第8章「ダナゴの失策」【7】
心なしかユーメシアが安らいだ表情を見せていたのが、ホッテテには驚きだった。
なるほど効果があったのかと、少しだけダナゴを見直した。
私服の兵士たちはあまり仰々しくならぬよう、交代で数名ずつ別荘の周りで見張りにあたる。
侍女たちも忙しく走り回っている。
ふむ、つつがなく別荘での暮らしを送れそうだとホッテテも胸を撫で下ろした。
夕食は予定通り侍女の手作りによる。
料理人が作るような派手さは無いが、見た目も香りも間違いなく食欲をそそるものであった。
ユーメシアはそれらを美味しそうに食べていたので、ホッテテは安心し、侍女は感激しているようだった。
翌日はユーメシアの荷解きも侍女が終わらせて、静かに時間が過ぎていった。
だが、その夜。
別荘に夜襲がかけられたのだ。
黒いマントで全身を覆った十数名の賊が、別荘へ向かって一気に駆け込んできた。
その手には剣が握られている。
屋内で待機していた兵の一人が外の異変に気付き、全員に声をかけて外へ飛び出す。
三名の見張りのうち、一名は既に倒れていた。
全員抜刀し、賊に立ち向かう。
兵の多くは、賊の黒いマントは闇夜に紛れる為だと思っていた。
ところが、兵の一人が素早く賊に斬りつけた時、違うと勘付いた。
マントは裂けたが、肉を斬った手応えが無かった。
「鎧か! まさか…!」
外の騒ぎに飛び起きたのは、侍女の一人であった。
「ホッテテ様の言う通りだわ…!」
こんな事態があり得るかもとホッテテからは聞かされていた。
しかし落ち着け、混乱を来してはならない、姫と共に逃げるのだ。
すぐに他の侍女を叩き起こし、取るものもとりあえずユーメシアの部屋へ向かう。
打ち合わせ通りに一人は部屋に駆け込み、もう一人はホッテテの部屋へ、最後の一人は納屋へ向かった。
ユーメシアの部屋へ入った侍女は、まず彼女の肩を揺すって強引に起こした。
「あ…何…?」
寝ぼけた彼女に、侍女ははっきりと告げる。
「夜襲です。賊が襲って来たのです」
「ぞく…?」
まだぼんやりとした王女の手を引っ張り、起き上がらせる。
「お急ぎください! 奴らは姫様のお命を狙っているそうですから!」
ホッテテは思いの外、熟睡中であった。
「起きて! ホッテテ様! 起きなさい!」
声をかけてもピクリともしないホッテテに業を煮やした侍女は、彼の頬を何発も叩いていた。
「ふぐ…な、何…」
「来ました、賊です!」
「な、なんと、本当か…!」
目を開けてからのホッテテは素早く動き、侍女と廊下へ出た。
すると、先に部屋を出ていたユーメシアと合流する。
看護師の二人も真っ青な顔でついてきた。
「納屋へ行きますぞ、姫。馬車の用意をしているはずですからな!」
松明は幾つか灯されているものの、やはり辺りは暗い。
正規兵の鎧は、剣を弾き返す。
着ている者に損傷を与えるには、その継ぎ目を狙わなくてはならないのだ。
だが暗闇で、黒いマントを羽織った相手の僅かな隙間を突くのは、ユーメシアの護衛として選ばれた精鋭たちでも至難の業である。
ましてや彼らの方は鎧を着ていない。
布で作られた服など、斬られれば簡単に肉体へ届いてしまうのだ。
一箇所でも傷を負えば、肉体だけではなく精神的にも大きな損傷を受ける。
戦意が削がれていく。
例え致命傷ではないにしても、二度三度と傷を負えば、痛みが積み重なり、相手に向かう気力が失われていく。
一人、二人とクルル•レア兵だけが倒れていく。
納屋では侍女の一人が馬車を出す準備を終わらせていた。
「子供の頃から親の手伝いで馬車に乗っていましたから、扱いには慣れています。ご安心ください」
気休めとも取れる言葉だったが、賊に襲われている現状を考えれば、安心など出来るはずもない。
しかし、侍女だって内心恐怖に震えているはずだ。
「シレネーでしたね。馬車に関してはあなたに頼るしかありません。みんなで無事に逃げ切りましょう」
自分でも声が掠れているのが分かる。
納屋から馬車を出す。
そこに賊がいるかも知れない。
しかし躊躇している余裕はないのだ。
松明は一本だけしかなく、その明かりだけで全力で馬車を走らせなくてはならなかった。




