第9章「偶然ではない」【1】
例えばこの先無事に何処かの町へ着き、後に本城へ戻れたとしても、自分も疑われてしまうのではないかと不安を覚える。
裏切った看護師の仲間で、今でも繋がっているかも知れないと取り調べを受けるとか。
よもやユーメシアやホッテテがそんな事を言うまいとは思うが、本城の人間は果たしてどうなのか。
今心配してもどうしようもない事がぐるぐると脳裏を駆け巡る。
馬車の進行方向とは逆の方へ顔を向け、彼女は流れていく景色を眺めていた。
「………」
ふと、後ろへ細くなっていく道の向こうに、黒い塊がある事に看護師は気がついた。
あんな物は無かったはずなのに、突然姿を現したように思われた。
その姿は、どんどん大きくなっていく。
いや、大きくなっているのではなく、この馬車より速く進んでいるのだ。
近づいて来る。
「ホッテテ様」
看護師は進行方向を見ているホッテテの肩を掴んだ。
「何だね?」
ホッテテは看護師の指差す方へ目を凝らす。
その時にはもう、黒い塊があげる砂煙までがはっきりと見えていた。
「いかん…追っ手だ! もっと走らせろ! 追い付かれるぞ!」
あの塊が賊であるかどうかは定かではない。
何しろ彼らは賊の姿をはっきりとは見ていないから。
しかし怒涛のごとく押し寄せる一団には、恐怖を覚えざるを得ない。
手綱を取る侍女シレネーが慌てて馬に指示を伝える。
速度は上がった。
しかし、こちらは六人が一台の馬車に乗っている。
それに比べて向こうは馬一頭に人一人ずつ。
どちらが馬への負担が大きいか、それは言うまでもなかった。
追い付かれたら、どうする?
武器として使えそうな物は、料理に使う小さな包丁くらいであった。
前方の視界には町らしき姿は入らない。
すると、一人の侍女が目を見開いてこう言った。
「姫様、私、ここから飛び降ります! そしたら馬車が軽くなって、もっと速くはしれますよね!」
「何を言ってるの! 今飛び降りたら大怪我をするに決まってるじゃない! それに、奴らに捕まったら何をされるか………」
突然、ガクンと馬車の速度が落ちた。
シレネーは、馬の前脚が極端に曲がっているのを確認した。
折れたかも知れない。
もう走れない。
「ああ、ダメよ、いいから、止まって」
止まった馬車から降りて、自らの足で逃げるしかなかった。
逃げ切れるはずなどないが。
ユーメシアはその足を緩め、最後尾に回った。
そして、後ろへ振り返る。
おかしいと感じたホッテテも、後ろへ顔を向ける。
ユーメシアが、迫る一団へ身体を正面に向け、立ち尽くしていた。
「姫様、馬鹿な真似を!」
ホッテテが彼女の元へ戻る。
「何をしてるの、あなたは逃げなさい」
「誰が、姫様を置いて逃げられるものか!」
黒いマントで全身を覆った全員の姿が、すぐそこまで来ている。
「よく考えたら、賊の狙いは私なんでしょう? だったら、私がここに残れば良い。そうしたら、皆んなは逃げられるわ」
笑顔が引き攣る。
本当はこんな事はしたくない。
自分だって逃げたい。
「私は女王になるのよ。王たる者が、国民を守る為に身を呈するのは当たり前でしょう?」
侍女や看護師たちも足を止めていた。
「皆んな、後は私に任せて! 早く逃げなさい!」
出来る訳もない。
実質、逃げ切るなんて到底無理だ。
だが、シレネーは聞いた。
前方からも多数の馬が近付いてくる音を。
挟み撃ちにされるのかと、全身の血の気が引く思いがした。
ところが、そうではなかったのだ。
「姫様、我が軍の兵です!」
シレネーが力の限りに叫んでいた。
黒いマントの一団は、紛う事なくユーメシアを亡き者にしようと追跡してきたヴェラ兵であった。
取り逃す訳にはいかないと、死に物狂いで馬を走らせてきた。
そして今、ようやくそれらしき集団を発見した。
彼らの方もまた、馬車に乗っているのはユーメシアだと確信していた。
ところが、前方からクルル•レア兵が馬に乗ってやって来た。
そして、侍女や看護師の横をすり抜け、ユーメシアとホッテテもすり抜け、自分たちの方へ向かってくるではないか。
「まずいぞ、こちらの正体がバレる」




