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『蝶は灰国に沈む』 終戦奇譚——二人で一人の旅路  作者: 紅音・フィオ・カワハギ


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第二章 アウス・エーヴィスを目指して②

『この度はお集まり頂きありがとうございます。アタシは、ミーファディル・ソブル・アルトゥーゼです』

 顔と声はお人形のように可愛らしいが、セルマは違和感があった。

(どうしたの)

(いや。なんだろう)

『長きにわたるノクーヴェとの戦争で我々は多くの悲しみを受けました。こんな戦争が続いて、四十年弱、ようやくライエール帝国中枢部からノクーヴェの皇族をすべて排除できました』

 直後、騒音極まりない大歓声と拍手がテレビから聞こえてくる。喫茶店内からも歓声と拍手が巻き起こった。

『実質的な終戦と言えるでしょう。これは間違いなく、今が歴史の転換点です』

 セルマだけは無言無表情で、先ほど手を上げた、蝶ネクタイ姿の、眼鏡をかけた、たれ目で優しそうな細身の中年男性に声をかける。彼は、向かいのホテルで働くトラディー・ツィトフェス、宿泊部門の支配人である。

「で、注文は?」

『ですが、それでも奴らは、反抗を続け、この国に潜伏しています。つい二日前も三名の一般人が、ノクーヴェの刺し傷を受け、殺害されたと報告を受けています』

(それってもしかして、廃墟でミディと会った時のセルマのこと? でも、あれは偉い人だったし、死因は違うはず)

 セルマの手が少しだけ震え、握り拳を作って耐える。

『昨日もノクーヴェが現れて子どもを襲いました。孤児を作り、復興を遅らせるのが、ノクーヴェの最後の抗いなのでしょう。孤児に関してはまた新たに番号制度の見直し、それによる業務の軽減、税金の削減に繋げますが、何より、一番の悪の根源はノクーヴェなのです』

「では、ハムサラダのサンドイッチをお願いします」

 トラディーは笑顔だった。

『ノクーヴェは腐りきった悪魔です。生物として最悪な存在です。奴らは人の心さえ捨てた、もはや害虫と同じ。我々はノクーヴェの全員を完全に抹殺してこそ、本当の平和が紡げるのです』

(違うっ。全部を同じにするなっ)

 表情こそ極限に抑えたつもりだが、手には力が入ってしまい、ペンを折ってしまった。

「あの、ハムサラダのサンドイッチを……」

「分かったよッ」

 口調荒く、不愛想に、いや、相応しく言うのであれば、ぶっきらぼうに答えた。

(あああ、またラーガさんに怒られるぅ。ムカついちゃった? なら暴れなよ。見た感じ、ここで暴れても君は楽勝さ)

『我々は真の平和を手に入れる時がきました。今月中に、時期国王であるアタシの兄、オルトロス・ソブル・アルトゥーゼは、ノクーヴェをこの世界から消し去るため、まずは国内の掃討、次にノクーヴェに侵された北部大陸を制圧し、国として併合します』

(くっ、くそっ)

『王家が全力を上げて、ノクーヴェをこの世から完全抹殺し、来月には恐怖の時代に終わりを告げ、国民の皆さまに、いや、世界中の人々に、平和を取り戻してみせますっ。すべては我らが神、アウス・エーヴィスのために』

 涙を見せ、雄弁を奮うミーファディル王女に、人々が続く。

『アウス・エーヴィスのために』

 静まり返った会場が弾けた風船のように一気に大喝采となった。喫茶店内も拍手が広がった。

(まさかまさかの大展開。セルマ、君の命も来月までだね。仮にアウス・エーヴィスに願いを聞いてもらっても全部が無駄。そうだ。お城に乗り込んで王子を殺して国を乗っ取れば? ああ。それがいい。さあ、セルマによるフェングニス王国制圧大会の始まりだ)

(黙れインッ)

 もはや最初の違和感は、怒りに何十にも塗りつぶされた。

(ボクはダマでもないし、インでもないっ。レイン黙れのほうが効いたッ)

 レインの冗談など犬に真珠、豚に論語。入れ替えてもまったく効果がない。握り拳からは血が滲んでいた。

 完成したサンドイッチを運ぶも、トラディーの前にガチャンと置いた。

「ほらよっ、サンドイッチだっ」

 トラディーはさすがに笑顔を消して眼鏡を直す。

「仕事上、感情的になることはあると思いますが、それでは何も得ません。もう少しで平和になります。そしたら君はもう一度学校に通ったほうがいいようですね」

(くーっ。ぷぷぷ)

 セルマは拳を作った。今にもトラディーを殴りそうだ。ラーガが先に気がついて、セルマの首根っこを掴んで無理やりカウンターに連れてくると、アストと仕事を交換させた。

「ついでに頭も冷やしな」

 怒りに満ちてガチャガチャと皿洗いをするが、冷たい水の感触が徐々に身体中に行きわたって、冷静になった。

(おっこられた、おっこられた、セルマはおっこられたぁ♪)

(黙れ、イン)

(あっ、わざと言った。まったく。ボクは本当のことを言っただけ。くぷぷぷ)

 レインを無視して黙々と洗っていると、カウンター席から話声が聞こえてくる。

「しかしここへきて一気だよな。今までの三十年はなんだったんだって勢いだ」

「やはり、王妃さまが殺されたのが大きかったんだろ」

「そうね。あれからよね。でも犯人はノクーヴェじゃないって」

 セルマは水音を静かにして聞き耳を立てる。

(ふん、この国の王妃はふざけたやつだな。あんな子どもら生むなんて)

(黙ってやりなよ)

 レインの口調が怒りを含んでいる。

(なんだ、お前は王妃のファンか?)

 レインは黙った。

 セルマは顔を上げて皿を拭きながら、カウンター席の客に訪ねる。

「どんな理由で王妃は殺されたんだ」

 カウンター席の客たちが驚いて、一瞬だけ顔を見合わせたが、その中の無精ひげの男がセルマに視線を合わせて答える。

「犯人は『自分たちの生活が苦しくなったのは、汚職を許さなくなった王家のせいだ』と、とんでもない言い分だった。が、それを機にこれまでの王家がしてきたことが露呈し、国民からの不満が続出した」

「どんなことが露呈したんだ?」

「税金の使い道や、宰相の選出の出来レースとか」

 カウンター席の他の客たちが続く。

「でもそれは王家に使える政治家たちだよ。正確には王家じゃないわ。政治家は大っ嫌い。ミーファさまとオルトロスさまは素敵な存在よ」

「まあ確かに政治家は悪質なやつが多いが、とは言っても、王家にもなんか裏がありそうだよな」

「オープンじゃないからな。秘密主義。子どもがノクーヴェに囲まれたとき、オルトロスさまがたった一人でノクーヴェを全滅させただなんて、すごいけど半面、疑問」

「うん。確かに王妃さまの死から、急に王家の快進撃が始まったんだ。これまで劣勢だったノクーヴェとの戦争を押し返した。実は王子が信頼回復のためにって噂もあるけど――」

「王家の話はそこまでね。近くに王国軍でもいたらあなたたちは殺されるわよ」

 最後はラーガが遮った。

 客たちは別の会話を始め、セルマも皿洗いに戻った。

 午後二時過ぎ、客たちは昼食を終えて去っていき、店内の客はいなくなった。

「アスト、残りの皿洗いをお願いね」

「はい。分かりました」

 ラーガがセルマの前にやってくると、セルマは胸元を掴まれて奥のリビングに連れていかれた。

「な、なんだよ」

「あんた、丁寧にって言葉、分からないの?」

(うん、ボクはセルマ。だってノクーヴェだもん、人間をこけにしてやる)

「分かってるよそんなの」

「あんまり酷いと、クビにするからね」

 カウンター席で昼食を摂ったセルマとアストは二階の部屋に戻った。

(やっぱりさ、セルマ、どのみち君は死ぬ運命なんだし、アウス・エーヴィスに会うよりも暴走して、どこか一帯を殲滅して占拠するのがいいんじゃない? そうだ、アリクスを襲撃しよう。子どもたちなら簡単だ)

(腐りきった悪魔? 害虫? 完全抹殺? あの王女、ふざけやがって)

(聞いてくれない。君は一ヵ月後に死ぬ運命にあるんだよ。黙ってやられるわけ?)

(…………)

 セルマはベッドに横になる。アウス・エーヴィス探しが期限付きになった。ノクーヴェ掃討は深刻な話なのだが、〝願いを叶えてもらい、遠くに逃げる〟その気持ちが強かった。

(アストくんの顔でも見て落ち着いたら?)

 セルマはアストを見る。アストはベッドの横、壁に寄りかかって床に座っていた。

「なぁ、アスト。アウス・エーヴィスはどこにいるか知ってる?」

「僕は身長が低いせいで子どもに見えるけど、十二歳、です。前にも言いました」

 セルマは戸惑った。アストが怒っているように見える。その理由が分からない。

(いないって誰でも分かるよ)

「いや、だってさっきの王女の演説でも言っていただろ。それから、敬語」

「確かに十二歳も子ども。……分かったよ。お望みの答えね。アウス・エーヴィスはお空にいて僕たちを見守っています。毎日お祈りしていればきっと願いを叶えてくれます。どう?」

 無表情で無気力な棒読みが帰ってきた。

(くくくくく。セルマたん。お祈りちまちょ)

(お前は黙ってろ)

「お兄さん、本当にアウス・エーヴィスがいるなら、殺された王妃さまを復活させるとか考えないの?」

 セルマは瞬きを繰り返した。確かにそうである。

「密かに生き返らせて、どこかに隠れているとか。それから、お兄さんじゃなくてルマーダお兄ちゃん」

 レインの溜め息が聞こえてきたと同時に、アストは目を据わらせた。

「それは、無いとは言いきれないけど……。でも、それなら、ノクーヴェを全滅させて世界を救ってほしいです」

(そうだそうだ。ノクーヴェを全滅させよう)

 これも確かにそうである。こうもアウス・エーヴィスを否定され続けると疑問が強くなる。セルマはポケットに手を入れた。何かある。チョコレートだ。

「さっき客からもらったんだ。食べるか?」

「え、はい。あ、うん」

 セルマはベッドの上でチョコレートを半分にして、精いっぱい手を伸ばす。アストがやってきて受け取り、真ん中のテーブルに寄りかかり頬張る。

「みんな、アウス・エーヴィスはいないって言うんだ」

「まず、どうしていると思うの」

「本で読んだ」

 アストがふたたび目を据わらせた。

(ほら見て。僕より子どもじゃないのか? って顔をしてる。私セルマ。アウス・エーヴィスが出てくる絵本、いっぱい、たくさん、読んだ!)

(黙れ、インッ)

 アストはチョコレートを口に含んで話す。

「アウス・エーヴィスは国が信仰する神さま。でも国の人が他国の神さまを信仰するのは自由だし、国のみんなは、王家こそ信仰の対象なんだ。王家が言うのは建前上ってやつ」

(分かりまちたでちゅか、セルマたん)

(アストはそんな口調じゃない)

「ルマーダお兄ちゃんはアウス・エーヴィスに……どんなお願いをするつもりなの?」

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