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『蝶は灰国に沈む』 終戦奇譚——二人で一人の旅路  作者: 紅音・フィオ・カワハギ


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第一章 それぞれの一日⑤

「さあて、本物のノクーヴェなら、簡単に抵抗できるよな」

 ギャンダルは口元を上げて笑い、腹部に拳を何発も何発も入れる。

「ぐはっ、がっ、ゲホッ。かはッ」

「どうだ、痛いか。ほら、ノクーヴェになってもいいんだぜ?」

「ぺっ」

 セルマはふたたび唾を吐いてギャンダルを睨んだ。

 ギャンダルは狂気の目になって、近くのパン屋の看板を手にした。投げつけようと振り上げた瞬間、カームがギャンダルの前にきて腕を取り押さえた。

「これ以上はダメっす。早く検査して終わらせましょう。孤児でも死ねば何かの罰則になるっすよ。このことが世間に広まれば国民の信用を失うっす。この先にも影響が」

「フハハハハ。そうだなカーム。イスに座りながら手柄を積み重ねるのが俺の理想だからな。うーん、裸にして全身に光を当ててやるか」

 ギャンダルが看板を投げ捨てて、セルマの前にくると、ジャージのファスナーを一気に下した。

「あっ」

(何を驚いているのさ。せっかくのぺったんこを生かしているというのに)

 続いてギャンダルが懐から果物ナイフを取りだした。

 厭らしい笑顔をしながらナイフがゆっくりと迫ってきて、セルマは耐えられず、ナイフを蹴り飛ばした。

(ダメだよ。シャツを切られて裸を見せないと)

(ふざけるな)

(だったらノクーヴェになって暴れなよ。他に方法はないでしょ。昨日みたいに暴れないと、今度こそ裸にされて女ってバレる――ああっ。そうか。そのぺったんこで色気作戦もいいね)

 ギャンダルはナイフを拾わず、セルマの前に仁王立ちする。

「調べる前にお仕置きが必要だな。おらっ」

 セルマは顔面を蹴られた。歯を食いしばって痛みを堪える。

(ノクーヴェになって暴れたら人々を傷つけることになる。見ている人は無関係だ)

(え、ノクーヴェって、人の死に快楽を味わうんじゃないの)

(言っただろ。一部が戦争を仕掛けただけだって。私がノクーヴェだと知れ渡れば、仮にここから脱出できても警戒されて、もう二度とこの国には入れない。アウス・エーヴィスを探すこともできなくなる)

 セルマは顔面を蹴られ続けた。顔が酷く傷ついていく。

「こ、これじゃ、さっきと同じっす。この子死んじゃうっすよ」

「黙ってろカーム。孤児の一人が死んだところで関係ない。簡単にうやむやにできる。むしろ街をきれいに、クリーンにしているんだ。感謝しろ。あっはっはっは」

 ギャンダルは愉悦に取り憑かれた笑みを浮かべると、セルマの人差し指を掴んで、指先をレロレロと舐めまくり、思いっきり噛んだ。

「ぎゃああぁあぁああぁああああ」

「だ、ダメっす」

 焦ったカームがギャンダルを突き飛ばした。セルマの指からは血が滴り、ギャンダルの口周りは血に塗れた。

「カーム、キサマああああ」

「も、申し訳ないっす。でも、みんな見てるっす。さすがに人々の評価が……」

 ギャンダルは口元を拭いて辺りを見回す。野次馬の軽蔑と恐怖に満ちた表情が目に映り、舌打ちしてナイフを拾い、セルマに向き直る。

「お仕置きはここまでにしてやる。さあ、裸にして検査をするぞ。ノクーヴェだったら大変だ」

 両腕が自由にならないセルマは、ただひたすらにギャンダルを睨んでいると、カームの隣にいた討伐隊が目の前にやってきて、シャツの裾を掴まれ、脱がされそうになった。

(くっ)

「待て。切りつけて、服をぼろぼろにさせる」

 ギャンダルが言うと、討伐隊は手を放して微かに嫌な表情を浮かべ、離れた。

(ねえ、セルマはさ、アウス・エーヴィスに会うんじゃないの)

(ああ。そうだな)

 自由にならない両腕。バタバタと空中を動かすことしかできない両足。ナイフを向けてうっすらと笑いながら迫ってくるギャンダル。

(ここで抵抗しなければ全部台無し。それとも、そんなちっぽけな目的なの?)

 セルマは空を見上げて独り言をつぶやく。

「なあ、アウス・エーヴィスは、こんなときも、救ってくれないのか?」

「アウス・エーヴィス? あっはっはっはっはっはっ。ガキっ、お前みたいなのは、誰も助けない。現実を知って絶望するんだ。その前にまずは裸にしないとな」

 セルマの顔から気力がなくなり、腕や足の力も抜けていく。

(ねえ、暴れなよ。アウス・エーヴィスは助けてくれないかも知れないけど、仲間のノクーヴェが助けにくるかもしれないよ)

(暴れるなんて、できない)

 セルマの諦めた笑いが周囲に振り撒かれる。

「ほう、結構おいしい顔をするんだな。待ってろ、今、裸にしてケダモノを見せびらかしてやるからな」

 ギャンダルに挑発されてもセルマの表情に変化はない。

(はあーあ。変な意地。君は何がしたいんだか)

 目の前にきたギャンダルがナイフを振り下ろした――、

「ぎゃっ」

 直後、奇怪な声とともにギャンダルの顔が吹き飛んだ。

 セルマの足は宙に浮きながらⅠ字のように高く上がっていた。周囲の驚きも束の間、セルマは、腕を掴む二人の討伐隊から、勢いよく引っ張って離れると、倒れたギャンダルの所に駆けていきナイフを奪って馬乗りになった。

(うおおおお。早業だ。すごおおおい)

(弱い顔をしないと油断しないからな)

(さすがノクーヴェ。人を騙す天才)

(討伐隊から離れるためだ)

 セルマは奪ったナイフの切っ先をギャンダルの喉に近づけた。

「やめろッ。俺はおう――」

「やめなさいっ」

 突如として女性の声が聞こえてきた。辺りは物々しい雰囲気から一点、安堵へと変わった。

 ギャンダルが顔を上げる。

「シスターミディ。俺を助けるんだ」

 セルマも振り返った。

 シスター服を纏った、二つの泣き黒子が特徴のミディが近づいてくる。

 ミディは厳しい表情をしている。

 セルマは仕方なくギャンダルから離れ、ナイフを下ろして申し訳なさそうに俯いた。が、ミディはセルマを見ず、起き上ったギャンダルの前にきた。

「何を言っているのですか。見ていましたよ。こちらの方に拷問をしているところを。あのような暴力がノクーヴェを調べることと、どのような関係があるのでしょうか」

「ミディ。違う。俺は正義を働いたんだ。ノクーヴェかどうかの検査をしてたんだ。フルクスソードは刃物だから危ないだろ」

「この期に及んでまだそんな戯言をッ」

「ほ、ホントだって」

 ミディはギャンダルを睨むと、セルマの腕を握った。

「この方の身元はアタシが保証します。検査など必要ありません。そもそもこんな所で検問なんておかしくありませんか? この前も大きな巡回を行ってノクーヴェは発見できなかったのですよ。こんな所は一人で十分です」

 ミディはセルマを引っ張ってその場から連れだした。

 路地裏に入ると、セルマは軽く息を吐いた。

「たっぷり、借りを返されたな」

「そんな。借りだなんて。ルマーダ、どうしてあそこに?」

(まったく、ミディは、セルマのセも聞こえないなんて、本当にお転婆というか、人の話を聞かないというか。セルマはせっかくカッコつけて名前を言ったのに大スベリじゃないか)

(別にギャグを言ったわけではない。勘違いならそれはそれで好都合だ)

「孤児たちに朝食を、と思って、この先のボランティアの所に行こうとしてた」

「誰よ、そんな酷いことを言ったの。あそこはゴロツキがやっているところよ。別名、品定め会場よ。あそこに行った孤児は必ず狙われる。国が調査しないからって、いい気になっているけど、いつか見てなさい」

(レイン、キサマ)

(カームもそんなことは言わなかった)

(あれは、まだ事情を知らなさそうな顔をしてた。というか話を逸らすな)

「レインは二回も騙されたのよ」

(ほう)

(うううう。ミディは証拠もなしに騒ぐやつだからなぁ)

「とりあえずラーガの所に行きましょう。まずは傷の手当てをしないと」

 セルマはミディに一歩遅れる形でついていく。高いハーフ・ティンバーの建物が連なり視界の天空率は低い。時折、自転車が過ぎ去っていくがそれ以外は閑静である。

 ふと、あることに気がついたセルマはミディを横目でじろじろ見始めた。

(なあ、ミディは何歳なんだ)

(十五。見た目は十歳だよね)

(それは……言い過ぎだと、思うが……)

 魂の抜けたような声に、レインは首を傾げる。

(何?)

(同い年、か)

(あのね、背の高さなんて――あ、分かったぁぁ。おっぱいだ! セルマとは比べ物にならないよね。しっかりと鷲掴みができる)

(ああ。少し感触を試したくなる)

 冷静に言って、冷静にミディの揺れ動く胸を眺めていた。

(童顔、低身長のわがままボディ、元気いっぱいのシスター。ミディとはアタシのことよ)

(くっ)

レインの明るい言葉をそのまま受け止め、セルマは肩を落とした。

(ノクーヴェでも気にするんだね)

(ふん。戦わなければ普通の人間と同じだ)

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