第二章 アウス・エーヴィスを目指して③
セルマは立ち上がって窓に向かう。曇り空の隙間から地上に光が伸びている。その光に想いを託すように呟く。
「……弟を助けてくれって」
(じゃあ、セルマのレヴニールって弟くん?)
(なぜお前が知っている)
(あ、ええっと)
(言え)
(壊れた教会で起きたら、セルマが、レヴニール、レヴニールって呟いていた)
(なっ)
恥ずかしさにまみれ、カーテンを握って堪える。
「ふうん。施設にでもいたの?」
「いいや。なあ、施設の何が怖いんだ?」
「…………」
反応がないので振り向くと、アストは顔を逸らした。
「すまん。気が向いたらでいい。その時に話してくれ。さあ、休憩終わり。仕事だ」
「待って。注文は僕が聞く。お兄ちゃんは料理を覚えなよ。丁寧に喋るってのを教えてあげる」
アストは胸を張り、先に階段を下りていった。
(ぷっ、くくくくく。カッコつけセルマ、アストくんに気を遣わせる。アスト先生、どうかご指導のほどよろしくお願いします)
(黙レイン。私だって丁寧に話すことくらいできる。でもそしたら女だってバレるかもしれない。気障な振舞いをしていればバレることはない)
(そもそもさ、噓つきセルマ、その設定に問題があるんだよ)
(バレなきゃ問題はない)
店内に戻ると、ラーガが入口で誰かと話していた。入口の札はまだCLOSEである。どうやら配達の男性らしい。話を終えるとラーガは紙袋を持って戻ってきた。
「ルマーダ。ほら、携帯端末よ。インカムアプリも入っているから。あとで使い方を教えてあげる」
中から取りだされた黒い携帯端末を受け取ったセルマは、
「いらねえよ。ほら、アスト、お前にやる」
アストに軽く、ぽーんと投げた。
「わあい」
アストの屈託のない笑顔を見るとセルマも心が温かになった。
(どうしてラーガさんを見ないの)
近くで大きな溜め息が聞こえた。
(世の中には、見てはいけないものがあると教材に書いてあったのを覚えている。確か、見ざるが花)
(噓つきセルマ♪ 噓つきセルマ♪)
(いや、反省している。自分で言って恥ずかしい。まるでレインみたいだ)
入口で、客が勝手に札をOPENに変えて入ってきた。まだ二時五十五分である。
若い男性だ。黒縁メガネを掛けた、たれ目で面長。茶髪のロングを後ろで束ねている。ラフな服装で鞄を抱え、片手には本を持っている。
「レモンコーヒーサイダーを一杯いただけるかな」
アストが急に冷や汗を流し、腹痛を訴えて二階に上がっていった。
(アストのやつ……)
セルマは入口付近の席でメニューを確認する。レモン、コーヒー、サイダーは単独で存在している。
「いや……ねえものは頼めねえな」
(はあ。ボクが一日でこんなに溜め息を吐くなんて)
ラーガがカウンターから叫ぶ。
「ああ、ルマーダ。その人はいいの。考古学の先生であたいの知り合いなのよ」
「また、雇ったのかい?」
茶髪の男性はそう言いながら人目に付かない角の席に向かった。
「ミディの推薦もあってね」
呟くように言ったラーガの言葉に反応して、茶髪の男性がセルマに顔を向けると、徐々に目を細めていった。
セルマは胸が高鳴った。軽く胸に手を当てる。
(へぇ、ひょっとして、タイプ?)
(違うっ)
茶髪の男性は何事もなかったかのように、腰を下ろして読書を始めた。
カウンターに戻ったセルマは、驚きのあまり強烈に目を見開いた。
(え、こ、これは)
ラーガがコーヒーカップにシュワシュワシュワシュワと炭酸水を注いでいる。まさかと思って近付くと、カップの中は地獄の湖だった。黒い液体の水面にブクブクと泡が浮かんでくる。そこに黄色の羅針盤、レモンが落とされ、混ざった匂いが吹きあがった。
セルマは固まっていた。
「どうしたの。早く運んで」
レモンコーヒーサイダーをトレーに乗せ、急ぎ足で茶髪の男性の前に運んできた。また勢いで行動してしまいそうだったが、目の前で静かに読書している姿、とくに微かに動くまつ毛を見ていたらすぐに冷静になった。
(レイン、なんて言えばいい?)
(お前を血塗れにしてやる)
「おま……を……ほらよっ」
焦ったセルマはテーブルにガチャンッと置いた。茶髪の男性はぴくっと肩を震わせてセルマに顔を向けた。怒っているのか、ただ見ただけなのか判断が難しい顔をしている。
(ほら見て、ラーガさん、ずっと背中を向けたままだよ。大激怒だ)
(くっ。肝心なところでいつもお前はっ)
(大人は嫌いなんでしょ)
(くっ、黙レイン)
「これ以外の注文はしてないけど」
茶髪の男性に言われ、セルマはカウンターに戻ろうと踵を返した。そのタイミングで他の客が入ってきて、セルマは胸を締め付けられ、背を向けた。
客はノクーヴェ討伐隊と王国軍が二名ずつ。その中に知った顔が一人、カームがいた。
四人は店内中央の席に座る。討伐隊の二人は白のロングコートを脱いで手で仰いだ。
(もう殲滅作戦? セルマ、バレちゃったみたいだね。最初の孤児か、アストくん? ミディって可能性もあるね)
(くっ。用意周到だったというわけか。あいつらがラーガに知らせ、ラーガが私に優しいふりをして引き留めた。騙された。目を閉じていろ、なんて甘かったか)
セルマは逃げ場を探していたが、カームが気づいて近くにやってきた。
「あ、やっぱり。なんだぁ。はっきりここで働いていると言えばよかったじゃん」
(私はセルマ。あなたの自転車に小石をぶつけた不愛想なカラスよ)
レインに反応できないほど焦っていたが、とにかく怪しまれないようにと、
「あ、ああ」
返事だけした。カームをちらりと見ようとしたら、ラーガが視界に入った。厳しい視線でセルマを睨んでおり、焦りが募る。
(あの目は、なんだ? 注文のことか、それとも、ここで一戦交える直前なのか、どっちなんだ)
冷や汗が流れてくる。
レインのほうは、考えすぎだなあ、と呆れていたが、何か思いついて不気味に口元を曲げた。
(ミディが街灯を腕だけで登ったのは『アタシと戦ったら痛い目を見るわ』という警告だったんだ。そしてどこにいても追跡できるように携帯端末を持たせようとした。でも、セルマは持たなかった。そう考えると、相手も用意周到にセルマを討伐するかもしれない)
(そんなっ)
セルマは恐怖に一瞬震え、肩に力を入れた。
――くそっ。あれは枕の下だ。今あの光を腕に当てられたら終わりだ。
レインは必死に笑いを堪えた。
――ボ、ボクは超一流の俳優だったんだ。くぷぷぷ。
(あのヘンテコ飲み物を頼んだ男を人質にして逃げなよ。討伐隊がいるんじゃ、さすがにここで暴れても瞬殺だよ。ボクの目的も果たせなくなっちゃうし。まずは、何食わぬ顔で注文を聞いて、出来上がるまでにヘンテコ男に近づくんだ)
確かに隙はそこしかないようだ。
(分かった。覚悟する)
安穏とした雰囲気のなか、セルマの視線だけがあちこちに動く。
(襲撃っていうのは〝予想外〟が肝心なんだ)
(そうだ。だから今は、辺りに特殊な雰囲気がまったくない。至って正常だ。しかし、このまま動かなければ、事態は取り返しのつかない状態になるかもしれない)
セルマは顔に多少の笑顔を纏わせて、カームたちのいる席にきた。
「ご注文は?」
もう一人の討伐隊が剣を握って立ち上がった。セルマは構えたが、その討伐隊は鞘から引き抜かず、壁にかけ、肩を回しながら席に戻った。
みんな笑顔であれこれ言いながらメニューを決める。カームが、先輩はあれっすね、これっすね、と言いながら、セルマに顔を向けた。
「じゃあ、ラウルのケーキ四つ。レモンティーが三つとコーヒーが一つ」
セルマはオーダー用紙に書き、カウンターへと向かう。討伐隊と王国軍は雑談を含みながら、巡回について意見交換を始めた。




