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『蝶は灰国に沈む』 終戦奇譚——二人で一人の旅路  作者: 紅音・フィオ・カワハギ


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第一章 それぞれの一日⑨

 王国軍は、後ろにある軍のワゴン車を指さした。覗いてみると、緑の光で体を検査されていた。陰性と判断されると質問が始まった。聞き取れはしないがアストは何度も首を振っていた。

「お前、あの子の知り合いか?」

「いや、たまたま、助けただけだ」

「そうか。姉弟で施設にいたが、戻りたくないと拒んでいるようだ。廃墟に逃げられては手出しができん。だから先に検査をしている」

「どうしてだ。廃墟を整備して民間の施設を作るとか、里親制度のようなもので助けてあげたらいいだろ」

 王国軍は小さく溜め息を吐いた。

「アリクスは王権で復興計画が進んでいる。一般の業者は勝手に手出しできない」

「その復興計画が進んでいるようには見えないが」

「鶴の一声だ」

「はっ。くそな大人どもだ。目の前の現状を知っておきながら間違いも指摘できず、代替案も用意できないとはな。そうやって若い人の心をへし折るんだ。孤児を野放しにさせて何が楽しいんだ」

(ごもっとも)

「てめえ、なんだその態度はっ。と、言いたいがその通りだ。だがな、相手は王家だ。逆らってもいいことは何一つない。廃墟には手を出すなと言われたら、無言で聞くのが大人だ」

「ちっ、ふざけてやがる」

 怒りで周囲があまり見えていなかったが、セルマがこの国の政治システムを知ったのち、この王国軍の言葉を改めて思いだすことになる。

 アストが車から出てきた。すると、

「いてっ。あ、待てっ」

「やだっ」

 車から王国軍の手が伸びたが、アストは振り切り、走りだした。すぐに姿が見えなくなる。

「くっそ、足を踏んで逃げやがった」

 車から降りた王国軍は痛がるだけだった。

「なぜ追わない」

 セルマが訊くと王国軍は答える。

「必要な取り調べは終わった。特に問題はないし、どうせ行く宛なんてないんだ。嫌々戻ってくるか、廃墟に行くだろう。これ以上は業務じゃない」

(なんて無責任な)

 セルマは靴ひもを縛り直す。

「なんだ、追いかけるのか? あんまり深く関わるなよ。じゃあな、文武両道な兄ちゃん。あの子の名前はアスト・コリオン。見つけたらちゃんと面倒を見てやれよ」

 その場の王国軍が全員車に乗ると城の方向に走り去っていった。

 セルマはアストの消えていった方角に走った。

(図書館は? アウス・エーヴィスは?)

(あとで行けばいい。あの子が心配だ。すぐに追いつく)

 と、アリクス方面の道に先回りしたが現れなかった。周囲の道も探したが、そんな気配はなかった。

仕方なく探しに出た。

 磁器通りや家具通り、路地裏やデパートなどを探した。が、見つけることはできず、聞き込みをしても「そんな子はいっぱいいるよ」と言われてしまう。時間だけを無駄に費やした。

(ラーガさんから携帯端末を貰えば、施設を検索して一つひとつに電話できたのに)

(施設にいたということは、両親がいないんだよな。お墓参りか?)

(グレートリーデンという霊園が軍司令部の近くにあるよ。行ってみよう)

(ふん。お前の罠になんかハマるか)

 そうは言いつつも、通りすがりの人にグレートリーデンの行き方を聞いてみた。確かにレインの言う通り、エパルノーマ城の西、王国軍司令部の南側に、緑に囲まれた大きな霊園があるようだ。

「お兄さんの知り合いも、ノクーヴェにやられたのか?」

「子どもが走っていったんだ。だから探しに行こうと思って」

「え、走って? 元気だねぇ。おいらが走ったら途中でへばって、なんだかんだで五時間、いや、十時間はかかるな」

(ニ十キロあるかないかだね)

(それを先に言え)

(罠にハマらない、って言ったの誰? もしかしたら、お金を持っててトラムとかで行ったかもよ。そもそも行ったかもしれないし、行ってないかもしれないんだ。探すのを諦めたら?)

 セルマは、言葉を失い、途方もなく歩き続ける。

 やがて、全長三〇〇メートルほどの橋が見えてきて、その真ん中まで歩くと、手摺に手をかけて穏やかに流れる川を見つめた。

 体は動くが、気持ちは動かない。一時間、ぼんやりと過ごした。

(そもそもさ、逃げる途中の、どこで曲がったか分からないし、この人の多いアイタスではそう簡単に見つけられないよ)

 川がサアサアと小雨のような音を立てて流れている。セルマの目は、歳を重ねて挫折した中年のように沈んだままだ。

(ねえセルマたん。廃墟のマクきゅんとフュドきゅんを忘れて、アストきゅんに惚れちゃったでちゅか?)

 セルマはほんのり頬を赤くする。

(別に。マクとフュドはミディのほうがいいのかもしれない。でも、あの子は、いや、子どもがひとりぼっちだと知りながら知らん顔なんて、そんなことできない)

 グウゥゥウ。

(はあ。ねえ、諦めて帰ったら? お昼はとっくに過ぎてるし、セルマの胃袋も『ご主人さまがいじめる』って嘆いているよ)

(あの子もお腹を空かせている)

 真面目に答えたセルマは歩きだそうとしたが、人々の入り乱れる喧騒な都会の風景が目に入ると、気が滅入ってきて足が止まった。

(どこに、行けば、いいんだ……)

 俯くと、中指を曲げて唇に挟む。

(エスポール公園)

(ん、それは)

(この川の上流に、よく結婚式とかで使われる教会と公園がある。二匹の鳥がマスコットキャラクターなんだ。そこにいないかな)

(どうして、そこだと思うんだ)

(そのアストくんって子がおもちゃ屋の入口でお姉さんと見ていたのが、その鳥と同じぬいぐるみだったから、思い出に囚われて向かったのかなって)

(なぜそれを早く言わない)

 不満を言うも、顔に血の気が戻ってくる。

(そうでない可能性もあったでしょ)

(くっ)

 笑いとも取れる表情を浮かべてセルマは川に沿って走った。

 西日が傾き、街に黄金色を齎す。

 都会の中に、教会と芝生の公園が現れた。

 走りながら辺りを探すと大きな湖があって、そこに架かる橋の上にアストがいた。

「ここで何をしている」

 見た目の雰囲気になぞらえるような虚ろな目をしていたアストが、セルマを見るなり驚いた表情をして指さした。

「あっ、人殺し! 僕はお姉ちゃんのあとを追うんだ」

(人殺しって……セルマは助けたんだよ)

「何をしようというんだ」

 アストは手摺りの上によじ登った。

「ここから飛び降りるっ」

「やめろ。そんなことをしてもお姉さんは喜ばない――あっ」

 ドボーンッ。

 アストは飛び込み、セルマは追いかける。足が付かない。

(これは結構深いぞ)

 セルマは下半身をノクーヴェに変えて泳ぎ、溺れるアストに近づき腕を掴むとそのまま片手で体を高く持ち上げた。セルマとアストの姿勢はともに辛いので、高速でバタ足し泳ぎをし、芝生に上がった。

(す、すごい。普通なら沈むはずなのに)

 セルマはアストを厳しい目で見る。

「ばかやろう。お前は助かったんだろ。命を粗末にするんじゃない」

「う、う、うわああああ」

 アストはうつ伏せになって泣きながら、拳で何度も地面を叩く。

「お前が自殺したって、お前の姉は――」

「違う、違うんだ」

「何が」

 アストは芝生に顔を付けたまま叫ぶ。

「施設には戻りたくない。あそこは、怖いっ」

(そういえば、孤児たちも)

「それに、あの人とは血が繋がっていないんだ。ただよく面倒を見てくれるから、お姉さんって呼んでただけなんだ。今日は僕が外出の日だから」

施設では基本、未成年だけの外出を禁止している。アストのいた施設では交代で抜けだしていたそうだ。

(お姉ちゃんのあとを追うって言ってたのに)

(レイン、よく考えろ。飛び降りるなんてすぐにできただろ)

(つまり、構ってちゃん?)

(そういう言い方はするな)

 セルマは軽く息を吐いて、アストの濡れた頭を撫でる。

「怖いんだな。一人になるのが」

 アストはうつ伏せになったまま顔だけセルマに向けた。草と土を纏った泣きそうな顔で、しっかりと頷く。

「歓楽街やスラムで生活なんてとても無理だし、でも施設に戻ると思うと……怖くて」

「何か、あるのか?」

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