見てきてくれない? あの子が遅れるなんて、孤児たちのところでノクーヴェと遭遇したのかもしれない」

 黒い格好の人はカウンター席に座ろうとしたところで体をピクッと震わせた。

「はいはい。それはとても大変なことで」

「あんたはまだ子どもで泣き虫で弱虫でおねしょ小僧で勉強もせずに遊び歩いて世の中のことなんか全然知らないのかもしれないけど、ノクーヴェには――」

 頬杖をついていたレインは顔を急速に真っ赤にして、テーブルを叩き、立ち上がった。

「ストップゥゥウウ。言い過ぎ。ボク、怒るからね。だいたいノクーヴェを知らない人なんてこの国にはいないよ。残虐な殺人悪魔。多くの人が殺されて、対処できるのも討伐隊の剣だけ。普段は人間に化けているけど、本当の姿は恐ろしい昆虫化け物。あの荒野を乗り越えてやって来るんだ。それくらいボクだって知ってるっ」

 必死に威張っているというのに、子猫がにゃあにゃあと騒いでいるように可愛げある。

 ラーガは黒い格好の人の前にミルクティーを置くと、奥の部屋に向かい、叫ぶ。

「それだけ危険な相手に遭遇したかもしれないから、様子だけでも見てきて」

「ボクがノクーヴェに何かできるわけないでしょ。そもそも出くわしたって逃げだすし。でもミディには討伐隊に知り合いがいるでしょ。それに子どもたちが死ねば、ミディも思う存分戦えるから我慢だよ」

 黒い格好の人は、カップを手にして固まる。

 ラーガが血相を変えて戻ってきた。

「レインッ、なんてことを言うの。あなただってミディにはお世話になったでしょう。せめて様子だけでも見てきて。それからこのパンも持っていってちょうだい。子どもたちもお腹を空かせているかもしれないわ。お願いよ」

 ラーガはレインの前に、白いパンの入ったビニール袋を置いた。

「じゃあ、パンだけもらう。いてっ」

レインは、伸ばした手を叩かれ、不満そうな顔で自分の手を撫でた。

「無事に戻ってきたらお小遣いもあげるから、お願いよ」

「うううう。で、目星はついてるの?」

「たぶん、東北東の廃墟、アリクスの十三と十四だと思うの」

「どうする、ボク……。ノクーヴェに出くわして殺されるか、ミディがお昼寝の延長をしているだけで、簡単にお金をもらえるか。どっちなんだ」

 レインが頭を抱えていると、黒い格好の人が立ち上がって手を差しだした。

「行ってやる。タダ飯にありつこうなんて気が引けるからな」

レインとラーガは驚いたが、レインがラーガにボソリと、そこにいたんじゃない? と呟く。

「じゃあ、お願い。子どもたちにパンを届けてやって」

 黒い格好の人はパンの入った袋を受け取り、外にでる。

 雨は完全にやんでいた。大きさの違う二つ月が雲から姿を現す。

歩き始めると、慌てた様子でレインがやってきた。

「ボ、ボクも行くよ。お金がもらえなくなっちゃう」

「あの女から監視を命じられたのか?」

 レインは頭を抱えた。

「はあああ、違うよ。行動は一人より二人。ありがとうのひと言もないなんて、そんなんじゃ嫌われるよ。ボクはね――って、あ、いない。どこ? うわあああ。お金が消えたぁああ。泥棒だああ」

 叫び声も虚しく、辺りに人の姿はなかった。




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